日々の恐怖 3月1日 山
ある北国の山あい。
鄙びた温泉宿で、僕は穴を掘っていた。
脇の木製のベンチに腰をかけて、夕闇に浮かぶ整然と美しく並んだ双子山を眺めた。
「 今日の作業は終わりか。
日没まで間もないしな。」
僕は呟いて部屋へと戻った。
肉体労働の疲れは上質の睡眠薬をもしのぐ程、短時間で僕を眠りへ誘った。
どれ位経ったか目が覚めた。
日はとっぷり暮れている。
何気なく窓の外を眺めるが、薄闇の中に山際が茫と浮んでいるだけだった。
「 おめの命コとれせ。」※注1
不意に掠れた様な女の声が聞こえた。
「 え・・・?」
僕は耳を疑った。
目を細め声の主を探した。
「 こご掘れば、まえへんネ」※注2
今度は、はっきり聞き取ることができた。
いつの間にか部屋には生臭い匂が充満し胸が悪くなる。
正体を確かめようと、とっさに周囲に目を走らすと部屋の出入口に人影がいた。
扉を開いた様子もなく、そのうつろな背中は消える様に見えなくなった。
「 掘ったら、殺される?」
頭が真白になった。
この温泉宿は、僕の親戚が細々と営んできた。
それが、近年の温泉ブームに後押しされ都会からの宿泊客が増えた為、露天風呂を新設することにしたのだが、専門業者に仕事をしてもらう様な金はなく、家族で造ることにした。原泉を掘るわけではないから、素人でも何とかなるのだ。
僕は休暇がてらに手伝いを申し出て、この宿に滞在している。
夜闇に浮ぶ双子山。
この山に纏わる伝承が幾つかある。
双子山には姉弟の山神様が住む。
ろくろ首を幾体もお供に従え、里に季節を運んでくる。
また、昔話ではこの山一体を統治した侍が、巨大なまな板の上で女房をぶつ切りにした。殺された女はその怨念を晴らすべく未だに山を彷徨っていて、里の男を惑わし死へと誘うそうだ。
こうした不気味な伝承も怯えを増徴させ、その夜、僕は何をするにも辺りの気配ばかり気にしていた。
寝床に入った後も、僕は暫く眠れなかったが、疲労が恐怖を上回った。
不意に目が覚めた。
どうやら、僕は眠っていたらしい。
「 ドサッ。」
突然布団の上に何かが落ちてきた。
いつの間にか、部屋にはあの生臭い匂が満ちている。
雪明りを頼りに暗い部屋に目を凝らして、今起きている事の理解に努めた。
布団からは決して出ずに、落ちてきたモノを手でまさぐった。
嫌に軟らかい。
少し滑り気がある。
「 ドサッ。」
また何かが落ちてきた。
すぐに布団から飛び出した僕の眼が捉えた者。
前腕が切れ落ちた青白い女。
布団の上に落ちた二個の肉塊。
女は無表情のまま「おめの命コ」と呟いた。
僕の頬に、冷や汗が一筋流れた。
女の体中に、赤い線が幾筋も浮かぶ。
汗が、僕の首筋から、じっとり湿った胸元に流れ込んだ。
女の体を覆う筋から、赤黒い血が糸を引いて垂れ流れる。
汗が僕のへそに行き着いたその時、女の腕が、脚が、胴体が、「ブチブチッ」と音を立てて千切れ飛んだ。
最後に残った頭部が宙に浮いたまま口を開いた。
「 こご掘れば、」
目を横切って赤い線が走る。
「 まえへんネ。」
女の顔は瞳を境にバックリと上下に切り開かれ、ぐちゃっと布団の上に転がった。
鮮烈な血の匂が鼻を突き、僕は堪えきれずに嘔吐した。
ぶつ切りの女の死体は、止め処なく血を流しうねうねと蠕動した。
「 ぎゃあっ!」
僕は大声で叫んでしまった。
得体の知れない別の気配を感じたのは、その時だった。
床の間の辺から、室内とは思えぬ強烈な風が吹き付け、僕の髪を舞い上げた。
目を細め風の向うを見つめると、二つの幼い顔が見えた。
おかっぱ頭の無邪気な顔。
しかし、二人の体は赤く腫れ、膨れ上がり、細い亀裂が全身を覆って、所々肉が裂け体液が噴出している。
二人は爛れた口を尖らせると、寒い冬風を吐きかけて女の肢体を吹き飛ばした。
女の残骸が断末魔の叫びと共に霧消した。
まったく状況が掴めず、僕は呆然としていた。
「 おどさまこえしじゃた。」※注3
そう呟き、二人が僕の胸に抱きついた。
そして、すぅと消えた。
翌日、僕は一心不乱に土を掘った。
そんなに深く掘るまでもなく、その手がかりを見つけられた。
二体の子供の骨。
温泉宿の大婆が駆けつけた。
婆は骨を箱に収めて、双子山に向かって手を合わせた。
里の言伝えによれば、侍が女をぶつ切りにしたのは、女が彼の実子(姉弟)を大釜で茹で殺して、銀杏の木に寄る土地に埋めたためだ。
死体の場所は二羽の小鳥が伝えたという。
以来、姉弟は山の神となり里を守っている。
僕の掘った土地の脇には銀杏の木が佇む。
山神が僕を助けてくれた。
「 ありがとう。」
僕は双子山に手を合わせた。
二羽の小鳥が山際でいつまでも戯れていた。
(※注1:命コとれセ = 命をとるぞ)
(※注2:まえへんネ = いけない、許さない)
(※注3:こえしじゃた = 恋しかった)
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