クハ481-103の駅巡り旅のページ

鉄道の旅を楽しみながらJR線全駅踏破を目指しています。

師走の鹿児島線駅巡り第2弾(その1)

2007-12-26 23:05:50 | 鹿児島本線
 ここからは、4回にわたって、2007年クリスマスの鹿児島線駅巡りを紹介しよう。今回巡ってきたところは、箱崎から熊本にかけての26駅であった。この旅も、青春18と日航機を組み合わせだったが、今年はムーンライト九州の運転期間が短縮され、クリスマス3連休は運転日に当たっておらず、日航機で羽田と福岡を往復するに至ったものである。



まずは、新津を12月22日の0時6分に発車する、快速ムーンライトえちご(K1編成)で新宿まで寝ていく。萬寿鏡を投入すれば、長岡に着く前にはもう寝ちゃった。 上越線内を極めて順調に走り抜け、5時10分に「春の歌」が鳴り、新宿駅に到着した。


山手線400G(E231系513編成)で品川に出て、京浜急行の快特で羽田空港へ。チェックインを済ませれば、空弁を待合ベンチにて朝食にする。


7時25分発のJL309便で福岡空港へ。 機材はボーイング777-200型(レジはJA007D)で、各席に個人用モニターがついていて、いくつかのエンターテイメントを楽しむことが出来る。南アルプスを突っ切った後、琵琶湖を横断し、岡山、広島を経由した後、響灘に出て海側からアプローチするルート。残念ながらほとんどが雲上飛行。


福岡空港到着後、速攻で地下鉄に乗り換えて博多駅に出て、9時56分発の3391M(813系R232編成+R205編成)へ乗り継ぐことに成功。予報では雨といっていたが、日頃の行いが良いからか雨は降っておらず、喜ばしい限りである。


 
鳥栖駅では13分の停車。その間に、「はやぶさ」を撮影。ちなみに、「はやぶさ」は、2009年春廃止予定。東海道線を走る夜行列車はサンライズだけになっちゃうのか。


10時41分に鳥栖駅を発車。沿線では、九州新幹線の工事がたけなわ。



最初の下車駅は荒木駅。ホームは2面4線で、この駅発着の列車も多いことから、側線がたくさんある。平成8年改築のコンクリート駅舎。駅周辺は、古くからの町並み。


荒木で23分滞在した後、11時16分発の5335M(817系V15編成)で西牟田駅へ。



JR九州によくある簡易駅舎ですが、西牟田駅には駅員がちゃんと居る。配線は対面式ホーム。駅裏では、九州新幹線の工事が進んでおり、下り線ホームからは出入り不能に。



大日山不動寺を訪問し、11時57分発の5337M(815系N9編成)に乗り込んだ。



続いて下車した羽犬塚駅は、立派な仮駅舎になっており、真上では九州新幹線の高架の工事が進められていた。配線は2面3線。九州新幹線全通後は、どのような駅舎が出来るのか。


大きな楠木のある神社で旅の安全を祈願し、12時30分発の5339M(817系V12編成)で船小屋駅に進む。



4分ほどで船小屋に到着。カプセル型の駅舎は残っているが、今年の10月19日からはトイレが封鎖されている。対面式のホーム。駅前では九州新幹線の高架橋の工事が進められており、平成22年度末に500m移転して、新幹線接続駅として開業予定。駅周辺は長閑で、付近に船小屋温泉があるが、開業後はどのような発展を遂げるのか。尚、この駅は独特の入線音をもっている。


13時4分発の2337M(815系N12編成)で南瀬高に進んだのである。


つづく
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師走の鹿児島線駅巡り(その4)

2007-09-10 22:48:01 | 鹿児島本線
宇土を13時6分に発つと、次は川尻に足を記す。


 
大正6年築の木造駅舎。上下とも追い抜き設備があり、上り列車は待避線に停車する。八代、有佐、松橋、宇土とも、其々形が異なる木造駅舎を訪問した後で、胸がいっぱいだった。



川尻から乗った5342Mは、817系V12編成であった。訪問済みの熊本、上熊本(高架化工事に伴い仮駅舎)、未訪問の崇城大学前~木葉の各駅に停まりながら北上する。



肥後伊倉に降り立った途端、ある種の衝撃を感じた。如何にも木造駅舎という感じの駅舎。委託駅のようで、殆ど荒らされておらず、微笑ましい。 しかも、周辺も長閑。接近音は串木野と同様の踏切音であった。



肥後伊倉で44分滞在した後、5344M(817系V17編成)で玉名に進む。玉名市の中心駅ということで3番線まであり、「有明」や一部の「リレーつばめ」が停車する。



玉名から334M(415系F1521編成)で1駅、大野下駅に下車する。この駅も肥後伊倉と同様、原型をとどめた木造駅舎。しかも、委託駅であり、接近音が踏切音なのも共通である。ところで、この駅舎は、昭和20年8月13日に米軍機ロッキードP38双胴機の爆撃を受けていて、天井にその跡がある。



