芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

好事魔多し

2010年07月21日 | Weblog
今日は、照るちゃんのおふくろさんの葬儀が一時からであったが、暑い中で寺まで歩くだけでも大変だったから、葬儀の主催者側はもっと大変であったろうし、葬儀まで6日もかかるというのも、遺族には精神的負担が大きかったのではあるまいか。
最近になく暑い日で、葬儀から帰ってからも家の中でも汗をかいた。
午前中と夕方に佐藤元大工さんが寄って、奥さんの着物などを片付ける段ボールがいるというので、うちには段ボールが沢山あるのでそれを上げた。佐藤元大工さんの奥さんが脳梗塞で入院したために、家を片付けるのだそうだ。
次から次といろいろなことが起こるので、暑さがひとしおである。
明日、岸田さんがオール五本をご持参下さるとのことであるから、手伝える人に2時集合としていたが、11時に着くという最終メールだったので、夕方の作業を想定して、4時に変更したところ、気仙沼の千葉さんも来て、昼にダブルスカルに乗るということになったので、一人を11時に来てもらうことにまた変更した。小竹牛乳から船着き場まで200メートルくらいあるので、舟を運ぶのに手が必要だ。舟のことは分からなくても、力のある人には手を貸してもらうからだ。

老人医療

2010年07月20日 | Weblog
佐藤照夫君のお母さんが16日に亡くなり、坊主の都合で、今日が通夜だった。16日に我が家にドジョウを持って来てくれた時は、今週の木曜日に退院だから、忙しくて、22日の艇を運ぶ手伝いはできないと言っていたが、それから間も亡くなったのだ。豊里病院に入院させていたが、老衰という診断だったそうだ。確かに、96歳だからそう言われればそうかもしれないが、どういう判断で退院が一転老衰死になるのか。私の母も豊里病院経営の老人保健施設に入っていて、吐いたからと、直ぐ入院させられた。血液検査の結果はどこも悪くないから退院だが、点滴を受けているので、おかゆに戻すのに一週間かかり、老人保健施設に退院した時は、かなり弱っていた。腰が曲がっているから、食道に良く詰まらせて吐くのだが、それを、大げさにとられて、返って悪くするのだから、それを説明しておいても、市立の病院経営の老人保健施設だと、直ぐ入院させる。病院が近いから安心というのは当たらないのだ。その老人保健施設に一年いられないで、つい最近中田の老人保健施設に引っ越したら、たちどころに顔色も良くなった。こちらは民間である。私の母は93歳で間もなく九十四歳だから、なるべく入院させたくはない。しかし、今度入る予定の特別養護老人ホームは、トヨマの病院が廃院になったため、豊里病院に掛かることになるそうだから、困ったものだ。これが、やはり市立病院の佐沼病院だともっと問題だ。この病院は登米市の中核病院という位置づけなのだが、まるで中核病院経営の態をなしていない。それまでも、医者が辞めて行く傾向があったが、昨年からさらに4人の医者が辞めてしまったのだ。三陸道で石巻赤十字病院まで30分で行けるようになったのだから、20分かかる佐沼病院より石巻赤十字病院に行ける仕組みを早く作ればいいのだが、大赤字の登米市の医療はどういう仕組みなのか。

暑くなってきた

2010年07月19日 | Weblog
暑い季節になってきた。
国会が開かれていないが、開かれたら、政治状況は流動化するのではあるまいか。
日本の政治は、とかく、外国の影響下にあったが、今は、特にそうだ。現在の状況を作ったのも外国の勢力である。
そもそもが民主党政権ができると直ぐに、実力者の小沢一郎を排除するためにしつこくマスコミ主導で検察を動かしてきたのも、外国勢力の金をもらっていると思われる怪しい団体だ。その団体名をマスコミは明らかにせずに、単に市民団体が、と一回しか報道していない。同じ団体がなんども検察に訴状を提出し、政局の節目節目で、小沢一郎を引きずり降ろすために報道させるという、手を使って、それがいまだに続いている。
政治の理想を語っても、実力者がいなくては、現実の政治は動かせない。
賜杯をありがたがる国民性を利用し、その与える側を一家族に減らし、単純化した支配機構を創った外国勢力が日本を支配しているのが現状である。民主主義という名目で、市民団体にあたかも民主主義であるかのように代表させ、マスコミにそれを煽らせる仕組みを作っているのが、GHQ民間通信局調査課長として働いて、その後宮城県川崎町に住んで先日亡くなったクリントン・アルバート・ファイスナーである。こういう人物をきちんと調査すれば面白い事実が浮かび上がるであろう。
米国はその手法をイラークやアフガーニスターンに適用しようとして失敗に帰している。唯一成功したのが日本である。イスラームと国家神道の違いによるのだ。

