12日、メーガーラヤ州の首都シロングに行った。驚いたことに、日本によくある松林と同じ松林が街の至る所にあり、その緑を背景に、桜が咲いている。ソメイヨシノのように、花だけが咲いている。これを見ただけでも満足である。バーラティ教授は2時間くらいと言っていたが、実際には、道路は広いものの、工事中で、4時間かかった。この地域は、カシ族の住んでいる所で、言葉もカシ語だと言う。タゴールの住んでいたというしゃれた家があり、その前に最近造られたタゴールの像が建っていた。この建物は、インド政府が奨学金を発行する事務所になっている。この街は、首都であるにもかかわらず、空港が小さくて、週に数便しか飛んでいないのに、空軍基地が広い。街を見下ろす所に、空軍が、有料で一般人を入れていて、我々も運転手を含む4人分の40ルピーを払って入ったが、切符は発行しないで、金だけ取られた。恐らく、その係のポケットマネーになるのであろう。そこには、土産物屋が数軒店を開いていて、この場所代は、空軍幹部の小遣いになっているに違いない。こんな山間の狭い場所に空軍が幅を利かせているのは、前の大戦で、インパール作戦の日本軍に対して空輸によって敵対したからであろう。山道をここからインパールに行くには相当大変な悪路であろうが、飛行機ならすぐだ。気候は、夜には、セーターがいるほどに冷えるのは、標高1,800mくらいあるからだ。
英軍のこの空輸作戦に対して、牟田口司令官率いる日本軍は、英軍が逃げて置いて行ったものを使うことを前提にしているから、前線から求められた補給をまるでしなかったと言う。そのため、飢えとマラーリヤで多くの兵士が死んで行ったようだ。
英軍のこの空輸作戦に対して、牟田口司令官率いる日本軍は、英軍が逃げて置いて行ったものを使うことを前提にしているから、前線から求められた補給をまるでしなかったと言う。そのため、飢えとマラーリヤで多くの兵士が死んで行ったようだ。