新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

目をくり抜かれたサンタ・ルチアが身じろぎもせずに。アポストリ教会・・・ヴェネツィア教会巡り③

2016-06-28 | 教会巡りヴェネツィア

 ヴェネツィアに行くたびに泊まっていたB&Bが近かったために、サンティ・アポストリ教会には何度も通った。

 たいていは照明が消されていたが、ある時一度だけ、神父さんたちが点灯された照明の下で何かの行事の準備をしているところにぶつかった。
 「何があるんですか?」    「結婚式だよ」。

 そう、これから結婚式が行われるところだった。始まるのは数時間後とのことだったので式を見ることはなかったが、明るい堂内で絵画や彫刻作品をゆっくり見ることが出来た。

 ここに来るたびに訪れるのは右奥の礼拝堂にあるジャン・バティスタ・ティエポロの「聖ルチアの聖餐」。
 まだキリスト教が公認されていない時代、自らの夫から告発されてつかまり、激しい拷問の末に命を落としたルチア。

 そうした悲惨な場面なのに、ルチアはきりりと顔を上げ、整然と姿勢を崩さず、逆に蠱惑的とさえいえるほどの表情を浮かべている。

 足元の皿に載せられているのは、実はくり抜かれたルチアの目玉なのだ。

 張り詰めた緊張感の中で、一瞬時間が止まったかのように静止している人たち。それぞれの表情も克明に描写されたこの絵を、いつも飽かずに眺めてしまっていた。

 セバスティアーノ・サンティによるキリスト像も、そのさっそうとした姿に目を奪われる。

 まさに「ザ・キリスト」とでも呼べるような、私たちが思い浮かべるキリスト像そのままの姿かたち。

 天井画は「聖アポストリの聖体拝領」。大きな天井の空間を一杯に使った雄大な絵だ。

 チーマ・ダ・コネリアーノの「最後の晩餐」は、やはりレオナルド・ダ・ヴィンチの「晩餐」の絵の構図と同様に、キリストを裏切ったユダだけが手前に位置している。

 このような迫力十分の彫像もあった。

 教会の前はアポストリ広場になっていて小運河がある。その運河を渡るとアーケードになっており、そこから教会の鐘楼を眺めると、ちょうどよい風景画が出来上がる。

 鐘楼は1632年に造られた。ある時教会の司祭ドメニコ・ロンゴが、この塔から落ちたことがある。ただ、幸にも彼は時計の短針に引っかかったために地面には落下せず、短針のゆっくりした動きと共に回転しながら無事に地上に降り立ったのだという。その時計が鐘楼の中間にあるのが見える。
 
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