つい先日工場周りの草刈りをやった。毎年の恒例であるが、
苦手なものの一つである。
もう一つ苦手なのは殺虫だ。とうぜん‘殺’がついているので、
虫を殺してしまうのだが、最近特にいのちを意識するようになってきたので
嫌なことの一つである。
蚊などは、自分を守るという大義名分があるので、躊躇なくパチン!と
いけるのだが、米の害虫であるコクゾウムシを見つけたときは
つぶさず、窓の外に放るようにしている。
しかしウンカのような子蠅が外の下水槽周りに群れていると
殺虫剤を散布せざるをえないのである。
やむなくやってしまうのだが、いい気分のものではない。
草刈も植物の命を考えると嫌なのだが、これはまだ草の生命力で、
又たくましく生えてくるのはわかっているので、割りきってやれるようになった。
しかし草を根ごと引っこ抜くとその空いた穴からいろんな虫が
飛び出してくる。アリを筆頭に、ダンゴ虫、オケラのようなの、その他いろいろ。
彼らにとってはいきなり家の屋根を剥がされたような
ものだろう、文字通りあわてふためいている。
その彼らを援護するかのように藪蚊がぶんぶんわれらを襲ってくる。
それはまるで戦闘機のように爆音をキーンキーンとたて、次から次えと
波状攻撃をかけてくる。
このことはすでに予測していたので、こちらも長袖、帽子、首には
タオル、と万全の態勢で臨んでいるのだが、耳とか、ちょっと袖口
などが空いたとこを狙われる。
ポリポリと刺されたとこを搔きつつ、植物と昆虫の命の連携の
すごさを思った。彼らにとって人間というのはどういう存在なのか、
草むしりによって、考えさせられた一日だった…。
苦手なものの一つである。
もう一つ苦手なのは殺虫だ。とうぜん‘殺’がついているので、
虫を殺してしまうのだが、最近特にいのちを意識するようになってきたので
嫌なことの一つである。
蚊などは、自分を守るという大義名分があるので、躊躇なくパチン!と
いけるのだが、米の害虫であるコクゾウムシを見つけたときは
つぶさず、窓の外に放るようにしている。
しかしウンカのような子蠅が外の下水槽周りに群れていると
殺虫剤を散布せざるをえないのである。
やむなくやってしまうのだが、いい気分のものではない。
草刈も植物の命を考えると嫌なのだが、これはまだ草の生命力で、
又たくましく生えてくるのはわかっているので、割りきってやれるようになった。
しかし草を根ごと引っこ抜くとその空いた穴からいろんな虫が
飛び出してくる。アリを筆頭に、ダンゴ虫、オケラのようなの、その他いろいろ。
彼らにとってはいきなり家の屋根を剥がされたような
ものだろう、文字通りあわてふためいている。
その彼らを援護するかのように藪蚊がぶんぶんわれらを襲ってくる。
それはまるで戦闘機のように爆音をキーンキーンとたて、次から次えと
波状攻撃をかけてくる。
このことはすでに予測していたので、こちらも長袖、帽子、首には
タオル、と万全の態勢で臨んでいるのだが、耳とか、ちょっと袖口
などが空いたとこを狙われる。
ポリポリと刺されたとこを搔きつつ、植物と昆虫の命の連携の
すごさを思った。彼らにとって人間というのはどういう存在なのか、
草むしりによって、考えさせられた一日だった…。