芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

舟の準備が着々と進む

2010年07月10日 | Weblog
今日、神戸から伯母といとこが来るので、その準備というか、墓掃除、草取りやら掃除やらで、結局、折角送ってもらったダブルスカルのリガーを取り付けられないでいる。オールは、舟の本体とともに、中央大学から貰ってあるし、ダブルスカルは、リガーとクラッチがデルタ造船所から届いたので、それらをつければ、もう漕げる。早く取り付けて合うかどうか確認しなければならない。
今日、石巻の人達から、電話をもらった。昨年、平泉から石巻までの川下りを一緒にした佐藤さんと栗原さんだ。8月1日は、石巻の川開きで、東北一の花火など忙しいはずだが、11時からの開所式に参加してくれるという。彼らは、エイトを漕ぐ会のクルーだが、エイトのクルーがこのごろ足りなくなることが多いようで、ダルマサンガ所有の無しフォアに興味を示してくれている。
彼らが来て漕いでくれれば、クルーが足りない時は私も漕げることになる。
今日は、日差しが強く、暑いが、風があるので、助かる。
8月1日の前夜に、東京方面から来た人と地元の人の交流の前夜祭をしようと思う。こういうことには慣れていないから、当日まで準備をする時間があって良かった。

河北新報の昨日の記事を掲載してみる

2010年07月09日 | Weblog
昨日は、その後も電話が良くかかって来たため、明日来る叔母といとこを迎える掃除もできないまま、暮れてしまった。
合間に照るちゃんの車で芳賀山に行って、唐竹のタケノコを採って来て、煮た。それを煮ている間に、菅勘に行って今日の記事の乗っている河北新報をもう一部買いたいと言ったら、同級生の洋子さんがお母さんの介護に来ていて、下さった。
夜になって、久しぶりで照るちゃん、守んツアン、秀夫ちゃんと呑み会になった。その間も頻りと電話が鳴ってうるさかったが、昼間古川のホテルから、8月1日に来る東京方面のひとを4000円未満でお泊めしたいと言っていたファックスのようであったから、放置した。
呑み会の最中に、秀夫ちゃんが、広島のほうが豪雨の被害にあったみたいだから、半田(旧姓村上)和夫君に電話してみようということになった。秀夫ちゃんの携帯電話で掛けてみると本人がいきなり出て、私も時々、照るちゃんが送ってもらったというデコポンをお相伴に与かっているので、ついでにお礼の話をした。
今朝になって、昨日の記事を遠方の人は河北が見られないであろうから、久しぶりで載せるのでちゃんと載るか分からないが、ここに掲載してみることにした。画像を二回押すと、記事が読めるようだ。

「河北新報」に「北上川をこぎ下り」の囲み記事が掲載

2010年07月08日 | Weblog
今朝の「河北新報」に「北上川をこぎ下り」という白抜きの大きな活字の全5の囲み記事が載った。
登米「とよま漕艇場」来月オープンとこれもゴティックで載り、「景観とボートの魅力体感」という題で、登米大橋を背景に私の写真も載った。
かなり、インパクトの強い記事だったと見え、午前中しきりと問い合わせの電話が鳴ったが、それ以前にこういう時に限って、電話が故障し、親機を調べたり、子機を調べたり、NTTに来てもらう予約をしたり、結局、電話工事屋の守んツアンにきてもらったが、その時は、直っていた。そこに照るちゃんも来て、さらに堺谷さん夫妻が、奥さんの友達を連れて、突然にやって来たり、その人達がいる間に、「河北新報」のネットニュースで、記事を読んだと、長谷川君から電話をもらった。堺谷さん夫妻は、「遠藤周作『深い河』の旅」の参加者で、それ以来お付合いしている。一時期、大船渡の近くに海の見える家を持っていたのだが、今は、那須の温泉別荘にいるという。会社を譲って今はのんきに旅行をしているのだ。ネパールヒマーラヤにも挑戦して、ナムチェバザールにも行ったそうだ。私は、ネパールヒマーラヤには、1970年代に良く行ったが、1980年代に入って、登山口まで簡単に行けるインドヒマーラヤに毎年行くようになり、それに次いで、日本の百名山にも行くようになった。しかし、まだ60数峰しか登っていない。

