芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

アッサーム人が悪いのか、バーラティ教授が悪いのか

2012年11月19日 | Weblog
例によって、このヒンディー語大学のワイファイが繋がらないため、8日はインターネットを出来ず、9日から、コルカタ経由でアッサームの首都、グワーハティーに行った。そこからドラーマ科のバーラティ教授おすすめの人物が勤める旅行社の車が空港で待っていたこのNorth East Region Tours & Travels のDeepak Joshi 君に、迎車に乗ってから、尋ねると、空港から街迄、1000ルピーだと言う。ネットで、普通、700ルピーとあるので、ちょっと高いが仕方ないかと思い、その後の観光にかかる費用を事前に示すように話したが、ついに最後迄示さず、シロング、チェッラプンジーを見物して、グワーハティーに戻ったときに、費用は、計算が出来たと、約13,000ルピーと言われた。その計算書と領収書を作るように言うと、驚いた様子なので、明日、空港に送る迄に作るように言い、手持ちの金では足りないので、銀行を探して歩いた。驚いたのは私のほうだが、高すぎるのだ。それ迄の食事、ホテル代を全部私が持った上に、こんな高い料金を旅行が終ってから言うとは、詐欺だ。
急にアッサーム人とディーパクを非常に信用できる人物と言って紹介したバーラティ教授に対する信頼も失った。
デリーからジャイプル、アーグラを廻っても、数千ルピーである。しかも、ホテル、食事は全て、運転手持ちと言うか、旅行社持ちである。
彼の旅行者に尋ねさせて、やっと、銀行を見つけたが、休業だった。彼の説明によると、昨日が、ディーワリーで、休日だが、銀行は翌日休みだと言う。そんなことを分かっているなら早く言えば良いのにと思い、結局、他の銀行のATMで1万ルピーを引き出した。他の銀行のATMでも、5回迄は、無料で引き出せることが分かった。ただし、日本で作ったカードでは、毎回200ルピーの手数料がかかると、操作中に分かった。

普通切符で、夜行列車に乗り込む

2012年11月18日 | Weblog
8日の朝、駅で10時から売り出す、前日に買える切符は結局買えなかった。
いつも頼むオートの運転手が予約屋があるからそこで頼むと良いと言うので、8時半頃2軒行ったが、いずれも9時から開業でまだ開いていなかったので、ワルダ駅に行くと、インドらしくなく、ワルダの駅の予約売り場の台には、申し込み用紙が既にきれいに重ねられていて、私のは、27番目であった。これでは、買えないであろうからと、また、予約屋に行って聞くと、駅表口のほうでなく、裏口に行くように言われ、そこに行くと、15番の申し込みであった。そちらのほうが可能性があると思い、待って自分の番が廻って来た時に、女の切符売りに聞くと、ただの寝台ならあると云いながら、売り場の中で待っている人のを売ってから、私のをコンピュータで見たら、もう売り切れていると云い、他の列車も全部売り切れでどうしようもないと言われた。売り場の外で待っていた私たちよりも中で待っている人が優先された結果だ。
昔、汽車旅行で、よく、売り場の中に入って行って、プレゼントを渡して、引き連れている団体の切符を買ったものだから、その手口を知っているだけに仕方なく、引き下がり、翌朝9日の7時20分に予定より10時間早い寝台列車にワルダからナーグプルまでの普通切符で乗り、ナーグプルで、その先タータナガル迄寝台列車の席のない切符を車掌から買った。そこ迄行っても空きができなければ、途中下車してホテルに泊まるつもりであったが、ビラースナガルで、車掌の交代があったのでAC車で空きができないか聞いたら、心配するなと言われ、交代要員の新旧車掌にそれぞれ200ルピー、500ルピーを心付けし、指定された番号の寝台で待っていて、そこで正式に切符を買った。結局タータナガル迄は空かなったので、夜12時迄は寝られなかった。それでもホテルに泊まるよりましなので、そのまま、そのアーザードヒンド急行にで終点ハウラー駅迄乗って行った。
幸い、午前3時半到着予定が、5時半到着になり、ゆっくり寝られた。
ハウラー駅から前払いタクシーに乗るのに、1時間ほど並んで待ち、かつて、定宿にしていたリットンホテルに100ルピーという安い料金で行った。朝食は8時半からというのでロビーで待たしてもらい、ゆっくりと朝食を採りヴィクトリア記念館に歩いて行った。
ここは、外人料金が200ルピーであったが、私たちはここの住人だと言って、一人10ルピーで入れた。以前よりも写真や絵が増えていて、3階迄見るともう昼になっていた。