大野下から5346M(817系V13編成)で2駅、南荒尾に降り立った。対面式ホームの無人駅である。


 
踏切を渡ると、黄昏の有明海に出た。干潟がどこまでも広がる海である。新潟県では決して見れまい。



南荒尾から336M(813系R202編成)で4分、今回最後の鹿児島線の訪問駅・荒尾に降り立つ。昭和20年築の木造駅舎である。当駅で折り返す列車も多数あることから、留置線を除いても2面4線の大きな駅だ。


 荒尾の駅舎を撮影後、17時12分発の2346M(813系R103編成+R111編成)にて博多に向かう。途中、銀水の駅舎は衝撃モノであったが、17時30分を過ぎると九州といえど撮影条件が厳しくなるので、次への宿題にした。ところで、沿線は、九州新幹線の工事がたけなわであり、羽犬塚に至っては仮駅舎となっていた。鳥栖、久留米、羽犬塚もどうなるのだろうか。
 博多到着後、博多ラーメンを食し、臨時快速ムーンライト九州で九州を後にしたのである。


翌日(2006年12月24日)の模様はこちら


参考サイト さいきの駅舎訪問
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師走の鹿児島線駅巡り(その3)

2007-09-08 22:53:56 | 鹿児島本線

2006年12月23日土曜日。東横インおなじみのおにぎり朝食をとり、7時半に高見馬場を出て、残っていた1系統の高見馬場以北の区間を乗り潰し、鹿児島駅に到着。鹿児島市交通局の電車線は完乗達成ということで。


 路面電車3台並び。鹿児島駅前でしか見れません


 一応、鹿児島本線の終点だが…。


7時57分発の6929M(475系Gk35編成)にて鹿児島中央へ。鹿児島地区の475系は、2007年3月18日に定期運用がなくなったので、これが鹿カコ475系に乗る、事実上最後のチャンスだった。撮影しなかったのが悔やまれる。



鹿児島中央駅になってから初めて撮影するこの駅舎。九州新幹線開業後、この入り口を利用する者は少なくなった。



鹿児島中央から新八代までは「つばめ2号」で急ぐ。自由席利用で4830円はバカ高い。


 新八代から6333M(815系N4編成)にて八代に南下する。



八代駅は、新幹線の駅に昇格せず、古い駅舎が残されていた。同時に、「九州横断特急」「くまがわ」しか停まらなくなり、まるでローカル駅に転落したよう。背景は製紙工場。



6833Mの折り返し電車で千丁を訪問する。藺草の主産地だったが、平成の大合併で八代市に編入されている。昭和58年築の簡易駅舎(無人駅)で、入線音は、隈之城~上伊集院の各駅同様の踏切音で、駅舎側のホームのスピーカーでしか鳴らない。



千丁で26分滞在した後、5332M(815系N2編成)にて有佐に進む。大正14年改築の木造駅舎。待避線あり。



30分後の5334M(815系N10編成)で小川へ。降りたときは丁度、大型ショッピングセンターへのバスが出るところだった。平成7年3月改築の駅舎で、右側のコスモホールとよばれる待合室で、今朝買った駅弁を食べながら薩摩へ思いを馳せたのであった。



30分後の5336M(815系N9編成)で松橋へ進む。宇城市の中心駅で、昭和24年築の個性的な木造駅舎。待避線あり。



30分後の5338M(815系N12編成)にて宇土へ。三角線との分岐駅。ここもまた個性的な木造駅舎(昭和22年築)
である。背後には九州新幹線が…。それでも、末永く残ってほしいものだ。


宇土で30分滞在した後、5340M(815系N5編成)にて川尻に進んだのであった。

つづく


参考サイト  さいきの駅舎訪問

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師走の鹿児島線駅巡り(その2)

2007-09-07 21:58:26 | 鹿児島本線
串木野に滞在したのは33分のみで、14時34分発の2451M(817系V8編成)にて鹿児島方面へ向かう。



串木野に続いて訪問したのは東市来。国道3号沿いの駅。駅舎が南西の方向に向いていたので、斜めから撮影した。



続いてやってきたのは湯之元。駅名の通り、湯之元温泉の玄関口。駅前の商店で、温泉せんべいを買った。帰りの電車の中で食べたら、煎餅というよりむしろクッキーといった感じのお菓子。



湯之元から8分東進して伊集院にやってきた。沿線に3つも高校を抱えていることもあり、私が下車したときに高校生が大量に乗ってきた。駅舎の左側は理容店。



伊集院16時30分発の2455Mで1駅東進し、薩摩松元へ。駅の機能はホーム上にある建物で。トイレはトンネルの向こう。



薩摩松元16時58分発の2457M(817系V11編成)にて3分、今日の駅巡りは上伊集院にて締めくくる。日の入りが最も早い時期とはいえ、17時で1/100secでシャッターが切れた。南九州は、新潟県より40分~50分、日の入りが遅いと感じた。


