自分一人のものが夢。みんなで共有できる夢が志だ。
孫 正義
Aug. 11, 1957 -
【RE100倶楽部:水素運搬プラスチックの開発】
● エネルギー問題に終止符かそれとも?
20年前頃に盛んに研究開発されたポリケトンもしくはポリケトンポリマーが話題となっている。9月
30日、早稲田大学の研究グループが、水素をためた状態でも手で触ることができる素材「水素運搬プ
ラスチック」――研究グループは、プラスチックシートとして成形できる「ケトンポリマー」を水に浸
し、マイナス1.5ボルトの電圧をかけると、水素が固定された「アルコールポリマー」が生成される
ことを明らかにし、このポリマーを80℃に加温すると水素ガスを放出し、水素の固定と放出のサイク
ルを簡単にに繰り返すことを突き止めた――を開発したことを公表。両ポリマーは、室温・大気下で長
期保存できる。特別な装置が必要なく、身近な場所で水素が貯蔵できるため、地域分散型のエネルギー
システム構築できる期待される。従来法では、水素は高圧ボンベなどでの保管・運搬や爆発の危険など
課題が多く、安全で効率良く水素を運搬できる素材の開発が望まれていた。つまり、今回の研究成果は、
プラスチックシートとして成形できるケトンポリマーを水に浸し-1.5Vの電圧をかけると、水素(2
H)が固定されたアルコールポリマーが生成されることを発見し(水素固着)アルコールポリマーを80
℃で加温すると水素ガスを放出したことが世界に先駆けて実現したことである。
図:(a)は5グラムスケールでフルオレノンとフルオレノールヒドロゲルのシート(水素放出後)ガス
バリア袋を用いて封止したフルオレノールシート。(b)水素固着-放出サイクルの模式図。(c)フ
ルオレノンとフルオレノールポリマーの調製スキーム。
● 技術背景
「水素」をエネルギー源の一つとする社会の実現に向けて、施策と研究・開発が進んでいる。しかし、
水素は高圧ボンベなどでの保管・運搬や爆発の危険など課題が多く、安全で効率の良い水素キャリア(
運搬体)の開発が望まれている。有機物の中には化学結合で水素を固定し、また放出するものがある (例
えばアンモニア(NH3)は窒素(N2)に水素ガス(H2)が固定され生成)。しかし水素の固定・取り出しには高
温・高圧を要し、揮発・毒性などの観点からも扱いは容易ではない。水素の貯蔵・運搬・放出において
エネルギー負荷が少なく、かつ安全で軽量な、まったく新しい形式の水素キャリア(運搬体)を実現しよ
うとした。
● 新しく開発した手法
プラスチックシートとして成形できるケトンポリマーを水に浸し-1.5Vの電圧をかけると、化学結合
によって水からプロトンが取り込まれ、水素(2H)が固定されたアルコールポリマーが生成されることを
見出した。さらにアルコールポリマーは80℃の加温により水素ガスを放出した。水素固定と放出のサ
イルは温和な条件下で簡易に進み、繰り返せた。
- 「水」をプロトン源として水素(2H)をケトンポリマーに固定できた。水素をアルコールポリマー
の形で貯蔵。このプロセスは-1.5Vの電圧印加(簡易、一時間程度)で進む。 - 80℃の加温により水素ガスが発生し、ケトンポリマーに戻る。1gのプラスチックから約30
mlの水素ガスが発生(一時間程度)する。 - 上記の水素固定-水素発生は繰り返せる(50回試験、性能減少はわずか)。
- アルコール、ケトンポリマーはともに安定、室温・大気下で長期保存することが可能(1ヵ月後
も変性なし)。
● 今後の課題
質量水素密度(1.1 wt%)が低いことが課題であり、よりコンパクトな――例えば水素定着ユニット
として、ピペラジンテトラノール(2.8重量%)など―― 分子構造のアルコール、ケトンポリマーで
検討中であるという。
図:AN電解質中で測定された10クーロンの速度でフルオレノンポリマーの曲線を放電/充電する。