コルカタまでの寝台列車の空席待ちは不可能のようだ

2012年11月07日 | Weblog
コルカタのハウラー行き汽車が今日も空席待ち2、3、4から進まないので、明日朝、キャセル待ちの席を駅に買いに行かなければならない。ディーワーリー休暇で、移動する人が多いと、ネットで買う席は、なかなか、取れないもののようだ。
汽車だと、大人一人3000ルピーのエアコン車が、飛行機だと、もう早割が聞かないから、20.000ルピー(日本円30、000円超)を超える。これでは、日本の国内旅行で買ってもあまり変わらない料金だ。
しかし、その先の飛行機を全部予約して支払済だから、明日の駅での切符の買い方が、大変だ。

寝台列車の席がなかなか取れない。

2012年11月06日 | Weblog
今週末にコルカタを経由してグワーハティーに行き、シロング、インパールを見てくるのだが、1ヵ月以上前に予約したコルカタまでの汽車が、いまだに、空席待ち⒉、3、4の状態が変わらない。丁度、ディーワーリー休暇の頃で込んではいるが、全然、動かない状態である。帰りは何とか空席待ちから、動いて、席が取れたが、行きの寝台が取れなければ、24時間寝ないで行くわけにはいかない。
12月初旬に、試験休みがあるから、デリーに行って、印刷所と交渉をしなければならない。こちらも行きがどういうわけか、もう席が一杯である。
インドの汽車は結構本数が多いのに、2ヵ月、3ヵ月前に申し込まないと席が取れない。それだけ、移動する人が多いということだ。

私の5冊の本を大学で出版することを断られる

2012年11月05日 | Weblog
今朝、学長室から呼ばれ、朝10:30のバスで、行って、学長に会った。金曜日に提出した、5冊の本をこの大学で出すことは出来ないという返事であった。
私としては、大学の出版目録を見たので、出せるのかもしれないと思ったのと、ビールパール・シン教授が申請したらどうかというので申請したのだ。
この大学で出せないなら、デリーに行って、印刷所と交渉しなければならない。今、ヒンディー語訳を見てもらっているのも、そのままで良いかどうか、はっきりさせる必要が出てきた。
早くしないと、来年の帰国に間に合わない。

日本人とインド人の仕事ぶりの違い

2012年11月04日 | Weblog
来年、この大学を辞めて、帰国することにほぼ決めたから、ここにいる間だから出来る、翻訳をしたい。問題は、私が訳したあと、それを見直してくれる人が、きちんとやってくれるかどうかである。
私としては、原文を出来るだけ生かしたいのだが、インド人は、一般に、自分なりに訳そうとして、原文から離れる傾向にある。
以前、訳した『竹取物語』ヒンディー語訳は、こちらの人に見てもらったら、例えば、翁が、自分をもう耄碌して今にも死にそうだという表現を、熟し切ったマンゴーが、今にも木から落ちそうになっている、とヒンディー語訳した。これはこれで、良いと思ったが、あとのヒンディー語訳を任せて、インド旅行に出かけ、デリーに戻った時には、製本されていて、よく見たら、相当数の誤植があったことだ。
一般にインド人の仕事は粗っぽい。他の仕事も同じであろう。
ただ、今回の東電の重大な原発事故などから、日本人も仕事が綿密だなどとは言えなくなっている。原発事故のように、補助金は、原発の立地点にだけ支給され、被害は日本全国に及ぶ重大事故に対する認識の甘さが、日本全国に及んでいると言える。

