「2013福聚講 宮城慰霊の旅」記録
福聚講では前年に続き東日本大震災で犠牲になった方のための慰霊として、3月10日に有志が宮城県へ赴きました。
午前10時半に仙台駅に集合、ジャンボタクシーでまず仙台市若林区荒浜の慰霊碑を目指します。黒い雲が浮かび、細かい雨粒がフロントガラスに当たるような天候でしたが、寒さはあまり感じません。しかし、荒浜では前年と同じような強風が吹きすさんでいました。荒浜地区は高台への集団移転を目指しているためか、景色は前年と同じような更地のまま。荒浜小学校がある交差点に残っていたガソリンスタンドの残骸が撤去され、その向かい側にコンビニエンスストアができていたことくらいの変化しか分かりません。前年は慰霊碑の前での読経となりましたが、今年は数十メートル南に大きな聖観音像が建立されていたほか、犠牲者のお名前(おそらく荒浜地区で犠牲になった方々)を記した石碑も建っていて、見違えるよう。バスでやって来た方々などが次々に花束を供えておられました。強風のためにろうそくに点灯することはできませんでしたが、高原師は用意してきた卒塔婆、表は梵字の「あ、ば、ら、か、きゃ」「東日本大震災被災萬霊菩提也」、裏には梵字の破地獄、浄土変の御真言「はら、どぼう、おん、ぼく、けん、しゅたーん、しりー」を観音様の足元におきました。高原師が供養法を行ずる中、皆で般若心経、観音経偈、そして十三仏ご真言、光明真言などをお唱えしました。自らの声も聞こえないほどの強風でしたが、しっかりと唱えることができました。供養法の中では「共に普賢の行願を満足せんことを」と唱えられていました。つまりこうして供養させていただいている我々も犠牲者の方々も一緒に普賢菩薩の仏道精進、衆生済度の願いを満足させるようともに修行することを誓いますということでした。被災者の方々にお約束したのですから責任重大です。見上げると砂嵐の中で観音様も微笑んでくださっているように見えました。
11時半に荒浜を出発、高速道路を経て秋保不動尊へ。標高が上がるにつれて、雨がみぞれに、そして秋保では雪になっていました。秋保不動尊では不動明王のご真言を唱えてのお参りをして、その後は福聚山慈眼寺に移動。こちらは奈良県吉野の大峯山で千日回峰行を成した塩沼亮潤大阿闍梨が平成15年に建立されたもので、毎週日曜日の午後1時からは護摩祈祷も行われています。去年は祈祷の途中からの参列になってしまったため、今年は12時40分には寺に到着して整理券をいただきました。
護摩祈祷はまさに塩沼大阿闍梨の気魄が伝わってくるような荘厳なものでした。紅蓮の炎を前にした大阿闍梨には不動明王さまが乗り移っているかのように見えます。この日は新幹線のダイヤも乱れるほどの強風がゴウゴウと吹き続け、時おり護摩堂の全体が揺れるほど。窓を開け放った堂内はかなりの寒さでしたが、高原師には「こうした荒天でのお参りはかえって仏様が喜んでおられるしるしでありがたいのです」と教えていただきました。
護摩祈祷のあとは参拝者をお見送りいただく塩沼大阿闍梨にお声をかけていただきました。祈祷の際のお不動さまの形相とはうって変った柔和な表情です。前年の我々の参拝をご記憶いただいていたようで、「またお越しください」とのお言葉もいただきました。寺内で大阿闍梨の著作を購入したところ、扉には揮毫がありました。東京の本屋やamazon
で買っていたらいただけないものだけに、これも大変ありがたいことです。
14時20分すぎに慈眼寺を辞去、15時過ぎに仙台駅にて散会しました。
ここからは鈴木の私事になります。身内の被災者こそいませんでしたが、報道に携わる一員として震災は私のキャリアの中の大きな出来事。震災後は断続的に仙台に入っていましたが、業務に追われるばかりで、慰霊の気持ちで震災と犠牲者に向き合うことができないままでした。そして去年、震災から1年という節目に福聚講の一員として現地を訪れて慰霊ができたことで、やっとひとつの区切りがついたような気がしました。さらに今年もこのように現地を訪れることができたことはまさにありがたいこと、こうした機会をいただいたことに心から感謝いたします。
参加;高原講元、高橋、岡村、志々田、鈴木(敬称略)
(文責:鈴木)