挿入図:ポリマー層中の電荷伝播の概略画像、フルオレノンポリマー層中のフルオレノールユニッ
トのフルオレノン変換プロットは電解AN/水電解液で減少。フルオレノンポリマー被覆電極の理論
容量は、0.2mg のポリマーあたり52 mC。破線は、通過した電荷を持つ理論的な変換を示す。
s.d.のエラーバー5つのサンプルから計算。
doi:10.1038/ncomms13032
図:同様のプロトン伝播は、ハイドロキノンのポリマーを用いて検討。しかし、それらのほとんどが原
因ホッピング非常に遅い電子/プロトンのとポリマーの疎水性の水性媒体中で電気化学的に不活性
であった、と酸化還元活性の例は、非黒鉛炭素上にコーティングされた非常に薄いキノン層に制
限。フルオレノン高分子ヒドロゲルは、おそらくフルオレノン単位の適切なネットワーク構造と親
水性ゲル状態に、電気化学的に有効電荷およびプロトン伝播またはホッピング両方が発生する(図
2 挿入図 図3(b))。電解還元及びフルオレノンポリマーの連続水素化は、室温で水性電解質の
存在下で進行していることに要注意。
※ 関連資料
・「特集|水素貯蔵プラスチック」(環境工学研究所 WEEF、オールソーラーシステム code No.20161007_01)
このニースリリース資料と技術論文で、一番の疑問は、ケトンポリマー(二官能性フルオレノン、フル
オレノール誘導体、2,7-ビス[2-(ジエチルアミノ)エトキシ] -9-フルオレノン)の膨潤→繰り返し使
用の耐久性→機能性有機化合物特有のターンオーバーの有無。本当に「半永久使用可能?」である。ま
あ、この問題はここではおいておこう。次に、非黒鉛化炭素(=グラシアカーボン)に非被覆し電極形
成するフルオレノンポリマーの厚み。これは1μm の均一な膜で被覆し実験し、フルオレノンポリマー
層は水で膨潤したが、アセトニトリル(AN)またはそれらの混合物が不溶出であったとする。つまり、
実用的な最適膜厚と言い切れるのかという点。非黒鉛化炭素(=グラシアカーボン)に変わる導電体と
模索した場合、カーボンナノファイバー(ナノワイヤーあるいはナノドット)あるいはグラフェンフィ
ルムを使ってフルオレノンの表面積の最大化を図ることで、水素放出の最大化(=単位重量あたりの水
素生成量)を考える上の重要因子であることへの疑問である。さらに、今後の開発戦略について。ここ
では分散型のコンパクトな可搬ツールを想定しているが中・大規模の水素固定(固着)/水素放出シス
テムへの展開が示されなかった点である。その他、詳細な疑問などはここでは保留しておくが、この3
つの疑問の最後の点に触れてみよう。
What to expect from your biomass boiler
水素固定(固着)工程での電源は、太陽光、風力、水力などの再生可能エネルギーで賄うとして、水素
放出の加熱エネルギーにバイオマスボイラーからの熱エネルギーを使用し、水素ガスは燃料電池で電力
変換するシステム考えてみた(要特許申請)。こうすれば、百パーセント再生可能エネルギーで賄える。
後はエネルギ&マテリアル収支と個別機構・機能・品質設計へと続く。この発明がここまでいけば、エ
ネルギー革命となり世界を席巻することとなる。ビバ!エネルギー革命、百パーセント再生可能エネル
ギー倶楽部は終焉する、これは愉快だ。
【我が家の焚書顛末記 Ⅴ:中国思想 管子】
● 管仲の生涯
「管鮑の交り」という故事がある。管仲と親友鮑叔牙の友情物語をもとにしたことばで、真の友情
をたたえる意味に使われ、唐の詩人杜甫などは、軽薄に堕した人情をなげいて「君見ずや管鮑貧時
の交り、この道いまの人捨てて土のごとし」とうたっているほどだ。
が、管仲の真骨頂は、こうした故事とは別のところにある。かれは、社会経済の発展過程と客観
的条件とを冷静に見きわめ、いかにして斉の富国強兵をはかるかに一生を終始した。意地の悪い見