太宰治『桜桃』ヒンディー語訳再挑戦か

2012年11月03日 | Weblog
太宰治『桜桃』は一度、研究室備え付けのパソコンでヒンディー語訳したが、パソコンの調子がちょくちょく悪くなるため、そのたび直してもらっていたら、初期化したらしく、太宰治『桜桃』と瀬戸内寂聴『三鷹下連雀』が消えてしまった。
それとともに、ヒンディー語辞書を作るために登録していた単語もふっ飛んだままなのですっかり諦めたが、『登米物語』『風景』を自分のマックのパソコンでヒンディー語訳しながら、単語をマックの辞書機能に登録したら、わりに簡単に登録できて、『登米物語』『風景』が訳し終わった時点で、1000語くらいになった。ただ、この辞書は、マックのソフトだから、この大学関係者のウィンドウズでは開けない。これまで、マックで作ったヒンディー語の文章を大学の印字機で印字すると、文字化けしたので、同じことが起こるであろう。
そこで、この調子ならと、太宰治『桜桃』にも再挑戦してみようと言う気になったのだ。
もっとも、本が大学から直ぐ出ることになったら、そちらに労力をとられるから出来ないかもしれない。
もし出せないと直ぐ決めつけられたら、この冬のうちに印刷所を探して、自費出版の交渉になる。これまで、自費出版するために、印刷所を教えてくれるように何度も大学関係者に頼んで来たのだが、ちっとも教えてくれない上、ネット上で頼もうとして言われるままに資料を送った印刷所は見積もりもよこさず、返事もよこさないのだ。だから、二、三の印刷所は頓挫したままだ。

大学出版部から、翻訳本を出したいと申請書を学長宛に書いた

2012年11月02日 | Weblog
大学出版部の責任者、ビールパール教授が、奨めるので、大学出版部から、本が出せるかどうか、学長宛に申請書を書いた。
彼と共訳している1、瀬戸内寂聴『風景』の『デスマスク』、2、『登米物語』の中の『昔話』、3、太宰治『桜桃』、4、私のウルドゥー語訳『竹取物語』、5、デリー大学のウニタ日本語教授と共訳したウペンドラさんの詩集『愛』の日本語訳5冊を申請した。これが認められなければ、自費でデリーからでも出すことになる。
今日、副学長秘書にその校正を頼んで、申請書を提出した。この副学長秘書は、私のここへ来る時のヴィザ申請に必要な書類をなかなか送ってくれなかったが、仕事ぶりは、非常に有能である。学長秘書も仕事が速いが、どちらとも言えないできの良さである。
弘前大学からの留学生が来る時には、ヴィザ用の書類などを送るように、頼んで、すぐに対応してくれた。
時々申請書の完成を頼んでいる。今日は、風邪を引いているのによくやってくれた。

コルカタまでの寝台列車の空席待ち

2012年11月01日 | Weblog
来週末から、コルカタ経由で、グワーハティー、シロング、インパールに行くことになっているが、コルカタまでの寝台列車の席がとれていない。空席待ちの⒉、3、4であるのに、ちっとも空かないので、ひょっとしたら、席のないままいかなければならないかも知れない。⒉、3、4番なら必ず取れると言われているが、気がかりである。
一昨日、グワーハティー/インパールの飛行機が飛ばなくなったと、Kingfisher から、メールが来た。1ヵ月以上前に早割の1500ルピーで予約していたのだが、もう一ヵ月を割って、やむを得ず、Indigo で3500@のを買った。これからは、Kingfisherは買えない。
学生達は、日本語中級に関しては、本科の試験が始まるから、日本語中級授業は休みにして欲しいというので、再来週一杯授業を休みにするつもりだったから丁度よかった。
来週も休もうと思っていたら、一人の女子学生が、田舎から戻って来て、休んだ分授業をして欲しいと言うので、来週の2日間だけすることになった。11月の後半も休みになり、12月初めは、試験休みと言う。その後、私は、休みを取るから、結局、11月前半と12月一杯を休んで、授業を再会するのは、1月からということになる。
その間、旅行に行くことが多い。