モンマルトルのクリシー広場からサンクトペテルブルク通りを南下して行くと、すぐ左手39番地にマネ最後の家がある。1878年にここに越してきて、5年後の1883年に51歳で亡くなるまで過ごした場所だ。
1881年、この家で、マネは生涯最後の大作に取り掛かっていた。すでに彼はその前年頃から健康状態が悪化していた。医師からは田舎での休養を勧められ、一時パリから離れたヴェルサイユで療養するほどだったが、彼の絵への情熱は少しも衰えていなかった。
新作のテーマは、当時パリで最も人気のあったカフェコンセール「フォリー・ベルジェール」を舞台とした、華やかなパリの夜のひと時を切り取ること。
カフェコンセールとは、飲み物とともにオペレッタなどの出し物を提供する流行の社交場だ。
そのフォリー・ベルジェール劇場が今もあると聞いて、出かけてみた。地下鉄ノートルダム・ド・ロレット駅から東方向に約300mも歩くと、朝日を浴びて輝く建物がすぐに見つかった。
正面の白い壁面中央に、金の浮き彫りがなされている。よく見ると、女性がダイナミックなゼスチャーで踊っている。いかにも華やかな装飾だ。
両サイドにも金のレリーフ。3つの仮面があしらわれている。
この日はちょうど休演日らしく中には入れなかったが、元気だったマネもこの場所に足しげく通ったのかと思うと、あの髭のおじさんが劇場内のバーでカクテルでも飲んでいる様子が、おぼろげに脳裏に浮かんでくる思いだった。
連夜歓楽の饗宴を繰り広げる夜の社交場。ロートレックやドガは主役にスポットライトを浴びる演じ手を選んだが、マネは違った。
絵の中心に立つのは、バーカウンターの給仕娘。彼女は実際に店で働いていたシュゾンという女性だ。
ただ、マネには店に出向いて制作するだけの活力は残っていなかった。そこで、友人たちが行ったのは、急遽マネのアトリエにバーカウンターを設置し、シュゾンを連れてくること。
再現された‟劇場空間”で、マネは残された情熱を振り絞って大作にのめり込んでいった。
ちょっとご無沙汰しておりました。
久し振りにこちらへお邪魔して、マネゆかりの場所を
旅するような気持ちで、
とても楽しく読ませていただきました。
そういえば、以前私のブログ記事へのコメントで、「藤田嗣治の
『カフェにて』の絵を見て、『フォリー・ベルジェールの酒場』を思い出した」
という方がいらっしゃいました。
「人生をあきらめたような虚ろな表情が似ていたから」だそうです。
私にはそうは見えなかったのですが、なかなか興味深く感じました。
続きの記事も楽しみにしております。
コメントありがとうございます。
マネのシリーズは、元々マネの作品が好きだったことと、偶然サンジェルマン・デプレで彼の生家を見つけたことから企画しました。
好きな作家を自分の足で追いかけながらのパリ散歩は、とてもワクワクした気分の毎日でした。
「フォリー・ベルジェールの酒場」のついては、次回にもう少し掘り下げて感想を書くつもりです。またお立ち寄りください。