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百をはるかに超える島から成り立つヴェネツィアは、それらを結ぶ400もの橋が渡されている。その多くは船を通過させるために中央を頂点とする弧を描いて架けられる。まるで舞台のように。
大きな橋になると、昇り始めた時点では橋の頂点までしか見えない。次第に向こう側が姿を現し、頂点に立った瞬間、過去と現在、未来をも含めた時空間の分岐点に立っているという幻想にとらわれる。
新しい人生に一歩を踏み出すのか、それとも今の自分を取り巻くものに踏みとどまるのか、あるいは過去の思い出にくるまれて生きるのか・・・。
そこは人に決断を迫る場ともなるのだ。恋人たちが橋の上で出会い、また別れるシーンが特に印象的なのは、そんな心象風景を象徴するからなのだろう。
ヴェネツィアの橋は、様々な想いを想起させる。
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①リアルト橋
ヴェネツィアの大運河(カナルグランデ)のなかでも最も古く島の中心地でもあったのが、このリアルト橋だ。島々を分かつ深い水路を意味する「リヴス・アルトゥス」が語源という。1180年の最初の橋は、船を並べて両岸を行き来する浮橋だった。
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次にカルパッチョの絵に描かれたように木造の跳ね橋に替えられた。しかし、1444年の水上パレードの時、殺到した観衆の重みで橋が倒壊、その後何度か修復されたが、1588年になって石造の橋にすることになり、アントニオオ・ダ・ポンテがコンペを勝ち抜いて設計を任された。1591年、長さ48m、幅22mの、現在みられる形がここに完成した。以来、アカデミア橋が建造されるまで300年近く、リアルト橋が大運河唯一の橋だった。
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橋を中心としたこの地区は島の中でも最も高い土地で地盤も固く、高潮の危険に脅かされないという長所もあった。そこで、東地中海交易の物資運搬の基地となり、経済、商業の中心地としてヴェネツィアの繁栄を支えてきた。
橋の両側スペースは店舗になっており、アクセサリー、ベネツィアングラス、マスクなど土産物の店が並んで観光客でにぎわっている。
その雰囲気は、フィレンツェのヴェッキオ橋とよく似ている。
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また、手すり付近には、運河やそこを通るゴンドラの風景を見ようとする人たちであふれ、サンマルコ広場と並ぶ2大観光スポットだ。
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②アカデミア橋
傾いた鐘楼を持つサント・ステファノ教会の広場からアカデミア美術館に行こうとすると、木造の大きな橋に行き当たる。これがアカデミア橋だ。建設は1854年。当時は1797年にナポレオンがヴェネツィアに侵攻してフランス領となった後、オーストリア領に替わったころで、オーストリア支配下で進められた建設だった。
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最初は鉄の橋だったが、1932年の架け替えの時、設計が決まるまでの暫定措置として木造の橋が架けられた。そのまま50年ほど経過し、様々な案が出された末、結局下部を鉄で補強した木造の橋建設が決まり、現在の姿になった。
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美術館側から昇り始めると、橋の一番高い地点まで53段を上る。そこからステファノ広場側へは50段の階段しかない。両岸の高さが違うためにこのようなことになっているのだろう。もともと別の島を橋でつないでいるということを、こんな事実から再確認することになる。
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この橋からサンマルコ方面を見ると、ちょうど正面にサルーテ教会の優雅な円形のクーポラが望め、運河にはゴンドラの浮かぶ風景が展開する。
ある冬の夜、ステファノ広場で開かれていたクリスマス市の帰りにこの橋を渡った。橋げたのカーブが、岸辺の古い館から漏れる照明に包まれてシルエットとなって目に迫ってきた。空は深い青。とても幻想的でしばし見とれてしまったことがある。
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③スカルツィ橋
サンタルチア鉄道駅で電車を降り、駅構内を過ぎると、広場の前方に高々とアーチを描いた橋がそびえている。ヴェネツィアでまず最初に目にする独特の印象的な風景だ。この橋もオーストリア支配下だった1858年に建設された。こちらは石の橋。
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どちらから昇っても階段は40段ずつ。アカデミア橋より高く見えるのに段数が少ないのは、一段の間隔がこちらの方が大きいことによるようだ。
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④第4の橋
大運河の橋は、ずっと上にあげた3本の橋だけだったが、2007年、本当の西の端ローマ広場のヴァポレット停留所近くに新しい橋が出来た。スカルツィ橋以来約150年ぶり4本目の橋だ。
ヴェネツィアに入るには、鉄道ならサンタルチア駅に直接到着するが、飛行機の場合は陸地の空港から船で入るか、バスでローマ広場に来ることになる。車はすべてローマ広場でストップとなり、ここで別の交通手段を使わなければならない。
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この橋の建設によって最も便利になるのは、同広場から鉄道駅への通行だ。これまではヴァポレットで駅まで行くか、すごい遠回りをしてスカルツィ橋を渡るしか手段がなかったが、今はほぼ直線距離を歩いて駅に着けるようになった。スペイン人の設計ということだが、あまり優雅ではなく、実用重視といった鉄の橋。路面が滑りやすいという声も聞かれる。