記念式典の式次第構成に掛かる

2010年07月17日 | Weblog
とよま漕艇場開所式ということになると、その式典に、テープカットをすることにしようかと思い、河内文房具に問い合わせたところ、レンタルで、3人がテープカットすると、2万円強掛かるそうだ。しかも、どこかのレンタルの代理であるから、一週間は前に申し込むことになる。できるだけ安く押さえようと思い、役所関係で持っていないか聞いたが、なかった。ネットで見ると結構ある。ポールとはさみのレンタルが高い。それをなんとかできれば、1万円くらいに抑えられそうだ。今日、仙台に行くから、その一部でも買えないかと思い調べたが、皆、駅から遠い。インターネットの買い物が一番かもしれない。こんなド田舎でも、買い物はインターネットを使えば、都会にいるのと変わらない。インターネットできるようになって、実に便利になった。今回、とよま漕艇場を開所できるようになったのも、電子メールで、東京方面とやり取りし、中央大学に廃艇があることを直ぐに紹介されたからだ。この事の運びの速さに、田舎の現実生活が追いついていない。艇は、運んで来られたが、本来望んでいる国交省の土地に艇庫用地は相変わらず、入手できていない。意識の変革ができていないから、速さについて行けないままでいるのだ。
最近の政治もそうだ。方向性をしっかりと出さずに、煽って、アンケートなどという当てにならないもので、衆愚政治をもたらしているのが、マスコミだ。まずは安定政権を樹立させなければ、民生も安定しないのだ。小泉竹中の下で異常に増えた青テントの乞食生活者は、これではなかなか減らない。昔、インドは貧乏という代名詞であったが、日本がそれを追い抜いてしまった。

準備に追われ始める

2010年07月16日 | Weblog
伊藤哲朗さんに電話して、テントを借りる手だてを聞いたら、総合体育館に電話してくれ、そこからテントと椅子をセットで借りられ事にしてくれた。艇を置いているところに雑草が伸びてきたので、その草刈りを、伊藤哲朗さんが持っている草刈り機でしてくれることになった。いずれも来週だ。明日は、仙台一高の柔道部110年史の編集会議に仙台に行かなければならない。
来週後半、岸田光祐さんが、三菱養和会の余っているオールを運んできてくれることになっている。
それまでに、やらなければならないことが、いくつかあるから、だんだん8月1日が近づいてきて、忙しくなりそうだ。
式典の仕方も決めなくてはならない。テープカットもしたほうがいいか、祝辞の順序、艇に掛けるのは、酒にするかシャンペンにするかなどこまごまとしたことを決めることになる。
なにか、昔仕事をしていた時に戻っている感じだ。
ここに来て、照るちゃんのおふくろさんなどが入院したり、手伝えない人が出てきて、手も足りなくなっている。

とよま漕艇場開所式にテントの設置許可出る

2010年07月15日 | Weblog
今日、朝から曇りまたは、晴れていたので、国交省北上川下流河川事務所米谷出張所に、出かけようと思い、桜井所長に電話したら、休みということであった。一ヵ月前に申請しないと受け付けるのが難しいと言っていたので、おそらく、また、石巻事務所のほうにお伺いを立てたりするので時間がかかるのであろうと思い、石巻事務所の佐々木占用調整課長に電話した。忙しそうで、折り返し電話をもらい、私が米谷事務所に自転車で40分かけて行かなくていいように、4月に引き続き、午後2時に我が家にまた来てくれることになった。今回は、佐々木占用調整課長と末永係長が来た。
それまでに、河に行き、テントの設置場所を決めて、その地図を描き、話し合いに望んだら、その地点は、登米市に管理を任せている水辺プラザの一部であるから登米市の許可を貰っていれば、それで良いと言われた。何か拍子抜けである。しかし、登米市には既に7月31日から8月2日までのとよま漕艇場開所式にともなう水辺プラザ使用の許可を貰っているのであるから、これでテントを張る許可が出たのだ。
そのあと、艇庫用地確保のための今後の取り組みについて話し合った。
北上川のこのような利用の仕方は、いいことだねと、河北新報の記事を見た仙台の国交省河川事務所本部から電話があり、この企画に協力しているのだろうと言われたと言う。
8月1日のとよま漕艇場開所式には、佐々木占用調整課長も桜井所長も出席できないと言う。そこで石巻事務所長に出席できないか聞いてくれるように頼んだ。

