われわれは素粒子を、測定機器との、あるいは観測者の意識との相互作用の働きによって、はじめて物質化される潜在性と考えるべきです。完全に独立した現実とか、元来は対象に帰属するような測定とかを想定して、それを観測のプロセスから切り離すことはどうしてもできませんね。だから現実を主体と客体に分断することは不可能です。-(天体物理学者、チン・スアン・トゥアン「掌の中の宇宙」) . . . 本文を読む
今日は六斎日です。
六斎日については、「塵添壒嚢鈔」には「この日は最も善を修めるべき日であるということは、経論に見えている。日本では敏達天皇の七年(578)に太子が始めて奏聞して六斎日には殺生を止めるようにされた。六斎日は大智度論では、悪鬼が人の命を奪う不吉の日であると説いている。この故に謹んで功徳を造るべき日である。その因縁はこうである。劫初に外道の行を修する者がいて8日・14日・15日・23日 . . . 本文を読む
華厳経巻二十四十地品第二十二の二「諸佛子よ、菩薩は歡喜地に住するに十
願を以って首とし、是の如き等の百萬阿僧祇の大願を生じ、十の盡きることのない法を以て是の願を生じ、滿此の願を満たすために勤行精進するのである。
十とはなにか。一に衆生は尽きることがないこと。二に、世界は尽きることがない事。三に虚空は盡きることがないこと。四に法界は盡きることがないこと。五に涅槃は盡きることがないこと。六に佛の世に出 . . . 本文を読む
実語教
2018-04-18 | 諸経
実語教(傳、弘法大師作、平安時代から江戸時代まで寺子屋等で庶民に教えられた。)
山高きが故に貴からず、 樹あるを以て貴しとなす 。
人肥たるが故に貴からず、 智あるを以て貴しとなす。
富はこれ一生の財、 身滅すれば即ち共に滅す。
智はこれ万代の財、 命終れは即ち随ひて行く。
玉磨かざれば光なし、 光なきを石瓦となす。
人学ばざれば智なし 、智なきを愚人となす 。
倉の内の財は朽ることあり . . . 本文を読む
自力他力というが偏するといずれも間違う。外道の群れにいることを免れぬ。真言宗のお経に「以我功徳力、如来加持力、及以法界力、周遍衆生界」とあって我が功徳力と加持力と法界力と三つが妙合わせなければ仏法とはいわれぬ。感応利益もないことである。以我功徳力というのは我が信心の力のことである。仮令他力往生といっても我が信心よりする功徳力がなければ往生せぬ。禅宗は禅宗で専ら自力であるけれども如来がいまして幽冥か . . . 本文を読む
今日は十斎日です。十斎日とは月の一日・八日(六斉日でもあります)・十四日(六斉日でもあります)・十五日(六斉日でもあります)・十八日・二十三日(六斉日でもあります)・二十四・二十八日・二十九日(六斉日でもあります)・三十日(六斉日でもあります)をいいます(根拠は下の地蔵経にあります)。この日に八斎戒(不殺生、 不倫盗、 不淫、. 不妄語、 不飲酒、 不聴歌舞、 不坐広床戒、 非時食戒)を守り、一日 . . . 本文を読む
華厳経巻二十三十地品第二十二の一「十地は、菩薩の修行の階梯を示す菩薩五十二位(上から妙 覚、等覚、十地、十廻向、十行、十住、十信)の等覚と十回向の間の段階であるが、これについては過去未来現在の諸仏はみなお説きになる。歡喜地、離垢地、明地、焔地、難勝地、現前地、遠行地、不動地、善慧地、法雲地である。(原文・・菩薩摩訶薩の智地に十あり。。過去未來現在の諸佛は已に説き、今説き、當に説くべし。
是の地の . . . 本文を読む
童子教
2018-04-17 | 諸経
童子教( 傳安然(平安前期の天台僧)作)
夫(そ)れ貴人の前に居ては顕露に立つことを得ざれ、道路に遇ふては跪(ひざまづ)いて過ぎよ。召す事有らば敬つて承れ 両手を胸に当てて向へ。慎みて左右を顧みざれ。問はずんば答へず 仰せ有らば謹しんで聞け。 三宝には三礼を尽し、 神明には再拝を致せ。 人間には一礼を成せ。 師君には頂戴すべし。 墓を過ぐる時は則ち慎め、 社を過ぐる時は則ち下りよ。堂塔の前に向かつ . . . 本文を読む
「正勤の荘厳のゆえに悉く能く一切の不善の法を断除して一切の善法を生ず」
これは三十七道品中の四正勤である。三十七道品は前に言う如く無上菩提の果を得る功徳の品類が三十七あるのでこの品類の功徳法門を修行して涅槃の道に入ることができるから道品というのである。この言を引いて八正道広しと言えども十悪の人は行かずと昔の「童子経(この後出します)」にある。(この童子経には神儒仏三道一貫の主義があらわれておる)。 . . . 本文を読む
華厳経巻第二十金剛憧菩薩品第二十一ノ六「菩薩が衆生を観察すると、衆生と仏と一切の身・口・意の業は共通である。菩薩が全ての世の有り様を観察すると、世間は実体のあるものではなく常に移り変わるものであることがわかる。造物主があるわけでもないが、しかし一切の業に対する報は厳然とあるのである。(菩薩は一切の衆を観察するに、身口意の業、悉く平等なり、普く衆生をして平等を得て、猶ほ一切の無等等の如くならしむ。・ . . . 本文を読む
・・お経を読んでも読み方が悪いと「仏魔」口門より入る。いい加減に仏を礼すれば「仏魔」頂上より入る。そういうわけじゃから真の心を以て仏法を講釈し、仏法を学び、仏を拝し、お経を読まねばならぬ。それを我慢我欲を以て読んだならとんでもない間違いができるのであるから仏を礼拝するのでもお経を拝見するのについても真実信仰心を以てするのでなくては仏を殺す五無間業の一をつくることになる。 . . . 本文を読む
(戒法のことを説くと)雲照は小乗じゃという。この節は羅漢さんんは劣ったものじゃというののがおるがそれは間違いじゃ。(小乗では)羅漢さんはその身がなくなると涅槃にはいってしまう。而してその涅槃は大乗の涅槃とちがい一切消えてしもうて余すところがないというのが小乗の涅槃じゃ。こういうようでは羅漢さんになっても衆生済度ができぬから羅漢にはなるなとお経には説いてある。それを取り違えて狐狸になるとも羅漢さんは . . . 本文を読む
最近、大企業の不祥事(データ改竄偽装、不適切会計、粉飾決算等)が続いたと思ったら、直近では官僚の不祥事も相次いでいます。いずれも世間的には「エリート」とよばれる組織・人です。私自身も役人をやっていましたが、役人のセクショナリズム、省益拡大のためには国益を売ることも平気、という宿弊は当時から見られました。しかもこういうことを平然と行うのは東大を「優秀」な成績で卒業した役人なのです。一例はここにありま . . . 本文を読む
今日は十斎日で六歳日です。十斎日とは月の一日・八日(六斉日でもあります)・十四日(六斉日でもあります)・十五日(六斉日でもあります)・十八日・二十三日(六斉日でもあります)・二十四・二十八日・二十九日(六斉日でもあります)・三十日(六斉日でもあります)をいいます(根拠は下の地蔵経にあります)。この日に八斎戒(不殺生、 不倫盗、 不淫、. 不妄語、 不飲酒、 不聴歌舞、 不坐広床戒、 非時食戒)を守 . . . 本文を読む