金堂の東側に校倉造りの建物が2棟並んで建っている。手前にあるのが経蔵。寺の創建より前からあったもので。日本最古の校倉とされる。
その奥が宝蔵。宝物を収蔵する建物だ。
北に歩いてゆくと。開山堂が見える。元々は徳川家歴代の御霊殿として建てられたが、明治になって鑑真和上の像の安置所となり、像が御影堂に移されたのちはお身代わり像を置く場所になっている。
国宝の和上像は年に3日しか開扉されないため、常時参拝できるようにと代わりの像が製造されたという。
句碑を見つけた。見ると、松尾芭蕉の句が刻んである。「若葉して 御目の雫(しずく) ぬぐははや」
芭蕉がここを訪れたのは1688年。若葉の伸び始めた春の季節だったのだろう。「せめてこの若葉で目の雫(涙)をぬぐって差し上げたい」 との思いを句にしたのではないだろうか。
もちろん、鑑真和上が失明という大きなハンデをものともせずわが国を訪れ、仏教界に正しい戒律を指導し続けたという歴史的事実を踏まえたうえでの句だ。
歩いて行くと杉木立が目前に広がった。
そして、地面はびっしりと苔で覆われており、
その光と影が、様々な構図を地面いっぱいに展開している。
また、苔から張り出すように顔を出す根の生命力もまた、力強さを感じさせる。寺の境内とは思えない広々とした緑地。
さっそうと伸びやかに直線を描く木立と、地面にしがみつくかのように覇を競う苔と根っこ。そんなコントラストを、とても興味深く眺める時間があった。