昨日まで、豪雨のため、また、宿舎のインターネットがつながらなかった。その上、研究室の卓上パソコンが故障して、使えず、どちらも駄目なので、ブログはお休みであった。今朝やっと繋がった。
日曜日に、語学部の会議室で、「21世紀のアジアにおける日本語の重要性」という主題のシンポジュームが開かれ、デリー大学、ネルー大学の教授と元教授が主になって、進められ、学生達の参加も多く、日本語を取っている学生達はそれぞれ、6ヵ月の証明書コースが終わったあと、ディプロマ・コースに行きたいと言っていた。元教授で、竹山道雄の「ビルマの竪琴」を訳したガンガープラサード・ヴィマル教授に、この大学の委員会の一人であるから、ディプロマのあとのコースも用意したほうが良いと進言したところ、そのあとに、アドヴァンスト・ディプロマ、インターン・コースに続いて、修士課程も作りたいと言っていた。そこまで出来れば、趣味的な日本語授業が、本格的な授業になる。そうなれば、日本から若い日本語教師を呼ぶことが出来る。と思ったが、それぞれの教授達が、自分の大学から教師を派遣したいと言い出した。当然と言えば当然だが、ここに日本語研究の砦を築くには、日本から教師を呼ぶのが一番であり、問題は、ここまで来る交通費が自前であることと、給料が日本に比べて、安いことである。若い日本人教師には負担が大きい。ただ、来てしまえば、給料が安くても、生活費は安いから、食うには困らない。あとは、ここで単に日本語教師をするだけでなく、自分なりの将来設計をして、研究題目なりを作ることだ。
そんなことを来る前に、東京外国語大学の副学長や、日本語科の教授に話しておいたが、どう対応するものか。
日曜日に、語学部の会議室で、「21世紀のアジアにおける日本語の重要性」という主題のシンポジュームが開かれ、デリー大学、ネルー大学の教授と元教授が主になって、進められ、学生達の参加も多く、日本語を取っている学生達はそれぞれ、6ヵ月の証明書コースが終わったあと、ディプロマ・コースに行きたいと言っていた。元教授で、竹山道雄の「ビルマの竪琴」を訳したガンガープラサード・ヴィマル教授に、この大学の委員会の一人であるから、ディプロマのあとのコースも用意したほうが良いと進言したところ、そのあとに、アドヴァンスト・ディプロマ、インターン・コースに続いて、修士課程も作りたいと言っていた。そこまで出来れば、趣味的な日本語授業が、本格的な授業になる。そうなれば、日本から若い日本語教師を呼ぶことが出来る。と思ったが、それぞれの教授達が、自分の大学から教師を派遣したいと言い出した。当然と言えば当然だが、ここに日本語研究の砦を築くには、日本から教師を呼ぶのが一番であり、問題は、ここまで来る交通費が自前であることと、給料が日本に比べて、安いことである。若い日本人教師には負担が大きい。ただ、来てしまえば、給料が安くても、生活費は安いから、食うには困らない。あとは、ここで単に日本語教師をするだけでなく、自分なりの将来設計をして、研究題目なりを作ることだ。
そんなことを来る前に、東京外国語大学の副学長や、日本語科の教授に話しておいたが、どう対応するものか。