新イタリアの誘惑

ヨーロッパ・イタリアを中心とした芸術、風景。時々日本。

上野歴史散歩⑱ 「打者」「走者」などの野球用語を創作した正岡子規の名が球場名になった

2022-10-14 | 上野歴史散歩

この辺で公園中央の広い道路を横断して、駅側(西郷さん側)の彰義隊墓所のある所へ戻ろう。

 正面に上野の森美術館がある。この美術館はフジサンケイグループによる民間美術館。同公園内の他の美術館はすべて国立や都立などの公立美術館で、民間はここだけ。それだけに公立では出来にくいような自由な展覧会で注目を集めることがよくある。2014年の「進撃の巨人展」などが、その例だ。

 私が訪れた時はちょうど「キング&クイーン展」が開催中で、エリザベス女王の巨大な肖像画がポスターになっていた。女王はつい先日亡くなったばかりで、このポスターを見て、改めて壮大な国葬の様子を思い出している。

 美術館を過ぎると、何と球場が出現する。この名称は「正岡子規記念球場」。著名な俳人正岡子規は、野球をわが国に紹介した人として2002年には野球殿堂入りも果たしている。

 野球は明治初期に日本に伝来したが、その初期から子規は野球に親しみ、著作の中でも紹介している。その際英語の訳語として使用した、打者、走者、直球などの言葉は今でも野球用語として定着している。

 この球場では明治19年~23年にかけてしばしば自らが野球を楽しんでいて、公園の130周年を記念して子規の名を取った球場名が付けられた。

 2006年に建てられた句碑には「春風や まりを投げたき 草の原」と刻まれている。なお、彼のポジションは捕手だったという。

 球場の近くにあるのが「時忘れじの塔」。1945年3月10日、東京は米軍による大空襲を受けて焼野原と化したが、その犠牲者を供養し、惨事を風化させまいと、2005年に慰霊碑が建てられた。

 寄贈者は海老名葉子さん。先代の落語家林家三平師匠夫人だ。

 日本芸術院の角からJR上野駅につながる大きな階段と橋が出来ている。2000年に竣工した。

 そこに付けられた名前は「パンダ橋」。やはり上野とパンダは切っても切れないものになっている。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 上野歴史散歩⑰ 照明に照らし... | トップ | 上野歴史散歩⑲ 我が国のクラ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

上野歴史散歩」カテゴリの最新記事