SAILIN' SHOES

デジタル一眼、ライカ等でのスナップ写真や、カメラ、音楽、鉄道・車、子育ての日々雑感です。

モノレールの走る町。

2008-12-05 | スナップ
いつものように夜遅くに会社を出た。
電車に乗っていたら、人身事故で止まってしまった。
今年は毎日のように人身事故が起こる。
車内放送で「人身事故が発生しました。皆様にご迷惑をお掛けし大変申しわけございません。」という聞きなれた放送が入る。
何も鉄道会社や車掌さんが謝ることもない。
鉄道会社に責任があるわけじゃない。
政治、経済全体、人類全体、いや地球全体が疲れてしまっている。
だから電車が停まってしまったことに腹は立たない。

しばらくして「田町駅のホームまで運転いたします。その後一旦運転を見合わせます。振り替え乗車のご案内です・・・」

私は田町駅で降りた。
こういう時は、しばらく夜の街を散歩しよう。
むかし6年間毎日通勤で使っていた芝浦口へ向かった。




田町は運河と倉庫の多い町だった。
今はすっかり再開発され、高層マンションが建ち並ぶ。
何もかもがきれいになっている。
すこし寂しい。




モノレールが走る。
ただし浜松町を出たモノレールは、田町あたりは通過するだけで、天王洲アイルまで4キロも駅がない。人口がこれだけ増えたので、駅ができれば利用客は相当増えると思う。
(そもそも開業時は浜松町と羽田空港の間に駅は一つもなかったのだ!)





しばらく流し撮りの練習をしていた。







レンズは50mm/F1.4だけだ。
それでも、モノレールは近くを走るので、大きく撮ることができる。
車内の人まで見える距離だ。




α900は暗くても楽だ。
AFがすぐに合うのが気持よい。











バブルの頃の湾岸は人がたくさん居た。
夜遅くまで、みんなどんちゃん騒ぎだった。
会社の隣にもお立ち台のある巨大なディスコができた。
クルーザーを借りてパーティーもやった。
予約を取るのが大変だった。

今は静まり返っている。
高層マンションがたくさんあるのに、人はまばらだ。



私が芝浦で働いていた頃、この橋には線路があった。
都電が車庫に入るためだけの橋だったので、人が渡ることはできなかった。
30年もの間放置されていた都電の車庫跡は高層マンションになり、
橋は人が使うものに改修された。



橋の上からもモノレールが見える。
この町はどこに居てもモノレールが見えるのだ。







この広い道にも思い出がたくさんある。
みんな酔っ払って横断していた道だ。
路肩にはたくさんの外車が停まっていた。
路駐ができなくなった道はこんなに広い。




モノレールは運河を渡り、ビルの谷間を右へ左へ走る。
こんなに身近なモノレールだが、駅がないので、滅多に乗ることはない。

東京モノレールはなぜか名鉄(名古屋鉄道)と日立製作所が創設した。
その後、日立運輸に譲渡され、最近になってJR東日本に売却された。
最近、新橋への延伸も発表されている。




行き先表示が面白い。
これは誰が乗るバスなんだろうか?

駅に戻ると、何事もなかったように電車は動いていた。

20年の歴史が走馬灯のようによみがえった1時間だった。


SONY α900、AF50mm/F1.4
コメント (26)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする