芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

神道を教える大学もあるのかも

2009年06月06日 | Weblog
雨の中、午前中に五島石材が来て、明神さんの台座や、龕の大きさを測り、わたしの書いた「大明神」と言う文字を持って行った。台座になる大きな井内石は見付けるのに時間がかかると言うので、黒い御影にしていいことにし、文字を掘って龕の中にいれる小さい石は、友石の井内にすることにした。それでも、工事に書かれるのは、20日頃になるという。
午後から佐藤元大工さんが、また、さやえんどうを持って来てくれた。佐藤元大工さんと五島石材は、同じ金谷のすぐ近くで、五島石材には、石は置いてなくて、墓石も他所の町の石屋に丸投げで作ってもらうのだそうだ。確かに、石屋は、トヨマには五島石材しかないが、殆どの家が、はかを持っているから、新たに墓石を建てる家はないかもしれない。五島石材には、文字を掘る器械はあるそうだ。佐藤元大工さんは、ともかく登米の人のことを良く知っている。私の家の小作人のことも良く知っていて、ある小作人で、私の母と支払いについて争いになったその代々の主人について、あまり感心しない性格の一家だと直ぐに言い当てる。そのような事があったなどとも言っていないのにである。また、誰々の婿は、ぬかるみにあんこみたいな性格だともいう。要するに、物事をはっきりと決められない人を言うらしい。これはどのような人か分からないが、女宮司の主人も婿のようだ。女宮司は、大学を出ていて、神官職のくらいがその父親より高いのだそうだ。神官職を育てる大学もあるのかもしれない。国家神道を組織化するのだから、全国の神社を靖国や伊勢神宮に系列化するためにも当然あるのであろう。