中国人学生達が歌っていた仲秋の名月を愛でていた歌が美しかったので、聞くと蘇軾の詩だと言う。昨日、朱君という学生がその歌を携帯からわざわざ私のパソコンに入れにきてくれた。
蘇軾は蘇東坡ともいうことは、何となく記憶しているが、日本の平安時代にあたる中国の不遇の政治家・詩人が作った詩が今でも口ずさまれていることに驚いた。メロディーは今の物であろうが、大半の意味は分からなくても、ともかく聞いていて美しい。日曜日には、高校英語教師の家で、ガネーシャ神を川に流しに送り出す儀式で歌われたヒンドゥー教の讃歌を子供達も覚えているのに驚き、さらに、中国人学生達が千年前の歌を皆で歌って踊っているのを見て驚かされた。
翻って、日本の都会の子供達は、どうであろうか。新しい輸入学問を学校教育のみに頼っているのかもしれない。昔からのしきたりは田舎でしか見られないが、その田舎も今は、年寄りばかりになり、あまり、文化の継承が出来なくなってきている。
そこに持って来て、放射能禍である。
蘇軾は蘇東坡ともいうことは、何となく記憶しているが、日本の平安時代にあたる中国の不遇の政治家・詩人が作った詩が今でも口ずさまれていることに驚いた。メロディーは今の物であろうが、大半の意味は分からなくても、ともかく聞いていて美しい。日曜日には、高校英語教師の家で、ガネーシャ神を川に流しに送り出す儀式で歌われたヒンドゥー教の讃歌を子供達も覚えているのに驚き、さらに、中国人学生達が千年前の歌を皆で歌って踊っているのを見て驚かされた。
翻って、日本の都会の子供達は、どうであろうか。新しい輸入学問を学校教育のみに頼っているのかもしれない。昔からのしきたりは田舎でしか見られないが、その田舎も今は、年寄りばかりになり、あまり、文化の継承が出来なくなってきている。
そこに持って来て、放射能禍である。