大阪・茨木市総持寺では4月15日から21日 秘仏本尊(千手観世音様)御開扉 西国御砂踏 があります。また4月18日は山陰流包丁式があります。ここの御本尊は亀の上にお立ちになっているようです。此の由来は、「今昔物語集巻二十九第廿九」に「亀報山陰中納言恩語 」として載っています。
「今昔、延喜の天皇1)の御代に、中納言藤原の山陰と云ふ人有けり。数の子有けるが、中に一人の男子有けり。形ち端正にして、父、 . . . 本文を読む
「喜の荘厳のゆえに善を修する者を見て心に嫌嫉するところなし。」
その人のした善根を見て殆ど自身がした如くに真から喜び嫌ひ嫉むところの心がない。これを「喜の荘厳の功徳」とするのである。
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華厳経巻第十七金剛憧菩薩品第二十一ノ三
「・・菩薩摩訶薩は床座を施す時、この如く回向す。『諸善根を以て、願はくば一切衆生、諸の天の床座を得て、大智慧を證し、願はくば一切衆生、賢聖床座を得て、凡夫の意を捨て、菩提心に住せん。
願はくば一切衆生、安樂床座を得て、一切生死の苦惱を永離し、願はくば一切衆生、究竟床座を得、諸佛を見立てまることを得、神通自在ならん。
・・菩薩摩訶薩。諸燈明を施すに・・・此の善 . . . 本文を読む
「悲の荘厳をもってののゆえに諸々の衆生を憐れみて常に厭捨せず」
・・粥一杯、握り飯一杯与えるのも慈悲、天下国家を治めるのも慈悲、仏の大慈大悲も慈悲である。仏法はこの通り義理が深い。仏法は卑近にして能く人間の心に入ってそうして深い。第一義天の上まで届く。涅槃際の奥まで届く。またそうでなくば慈悲喜捨の四無量心にならぬ。(慈悲喜捨の四無量心では)慈が普賢菩薩、悲が虚空蔵菩薩、喜は観自在菩薩、捨が弥勒菩薩 . . . 本文を読む
華厳経巻十六金剛憧菩薩品第二十一の一「菩薩摩訶薩は、是の如く善根を迴向し已りて、無盡の善根を得、常に三世一切の諸佛を念じて一切無盡の善根を得、無量の菩薩を度して無盡の善根を得、諸佛の刹を淨めて無盡の善根を得、衆生界を淨めて無盡の善根を得、深法界に入りて無盡の善根を得、無量の心を修して淨なること虚空の如くにして無盡の善根を得、一切諸佛の境界を解了して無盡の善根を得、一切菩薩の淨業を修習して無盡の善根 . . . 本文を読む
「慈の荘厳のゆえに諸々の衆生において悩害を起こさず、悲の荘厳のゆえに諸々の衆生を憐れみて常に厭捨せず、喜の荘厳のゆえに善を修する者を見て、心に嫌嫉することなし。捨の荘厳のゆえに順違の境において愛恚の心なし。」
これより四無量心の荘厳をとく。・・慈というは・・父の方は大慈で母のほうが悲である。・・母は可愛いというので其の子の苦痛に耐えぬことを朝から晩まで思い詰めて・・細かに其の情をくだいてその子を思 . . . 本文を読む
大法輪平成16年2月号に形山睡峰師の「臨済禅の座禅の仕方」と題する一文がありました。このなかにいい文章がありましたので紹介します。
「修業者はまず深い慈悲心を起こし、自分がすくわれるよりも先に他の苦しみ悩むものを救わずにはおかぬぞとの強い願心をもって臨む必要がある。
決してわが身一人の安心だけを願って修業してはならない。
もし努力しても道が成就せぬというならかならずこの願心が欠けているか . . . 本文を読む
修証義より「・・今の世に因果を知らず業報を明らめず、三世を知らず、善悪を弁まえざる邪見の党侶には群すべからず、大凡おおよそ因果の道理歴然として私なし、造悪の者は堕ち修善の者は陞のぼる、毫釐ごうりんも忒たがわざるなり、若し因果亡じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。 善悪の報に三時あり、一者順現報受、二者順次生受、三者順後次受、これを三時という、仏祖の道を修習するに . . . 本文を読む
「慧の荘厳を以ってのゆえに能く一切の分別の妄見を断ず」ここで慧というは般若の智慧のこと。般若の智慧は人間の智慧でなくて真理のことである。真理というても人間の哲学や科学にいう真理ではない。人間以上の真理である。・・無我無相の清浄の心を指して慧という。かかる般若の慧に依って三界六道の生死の海を離れて涅槃の岸に至る。
「妄見」・・妄というのはみだりでまちがったこと、人間が思うのはみな間違っておる。それ . . . 本文を読む
華嚴經金剛幢菩薩迴向品第二十一の一「(菩薩は)一切の諸仏滅度しおわりては、舎利を供養して厭きたることなく、悉く無量なる妙雑の宝を以て、恒沙の諸の塔廟を建立す。無数の尊形像を造作して、寶蔵浄金をもって荘厳し、巍巍として高大なること山王の如く、その数無量にして不思議なり。」
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華嚴經金剛幢菩薩迴向品第二十一の一
「(菩薩は)復た是の念をなす。我れ當に一切衆生のために無量の苦を受け、諸の衆生をして悉く生死の沃焦を免出することを得しむべし。我れ當に一切衆生の為に、一切の刹、一切の地獄の中において、一切の苦を受け、終に(衆生を)捨離せざるべし。我れ當に一一の惡道において盡未來劫において諸の衆生に代わりて無量の苦を受くべし。何を以ての故に。我れ寧ろ獨り諸の苦を受くるも、衆生をし . . . 本文を読む