神戸市役所庁舎の南に東遊園地がある。
ここは明治維新直後の1875年、居留外国人専用の運動公園として開放されたのが始まりだ。
現在では、市民の憩いの場であるとともに、阪神淡路大震災の記憶を風化させず、いつまでもとどめるための場所にもなっている。
今年も、大震災発生時の1月17日、ここで鎮魂の祈りをささげる集会が行われた。今年は能登半島の大地震発生直後だったため、「ともに」という言葉が添えられていた。
広場の中ほどに「慰霊と復興のモニュメント」と題された区画がある。一見ただの噴水に見える。
近づいてみると、こうした銘板が貼られている。
地下に入る階段を降りると、円形の空間になっていて、周囲の壁面にびっしりと人の名前が刻まれている。これは大震災後の2000年1月、いつまでも記憶を留めおこうと建設された。
犠牲者と建設の際の寄進者名が並んでいる。昨年末で名前は5047人になっているという。
天井を見上げると、噴水の水と水音がガラスを通して聞こえてくる。当時をしのぶための「瞑想空間」となっている。
また、近くには「希望の灯り」と題されたモニュメントもあった。
遺族や関係者によって建立されたもので、被災市町などから集めた種火を灯し、「生きている証」としての灯を保存し続けようとの願いが込められている。
29年前、取材で神戸を訪れた時のことです。長田区の瓦礫になった街並みの中で、一軒だけ再開した店がありました。
「カレー500円。皆さんどうぞ!」
その店に入ってカレーを待つ間に、一人の年配者が入ってきました。
彼をみつけると、私の隣にいた老人が大声を上げました。「あんた 生きとったんかいね!」
二人は抱き合うようにして再会を喜ぶ一方、ボロボロと涙を流し合いました。
隣組だった二人は、お互いに焼け出されて家族を失い、一時避難後にやっとその日、自宅跡に戻っての再会とのことでした
地震と火災発生から2週間後の午後でした。
自然災害は一瞬にして人の運命を大きく変えてしまいます。
物理的な損傷とともに、心にもまた消えることのない傷が刻まれてしまう。そんな恐ろしさを実感した現場での思い出です。