また家直しなど来客多し

2010年07月07日 | Weblog
昨日6日、突然、河北新報の登米支局から電話がかかって来て、8月1日の北上川「とよま漕艇場」開所式の取材にこれから行きたいと言われた。
前日、5日の早朝にとよま漕艇場開所式を開催する旨をメールしておいたのに対して、直ぐに翌日の取材となったのだ。どのくらいの大きさの記事になるか分からないが、自宅応接間で取材を受け、そのあと、北上川とよま水辺プラザに車で連れて行かれて、写真を撮られた。近々に掲載されるということであった。
昨年6月の北上川漕ぎ下りでも、メールをしておいたら、当日の写真入りで、掲載してくれた。その時の柏葉竜氏がまた、取材に当たってくれたが、昨年は電話取材であり、今年は直接会っての取材であったから、彼には初めてのお目通りである。
今日になってから、別の男性から電話で数点の確認をされて、明日の河北新報に載ると言われた。
今日は、早朝墓掃除をして来たり、高橋哲郎さんが突然、前回葺き残したスレートの屋根を葺きに午後から来たり、何やら忙しい一日だった。佐藤元大工さんが来たので、二階家の飾り屋根のたわみを直してほしいと頼んだ。舟を乗せるウマに、短管を使うことになっているので、その単管を早めに買って、私の家の屋根直しの足場にしようという魂胆だ。

相撲会からの解雇はかわいそう

2010年07月06日 | Weblog
相撲協会の力士、親方の野球賭博で、正義の権化のような人達が集まって、賭博をした人たちを罰している。親方、大関がそれぞれ一人解雇にまで至った。
私は、このニュースを見ると不快になる。賭博がそんなに悪いであろうか。事実、文科省もサッカー賭博の胴元をしているではないか。その文科省が、相撲協会の構成者に謝罪させているのは滑稽だ。文科省が胴元であることは正しく、暴力団といわれるやくざが胴元なのは、いけないと言うが、賭博がいけないのか、やくざがいけないのか。さっぱり分からない。大人が自分の責任において競馬の券を買ったり、賭け事をするのがなぜいけないのか。相撲協会が地方巡業で、やくざに興行を依託していて、それに対するお礼をするのも当然ではないか。それは、芸能界でも、美空ひばりの事件で分かるように、やくざが芸人の興行を取り仕切っていたし、それに対してお礼をするのは当たり前であろう。持ちつ持たれつである。NHKも相撲放送により、持ちつ持たれつで来ていたのに、急に、正義ぶって、おかしい話しだ。
警察自身がやくざと親しくして、情報を交換していたではないか。実際、やくざを取り締まり過ぎて、中国系のマフィアに新宿を乗っ取られて、歌舞伎町は、返って無法地帯になっていた。小沢一郎の政治と金の問題もそうだが、どうもこのごろ、正義を振り回す輩が多い。月光仮面の世代かもしれない。

特別養護老人保険施設

2010年07月05日 | Weblog
二階の飾り屋根が、真ん中に支えの柱がないために、たわんで来ている。これを直すのは難しいと、今日来た佐藤元大工さんと相談したら言われた。たわんで、柱に入っているほぞも抜けて来ているのだ。これは、早く直さないと、昨日、今日と続いた地震が、もっと大きかったら、ほぞが完全に抜けて屋根が落ちてしまう。
今日は、特別老人ホームの職員による、母の聞き取りがあるので、私も立ち会うため、それ以上に関われない。佐藤元大工さんとまたあらためて相談することにして、中田の老人保険施設に自転車で行った。暑いので、大汗をかいた。車がないので、特別老人ホームの車に拾ってくれないか頼んだら、規定で乗せられないと言われた。どういう規定か分からないが、我が家は通り道にあるのだし、看護婦と職員の二人だけの女性なのだから乗せても良さそうなものだ。しかし、今や、特別老人保険施設には、なかなか入れてもらえない、狭き門だから、無理も言えない。特別老人保険施設の入居者が死なないと次が入れないのだ。
聞き取りの間に、聞くと、昨日一人亡くなったから、一人分空いたと言う。しかし、来週、入居の審査をしてそのあとに可否が決定されるから、それまで待たなければならない。決まれば、今の住民票を老人ホームに変更しなければならない。

第59回登米芭蕉祭俳句大会

2010年07月04日 | Weblog
6月に母の俳句を芭蕉祭の事務局に届けた時に、私も提出するように勧められ、締め切りを一日過ぎても受け付けると言われたので、翌日、提出した。3句千円で見てもらえる。
6月末の日曜日に、その俳句大会があった。それにも出ないかと勧められたが、欠席した。
数日前にその俳句が小冊子、第59回登米芭蕉祭俳句大会応募作品集に乗せられて配られて来た。
93歳の母が作った俳句は、
こいのぼり風に吹かれて泳いでる/焼きグリはホクホクとしてうまいです/寒いです今日も降ります雪が降る
私のは、
井戸端に赤白ピンク梅の花/北上の流れに映る土手桜/タケノコよ竹の落葉に頭出す
であった。
私は母のが句が良いと思うのだが、私の第一句が佳作になっていた。この選び方から、なんとなく、どれを佳しとするのか分かるような気がした。