方をすれば、そのために友情をも踏み台にしたとさえ考えられるふしがある。
管仲、名は夷吾、字を仲、または敬仲といった。『史記』によれば頴上の生まれということにな
っている。
頴上は、安徹宵の西部にある高菜の中心地で、穎水のほとりに位している。頴水は頴上から東南
に五十キロ流れて池水に合流する。『漢書』地理志によれば、頴水も混水もその流れは背とほとん
ど変わっていない。頴上は水運の使がよく、ここから池水に沿って東流すれば江蘇や山東に出られ
るし逆に頴水を題ると河南平野に達する。おそらく春秋の時代にもここは商業都市として栄えてい
たのだろう。計数に明るく、需給のバランスを言祝するというかれの考え方は、その生い立ちの環
境に関係があるといってよい。
管仲の青少年時代については、いわゆる「管鮑治の交り」以外には、知るすべはない。かれは鮑
叔牙とともに斉の唇公に仕え、管仲は公子紅、鮑叔牙は公子小白の、それぞれ教育係になった。紅
と小白との相続争いで、管仲は治政牙と敵味方になって戦い、結局、紅・管仲側は敗れ、紅は殺
された。しかし、管仲は親友鮑叔牙の推挙で、敵だった小白に仕えるようになった。小白は斉君と
なり(斉の桓公)、管仲は桓公の宰相にとりたてられた。それから四十数年、管仲は桓公を補佐し
て、斉の黄金時代を築きあげるのである。
当時、四百年以上にわたって中原に君臨してきた周王室の統刺刀は次第に衰え、斉、楚、晋、秦、
燕、魯など太小数十の諸岡が群雄割拠し、兼併をすすめていた。周王室の東遷から始まる春秋時代
の初期から中期にかけての時代である。内には、後述するような社会変革が徐々にすすみ、外から
は夷秋の脅威がせまっていた。
斉は、周王朝の成立とともに太公望呂尚が封ぜられた地であり、臨瑙(現在の山東省)に都して
いた。降って春秋中期から戦国時代に至ると、臨晶は古代中国における最大の都市のひとつとなる
のだが、桓公以前の斉は、黄河下流にあって海をひかえるとはいえ、海運がさはどの役割をもたぬ
当時の中国では、中原の中心から東にへだたった後進地域にすぎなかったであろう。その斉の君主
となって早くも七年目(前679年)に、桓公は衛の直に諸侯を召集して会議を主宰し、"覇者"の
地位を確保している。覇者とは、名目的な周王室に代わって実質的に諸侯を統制する盟主である。
いうまでもなく、ここには宰相管仲の政治力があった。たとえば、それより二年前、桓公が魯に
戦勝して平和会議を開いたときのエピソードがある。会議の岸上、魯の将軍曹沫が短刀をかぎして
桓公に迫り、「侵した領土を返せ」と迫った。桓公は一度承知しながら約束を履行せず、曹沫を殺
そうとした。管仲はそれをおしとどめて信義を説き、領土を返させた。その結果、桓公の名声が諸
侯の間にひろがったのである。
桓公は在位四十三(前685~前642)年の問に、北は現在の河北省北部、西は大行山脈、南は河南省
中央部あたりまで出京している。当時としては全中国といってもよい。もともと桓公自身は、凡庸
といってもよく、自力で覇者になり得るほどの素質をもっていない。「桓公が諸侯をひきいて天下
の政道を正したのは、管仲のはかりごとによる。……管仲は貨物を交易して財をつみ、国を富まし
兵を強くし、世間の好悪にさからわぬような政策(※重商主義)をとった」(『史記』貨殖列伝)。
「管仲が宰相となるや、経済官庁(※財務省)を設置し、物価調整法を立案して、みごと再建に成
功した。その結果、斉君桓公は覇者として諸侯を統率し、天下をひとつにまとめることができたの
である」(『史記』貨殖列伝)。
管仲は「周官」にある制度を再編成し、より合理的な法律や制度を制定した。内政の充実をはか
ると同時に、対外的にも適切な政策を実施した。またかれは、周王朝の威信をもりたてることによ
って斉国が天下に覇を成すための大儀名分とした。まず自ら周王室に朝貢し、周に入貢しないこと
