「精進の荘厳のゆえに能く魔怨を破して仏の法蔵に入る」とは、精は勢だすこと、進は絶え間なしにすすむこと。何年でも何百年でも続いて怠らぬのが進である。「魔怨」というは魔は天魔、人魔、煩悩魔、蘊魔、死魔という、四通りも五通りもある。天魔は第六天の魔王が悪鬼の類を使ふて人の善根功徳を妨げる。魔は梵に殺者(マーラというて善心を殺してしまうものをいう。
「定の荘厳のゆえに能く念慧と慚愧と軽安とを生ず」とは定 . . . 本文を読む
華厳経巻十五金剛憧菩薩品第二十一の一
「衆生は常に愛網の為に纒われ、無明に覆蔽せられ有愛に染著して、之がために走使せられて自在を得ず。
苦獄に縛在し、諸魔の業に随い、諸佛の所において心に疑惑を生じ、出世道を得ず、安隱の處を見ず、常に無量生死の曠野に馳せて無量苦を受く。菩薩摩訶薩は彼の衆生の生死の泥に没して衆の楚毒を受けるを見て、大悲心を起こし、衆生を饒益して善利を得、苦難を免度せんとて、善根を迴向 . . . 本文を読む
十善が船の体のようなもの、六度(六波羅蜜)は船を渡すところの水夫のようなもの、なんぼよい水夫があっても,なんぼよい航海者があってもなんぼよい船衆があっても船(つまり十善戒)がなければ渡れぬ。・・だから六波羅蜜は十善の体があってしかして後、六波羅蜜がなければならぬ。これについてこれまで施のことを述べた。殺生の心を離れて施をする。邪淫の心を離れて施をする、物を掠め取る心を離れて施をする、妄語を離れて施 . . . 本文を読む
昨日の花祭り模様
昨日孫が護国寺の花祭り御稚児行列に参加しましたので、一緒に行きました。今までも孫は二回ほど御稚児さんに参加していたのですが福聚講と重なって行けませんでしたが今年は初めて孫の稚児姿を見ることができました。昨日もお釈迦様のお誕生日を祝うかの如く空は晴れ上がり、うららかな春光が五色の吹き流しに照り注いでいました。境内の桜はもう殆ど葉桜となっていましたが本堂横の八重桜のみは華やかに咲き誇 . . . 本文を読む
「かくのごとく竜王、要をあげて言はば十善道を行ずれば戒の荘厳をもってのゆえに能く一切の仏法の義理を生じて大願を満足し忍辱の荘厳を持ってのゆえに仏の円音を得て衆の相好を具し、精進の荘厳をもってのゆえに能く魔怨を破して仏の法蔵に入る。定の荘厳をもってのゆえに能く念慧と慚愧と軽安とを生ず。慧の荘厳をもってのゆえに能く一切の分別の妄見を断ず。(以上六度の荘厳)。
(六度ということは六波羅蜜のこと。即ち檀戒 . . . 本文を読む
「これを大師の菩薩道を修するときの十善業を行じて施の荘厳をもって獲るところの大利となす」(施を行ずるについて菩薩大師が菩薩の道を修するとき、十善戒を行じて施の功徳を以て、十善戒を荘厳する。菊や牡丹に肥料を與へるように十善戒に(布施などの六波羅蜜の実践という)肥料を与えて立派な功徳を円満する。十善戒を荘厳するに施、施しばかりではない。戒の荘厳というて戒波羅蜜の功徳を以て十善戒を荘厳する。忍辱というて . . . 本文を読む
華厳経巻第十五金剛憧菩薩品第二十一の一
「・・菩薩魔訶薩は悉く一切の衆生を救護せんと欲するが故に、善根をもって回向す。一切の仏刹を恭敬し、供養し、一切の佛の説きたまふ所の正法を聞き、一切の大願を満足せんが故に、諸の善根をもって阿耨多羅三藐三菩提に廻向す。
菩薩魔訶薩はまたこの念いをなす、「菩提心の宝を発すは即ち是れ如来の境界の力なり。・・」 . . . 本文を読む
華厳経巻第十四兜率天菩薩雲集讃佛品第二十
「・・一切の法は皆如なり、諸仏の境もまた然り。乃至一法として如の中に生滅あること無し。衆生は虚妄の故に、是れ仏なり、是れ世界なりとなす。もし真実の法を解らば、仏もなく世界もなし。」 . . . 本文を読む
華厳経巻十二功徳華樹菩薩品第十七の二「・・その時に菩薩は彼の衆生の諸の苦悩を受くることを見おわりて大悲を増長し、諸の善根を観じて、心に所著なし。そのときに菩薩この如きの念を作く、「我當に十方の一一の衆生の為の故に無量無辺の阿僧祇劫に住して、衆生を成就して、心に疲厭することなく、常に共に止住し、捨離して去らんことは毫端も欲せず。一毫の端を以て悉く遍く十方世界を量度し、一衆生の為の故に、一一の毫端の處 . . . 本文を読む
今年は西国三十三所開創千三百年です。4月15日に長谷寺では西国三十三所草創千三百年記念法要がおこなわれます。同時にこの日を4月15日の語呂合わせで「良いご縁の日」として「日本巡礼文化の日」に制定しています。またこの日には西国三十三所全札所でこの日だけの散華を配布するようです。
このほか今年は西國三十三所開創千三百年の記念行事が目白押しです。
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「粗悪語を離れて(不悪口)而も施を行ずるがゆえに常に財宝に富みて能く侵奪する者なく、一切の衆会歓喜し帰依して言、皆信受して違拒する者なし。」
(「無義語を離れて(不綺語)而も施を行ずるがゆえに財宝に富みて能く侵奪するものなく言、虚説ならず、人皆敬愛す、能く方便して諸の疑惑を断ず。」(十善戒は諸君の身口意に備わっているじゃ。よって身口意を慎めば人たるの道を全うして菩薩の行を修すべきじゃ。自利利他の妙 . . . 本文を読む
華厳経巻十一夜摩天宮品第十六「・・心は巧みな絵師のようなものである、一切世界の中で作りださないものはない。心と仏と衆生、此の三者は全く同じことを言っているに過ぎないのである。諸仏は一切は心が造り出しているのだとご存知である。もし心がすべてをつくり出していると覚ることができればその人は真の佛を拝することが出来る。心も身ではない、身も心ではない、こういうことが分って一切の仏事をなさば自由自在となる。も . . . 本文を読む
「離間語をはなれて(不両舌)、而も施を行ずるがゆえに常に財宝に富みて能く侵奪する者なく、眷属和睦して志業を同一にし、恒に乖諍(けじょう)することなし。」
(離間語とは不両舌のことである。両舌というと舌を二通りに使ふてあっちのひととこっちの人との仲を分離するように舌をつかいまわすこと。かかる離間語をはなれてしまって柔らかき和合の話を以て布施慈善を行ずるがゆえに常に財産に富んでよく侵奪する者がない。「 . . . 本文を読む