おいしいドジョウ鍋

2010年07月03日 | Weblog
昨日の昼前に、照るちゃんが、バケツ一杯のドジョウを持って来てくれた。去年も貰って食べたが、うまかったので、調理の仕方を聞いて、酒を浸した鍋にドジョウを入れて、静かになったところで煮たあとで豆腐、卵でとじる。夕食は、それを食したが、やはりうまかった。
東京では、良く渋谷の「駒形どぜう」に行った。浅草の「駒形どぜう」には数回しか行っていないが、渋谷の「駒形どぜう」には数えきれないくらい行っている。田舎に引っ込む前は、渋谷で毎週木曜日に、ヨーガ教室を開いていたので、その帰りにも時々寄った。米が登米の米と宣伝していたのと、ドジョウがうまかったのとで、多くの人を誘っても行った。
そのうまいドジョウよりも昨日照るちゃんに貰ったドジョウのほうが、一段とうまかった。この時期、田んぼに水を引いている堀にドジョウが大量に発生してそれを網ですくったのだそうだ。天然物だからウマイのかもしれない。駒形どぜうは、調理が良いからウマイのであろうが、年間を通して食べられるということは、天然物ではないのかもしれない。そういえば、昨年亡くなった江田佳弘君は、帰省して休耕田でドジョウを飼って売ろうと言っていたが、もうすぐ彼の一周忌だ。今朝、牛乳をいつもより遅く配達に来た秀夫ちゃんは、佳弘君のおふくろさんが、なにか寂しいというから、話し込んで来たためにそのあとで廻る私のところへの配達が遅くなったと言っていた。

早起きが続く

2010年07月02日 | Weblog
昨日、撮った舟の写真をパソコンに取り込んで、送信しようとしたが、できなかった。パソコンに入っている写真が多すぎて重いからかと思い、かなり棄てたが、夜中に掛かっても全然取り込めない。諦めて、今朝早起きして、2Gのメモリーに換えて試したら、できた。
2Gのメモリーが、私の使っている印刷機に重すぎて拒否されるので、1Gのメモリーを買ったのだが、今は、大きいギガ数のメモリーが当たり前になっていて、1Gのメモリーは、入れ子になっているものしかなかった。その入れ子式の1Gのメモリーはノートパソコンに使えないことが分かった。
今朝、小竹牛乳に出直して、足を踏ん張るStretcher周りの写真を撮り直して来て、三菱養和会の岸田さんに送った。岸田さんが、ダブルスカルの足りないシートなどを今、寸法を合わせて修復してくれているから、写真を送るようにと言って来ていたのだ。
岸田さんは、私が谷内一郎さんに要望したのを聞きつけて、昨年、我が家に最初に北上川漕ぎ下りの相談に来て、漕ぎ下りを実現に導いた方だ。今回、8月1日の北上川「とよま漕艇場」開所式に是非ご参加頂きたい方だが、宮が瀬湖、多摩川で子供たちにボートに親しませる会を始める日に丁度ぶつかったので、言い出しっぺだから来られないと言う。あちこちで企画を実現しておられるのだ。

人気と不人気

2010年07月01日 | Weblog
政治経済が振るわない故に、スポーツや賭け事に走るのではないか。大分前に始められたときも記したが、文科省が胴元になっているサッカーくじがある。これなどもその金の流れを事業仕分けしてしかるべきであろう。その文科省が、相撲協会の構成員の賭け事をとやかくいうのはどうかと思う。
賭け事で、遊ぶのに、それを食い物にするのは文科省だけではなく、やくざの世界も同じである。
サッカーワールドカップの決勝トーナメントも賭けの対象になったであろう。日本は、PK戦でパラグアイに負けたが、マスコミ主導の盛り上がりが凄いだけに、PKに失敗した選手が気の毒だ。スポーツに夢中になって応援するのは良いが、それが、嵩じると、失敗した選手の攻撃に走ることになるからだ。
サッカーワールドカップは歴史が古いのに、日本で流行るようになったのはこの十年くらい以来でないか。かつてはサッカーなど、問題にもならず、野球しか知らなかったのだ。負けると、かつては注目もされなかったサッカーの、その監督や選手に脅しの電話やら迷惑を雨あられのようにかける輩がいる。政治のアンケートも同じだ。マスコミ主導で煽っておいて、アンケートを取る。大衆の意識は、気まぐれだ。岡田監督を殺せというくらいに不人気だったのが、ちょっと勝ち始めると、それを煽って、今度は岡田監督大人気である。
スポーツも育てなければならない。無責任に失敗を批判するだけでは、育たない。
ヒットラー人気も今はないが、かつては、大人気だったのだ。