をとがめて諸侯を伐っている。また管仲は、今口でいう「小国の集団防衛」に近い考えをもってい
た。諸侯は一つの先進国家――つまり斉――の指導のもとに、ブロック国家をつくるべきだと説い
た。管仲の治政は、小は斉一国の強大化から、大は天下の平和維持へと、大きな実績を残すことが
できた。管仲の人となりや思想には反感をもっていた孔子も、その政治上の功績は認めざるを得な
かった。『論語』憲間篇にこんな話がある。
子貢がいった。「管仲は仁義のある入門ではありません。主君に殉死することができなかったば
かりでなく、そのうえ、自分の主君を殺した桓公に仕えています」
すると、孔子は、「管仲は桓公をたすけて、諸侯を指導し、天下の平和を維持させた。庶民なら
は今でもその恩恵をうけている。もし管仲がいなかったら、とうの昔にわが中国は夷狭に占領され、
今頃、われわれはザンバラ髪に左前というエビスの風俗を強制されていたであろう」
――桓公の治世四十一年目(前645年)に、管仲は死んだ。かれが死ぬと、桓公はたちまち無
能ぶりを発揮し、管仲の遺言に従わなかったため、五人の公子の相続争いが表面化している。管仲
の死後二年して、桓公も世を去るが、相続争いに熱中した公子たらはその屍を六十七日間も放置し、
「蛆がわいて戸外にはいだした」(『史記』斉太公世家)という。
尚、「※」の箇所は小生の注釈、加筆。
● 『管子』の思想
管子は法家の祖とされている。これは『回書』経籍志で法家に列されてからの一般的な伝統でゐ
る。また一部では、かれを道家の筒躊にいれている。これは『漢書』芸文志で道家に列しているこ
とに端を発している。
しかし、『管子』を法家または道家の言という分類で概括してよいだろうか。これは『管子』の
思想を一つの型にはめようとするものであり、いわゆる諸子百家ということばにとらわれすぎるた
めである。こうした分類には、今日的な意義はあまりない。
既述のように、管仲は思想家というより政治家であり、経済政策のプロモーターであった。したが
って、『管子』は信書のような道徳教科書ではなく、広い意昧での政治綱領というべきものである。
ここでは、その経済政策や政治綱領の中にあらわれた気長な思想を、いくつかとりあげてみよう。
唯物的な立場 管仲を、厳密な意昧での唯物論者ということはもちろんできないが、かれは古代
中国の思想家のなかで、はじめて唯物的な立場を明確に打ち出した人物である。かれはいう。
「日々の慕らしが楽になれば、自然に礼儀をわきまえる、生活にゆとりができさえすれば、道徳意
識はおのずと高まる」(牧民篇)。
「"金持ちケンカせず"といわれるように、物質的な面で苦労がなければ争いはおきるものではない。
"食物の怨みは長い"ともいうが、食うのに事欠くことがなければ、人を怨む者はいなくなる」(禁
蔵笥)。
「物質の豊富なことで天下一の国でなければ、精神的に天下をリードすることはできない」(七法
篇)。
ここには、いわゆろ「先王の道」という発想はない。物質的条件を重くみるというこの考え方は、
当時、急速にすすんだ農業生産力の発展を反映しているとみることができよう。
儒家の説く仁・訟・礼・智・信も、法家の強調する法律も、兵家の目的とする戦争に勝つ方法も、
すべて物質的な基礎を確立しなければ、机上の空論に終わるだけだというのが、『管子』の根底に
流れる思想である。
この時代と比較しても意味ないかもしれないが、現代の日本は「軍事力整備」という点では経済的側面
では、金額的にも、生産力に占める割合からも、突出していな唯一の先進国であり、経済力や文化的側
面では突出した国力(政治・経済・文化・環境・人権)の総合的な意味合いで)をもつ特異な国家――
細かな点での問題点を列挙すれば、世界の中位に格下げされるきらいは否定できないにしても、評価さ
れて良い――である。さて、この本と関連しで、あるは、まったく独立して考えを認めていく。速度を
上げて読み進めていこう。
この項つづく