 上伊集院での34分間を利用して、山の上まで歩いてみると、ニュータウンの入り口にぶち当たる。そう、上伊集院は今や新興住宅地。道理で訪問時に迎えの車が途切れないわけだ。
 六角形の待合室に飾られていた松陽高校美術部の作品を鑑賞し、17時35分の2459Mで一路、鹿児島中央へ。817系V3編成のみで、女子学生を中心に激パの模様。この時間になると、南九州とはいえ、夜の帳が下りてきた。
 鹿児島中央に到着後、ざぼんラーメンで夕食。その後、指宿枕崎線351D(キハ200系2連)で谷山へ。JR谷山駅から市電の谷山駅までは歩いて7~8分。すぐに1系統の電車に乗れたが、席は全て埋まった。途中駅での乗降も激しかったことから、高見馬場までは32分かかった。そして、今宵の宿・東横イン鹿児島天文館Ⅰにチェックイン。


 入浴後、鹿児島中央駅前経由の2系統を乗り潰し。


交通局前で鹿児島駅前行きの1系統電車に乗り継いで高見馬場に戻る。1周で35分と案外かからなかった。この日の打ち上げは、伊集院で買った焼酎・さつま白波で。

つづく
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師走の鹿児島線駅巡り(その1)

2007-09-06 00:01:46 | 鹿児島本線

 鹿児島本線は、門司港から博多、熊本と経由して鹿児島まで結ぶ九州の大動脈であるが、九州新幹線の部分開業によって、八代から川内まで肥薩おれんじ鉄道に移管されて断ち切られた格好となっている。八代から先が特急列車が消滅したといっても、新八代から小倉までは特急の大動脈となっていて、貨物列車も鹿児島まで通っている。
 鹿児島本線の駅巡りは、九州新幹線の部分開業によって最も本数が少ない区間が断ち切られたことにより、劇的に易化している。とはいえ、90駅も存在する。今回は、2006年師走の鹿児島県内と熊本県内の駅巡りについて紹介しよう。

 実行したのは2006年12月22日(金)~24日(日)で、金曜日は年休を利用している。行きは、東京までMLえちごを利用した後に、羽田から鹿児島までは日航機を利用している。帰りは、博多からML九州を利用し、新大阪から普通列車を乗り継いで新津まで帰還している。新津から「きたぐに」「のぞみ」
「つばめ」を利用して川内まで鉄道利用でもプランは変化しないが、「青春18」の効力を生かしたいのと、日航のマイレージを久々に貯めたかった等の理由で、あえてMLえちご+航空機を選択したのである。


 
新津0時6分発のMLえちご(K1編成)で新宿まで眠っていく。


 新宿到着後、山手線外回り電車(400G
)で品川に行き、「青春18」に日付印を入れてもらった後、京浜急行でいざ羽田空港へ。朝がゆを食べ、自動チェックイン機にかければ、もう搭乗手続きは完了。JL1863便は8時5分発なので、あとは暇だ。
 JL1863便は、ボーイング777-200型の鶴丸機(JA8985)。8時12分ころ出発。愛知県まで東海道を辿った後、潮岬を経由してあとは海上を飛行する。


 日南海岸の上空にさしかかるとディセント。

10時15分に鹿児島空港に着陸し、急ぎ足で10時30分発の特急バスに乗り換える。初めて通過するルートではあったが、睡眠を補う格好となる。


 11時40分に川内駅に到着。


昼食をとった後、鹿児島線駅巡り開始。2階に上がって改札口に入るが、正面に進むと新幹線の改札で、在来線の改札は、その右に申し訳程度に設けられている。在来線ホームに下れば、高校生が多数。沿線の高校は終業式のようだ。彼らと共に、12時22分発の2447M(817系V6編成)に乗車する。



6分の乗車で木場茶屋に下車。国道沿いの無人駅で、付近にはサンクスやビデオ屋があり、結構賑やか。


39分の滞在で、2440M(817系V5編成)で1駅北上。木場茶屋での乗車が私1人だけだったのが災いし、車中の高校生から総スカンクを食らった
。(録音機材を持っているからなおさらだろ)



隈之城駅は、この日訪問した唯一の趣ある木造駅舎。れいめい高校の最寄り駅ということで、高校生の海の中で2449Mを待つことに。



2449Mに揺られること13分、市来で途中下車。一応待避線のある駅だが、今は使われていない模様。



 2442M(817系V6編成)で1駅戻り、串木野の降り立つと、何と仮駅舎ではあるまいか12月9日に改札が変更され、以前あった木造駅舎は、訪問時までに取り壊されたようだ。(現在は、黒系の新駅舎となっている)
 串木野は、さつま揚げ発祥の地で、かつおラーメンが名物のようだが、リサーチ不足&日航機利用がたたって、またの機会ということで。(次は何時なんだよ


つづく

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