福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

釈雲照師「十善業道経講義」から・・その43

2018-04-12 | 諸経
「慈の荘厳のゆえに諸々の衆生において悩害を起こさず、悲の荘厳のゆえに諸々の衆生を憐れみて常に厭捨せず、喜の荘厳のゆえに善を修する者を見て、心に嫌嫉することなし。捨の荘厳のゆえに順違の境において愛恚の心なし。」
これより四無量心の荘厳をとく。・・慈というは・・父の方は大慈で母のほうが悲である。・・母は可愛いというので其の子の苦痛に耐えぬことを朝から晩まで思い詰めて・・細かに其の情をくだいてその子を思うのが母の大慈である。併し父は・・その子の将来を思い大いなるところに眼を着けて愛育していくというのが父の大慈である。この慈悲は支那のことばで申すと仁恕という、・・・(仏法では慈悲と言い儒教では仁恕という、「仁恕」より「慈悲」の方が卑近な言葉であるがこのように)仏法の入り口は卑近であるがそうして奥へ行くと深くかつ大きい。丁度この虚空のようなものじゃ。虚空は耳の穴も虚空じゃ、鼻の孔も虚空じゃ、この部屋の中も虚空じゃ、・・ヒマラヤへ登ってみるとアジアの虚空が見える、・・仏法というはこうじゃ。いまの慈悲という言葉は卑近な言葉ではあるがさてさて大変奥の深いことばじゃ。・・慈・悲・喜・捨の四無量心のうち慈悲は弥勒菩薩の内証三昧地というて弥勒菩薩はこの慈悲をもって体とする。それから大慈大悲観世音菩薩というて慈悲共に備えてござるのが観世音菩薩。地蔵菩薩は大悲闡提というて・・地獄へ行って衆生を済度する。・・・最近新仏教旧仏教というているが全体日本に明治の虚空、徳川の虚空、神武天皇の虚空、神代の虚空とがあるかないかをよくかんがえてみるがいい。決して虚空は違っておらぬ。依って現在賢劫の仏の慈悲喜捨も未来星宿劫の千仏の慈悲喜捨も、過去荘厳劫の千仏の慈悲喜捨も、菩薩の慈悲記者も、仏の慈悲喜捨もちがったことはない。・・寺は大いに物を為そう、未来発達するようにしてやろうが慈である。それから悲は未来よりも現在、地獄餓鬼畜生の苦に堪えぬものを救う方である。
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