おおむね役所関係は非協力的

2010年07月14日 | Weblog
先日、石巻の邉見清二さんに電話した。メールで、8月1日のことを知らせたが、戻ってきたからだ。北上川のことなら、彼が一番知っているので、昨年の平泉から石巻までの漕ぎ下りに協力してもらった。今回も8月1日の北上川とよま漕艇場開所式にぜひご参加を願った。快く引き受けてくれたが、8月1日の前夜祭をするからそれにどうかと誘ったところ、昨年末に腹を切って一ヵ月の入院をして、まだ本当でないと言う。私より若いし、まだまだ活躍してもらわなければならない。彼は、朝日新聞の石巻支局の記者に北上川の行事について、意見を求められたと言うから、マスコミの取材も手伝っているのだ。NHK石巻支局のほうには、私が連絡したが、まだなんとも連絡がない。今のところ、7月8日付けの記事にしてくれた「河北新報」と仙台放送、朝日新聞が興味を示してくれている状況だ。8月1日に取材してくれるかどうかは、その時のマスコミ側のご都合次第だから、あまり、期待はしていない。しかし、この行事によって一つの実績が認められれば、次なる一歩に踏み込める。この行事については、国交省の北上川河川事務所には一ヵ月前に案内を出しているが、なしのつぶてである。しかも、今日あらためて、川原にテントを張って式典をしたいと、申し出たところ、先ずは、来所されたし、その話しを聞いた上で、申込書をわたすが、許可するかどうかは分からないとのお達しであった。登米小学校にも教頭に話したが、父兄と直接話しをしてくれるようにとのことで、漕艇のような課外活動に学校は直接関与しないことが分かった。小学校の校庭で放課後生徒が野球をしているのも、親の責任においてしているのだそうだ。

老人保健施設と特別養護老人ホームの違い

2010年07月13日 | Weblog
昨日は、佐藤元大工さんが来たので、あらためて軽トラックで夕方ヤマカノに行ってもらって、木製パレットをまた8枚貰い、舟のウマ代わりにして、前貰ったのの上に重ねた。結構重いので、夕方にもかかわらず、佐藤元大工さんとともに一汗かいた。
かつ、先日デルタ造船所から送ってもらったリガーが、ダブルスカルに合うか一本だけ取り付けてみて、合うことを確認した。
今日は、先日、老人保険施設「なかだ」に母の状態を聞きに来た特別養護老人ホームの職員が、あらためて聞きたいことがあるからと、聞きに来た。
母の足が、すっかり弱っているので、リハビリをしてほしいと言っておいたのが、特別養護老人ホームでは、理学療法士も作業療法士もいないからできないがそれでもいいかということであった。
私は、老人保健施設も特別養護老人ホームもリハビリをするのかと思っていたら、特別養護老人ホームには、理学療法士も作業療法士もいない、介護ができる単なる生活の場である、終の住処だから、リハビリはできないということが分かった。老人保健施設は、介護の必要がなくなったら、自宅に戻すのが基本だと言う。私の理解が不十分だったのだが、この違いがそれで良いかどうか、もう一度検証する必要があるのではあるまいか。ひょっとして、それぞれを認可する役所か法律が違うかもしれない。

選挙結果

2010年07月12日 | Weblog
参議院選挙は与党の過半数割れで終わった。米国から独立せんばかりの発言以来、米国政府からの圧力に屈して、終に、米国の好都合の日本の政治情勢になった。先日、敗戦後日本のマスコミ操作の基本を作った米国人が宮城県の川崎村で亡くなったが、今回の選挙もそのマスコミの空騒ぎの中で、実行された。米国による自民党傀儡政権が嫌われている点は、遅れている政治意識の地方を除けば、変わりないようだが、マスコミそのものが、相変わらず、米国政府の思い通りに操作されているのであるから、日本の政治は参議院ねじれ国会により当分混乱を続けるであろう。
日本を守るという名目で、実は、米国本土を守るための沖縄基地も、その駐留経費を、思いやり予算という国民を欺く税の使い方で、殆どを日本が負担する構造は、これからも変わらないであろう。竹下政権で思いやり予算という、あたかも、日本が米国を見下す表現で、国民を喜ばせてきたやり方が、これからも国民に気付かれない限り、続くのだから。
これからの日本は、アフガーニスターン、イラークの米国支配の失敗が日本にどのような影響が出てくるか、大いに興味がもたれる。
私としては、安定政権を望んでいたが、国民生活のあらゆる面にその不安定性が影を差すであろう。

先祖の墓参

2010年07月11日 | Weblog
昨日、午後2時過ぎに叔母といとこが来て、照るちゃんの車で、母に会いに中田の老人保険施設を往復して貰った。照るちゃんは、土曜日というと、水沢に馬券を買いに行っているのだが、私の話しを聞いて、急遽、水沢行きを日曜日に変更して、送迎をしてくれた。競馬のレースは午後3時からで、それをテレビで観戦するのだそうだ。当てたと言う話しを殆ど聞いたことがないが、止められないらしい。私は賭博は麻雀もパチンコもまるでしないので、その買い方も知らないし、しようと思ったこともない。しかし、周りにはその常習者が多い。
間もなく九十四歳の母とその妹は、40分間ゆっくりと面会することが出来た。叔母は、八十八歳で、これが最後の面会になるかもしれないからと、神戸から来てくれたのだ。
今日は、午前中に叔母、いとこと共に我が家の墓参りに行って来た。墓地の草取りをしてあったので、墓を綺麗にしておいてくれて感謝された。晩年には、こうして、別れの挨拶をするのが人間というものなのだ。あるいは、動物にもこういう習慣を持つものもいるかもしれないが。
環境を破壊しつづける人間が、他の動物より優れている面はどこにあるのか。