芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

鬼門封じの明神さん遷座のお祓い

2009年06月05日 | Weblog
午前11時に、登米神社の女神主が来た。神主と宮司の違いが分からないので、あるいは、女宮司なのかもしれない。
鬼門封じの小祠のシン抜きをしてもらった。中庭の一番東北角は、小学校前の通りであるから、祝詞を読む声が、生け垣えを越えて、道路を歩く人々に聞こえたらしく、立ち止まる人もいたようだ。
一升瓶の酒、米1升、塩一握りを用意するように宮司にいわれ、玉串料と合わせて用意しておいた。祝詞を読んで、礼拝も終わってから、塩と紙吹雪を混ぜて、水の干上がった池の中を歩いて行って、それを小祠に振りかけた。
次回は、シン入れというのをするそうで、その時に、木のお札を小祠の龕に入れるので持って来たが、大きすぎるのと、龕にふたがないので、石で大明神と掘ってもらっておいてほしいと言う。早速、五島石材に電話して頼んだら、大明神の文字は私が筆で書くことにして、明日、石の寸法をとりにくることになった。
宮司に対しては、次のように説明をしておいた。「この明神さんは、江戸時代に置かれたものであろうから、神仏混淆の時代のものであり、廃仏毀釈をした明治維新以後の天皇の祖先を祭る現在の神道とは違うから、それはそれで良いので、今の神道のしきたりでなく、神仏混淆の時代のしきたりのまま、その明神さんは、鬼門封じとして、東北角に床より高くしてそのまま置くことにした。
日本には、神仏混淆が相応しいと思う。そうでないと、人を大量に殺すことが、正義であるという近代戦の論理になって、世の中は、殺伐としてしまう。