先日通勤途中に聴いたカーラジオで、「最近は本当の闇が日本には
なくなってしまった」と、あるイラストレーターの方が話をしていた。
確かに、深夜でもどこかに灯りがともっている、家の中で
明かりを消しても、どこかに電化製品の灯りだ。
彼が言うには「本当の闇は自分を見つめるのに必要だ」と言うのである。
自分を見つめるのに本当の闇?わたしは聞き耳をたてた。
「自分の目では自分は絶対に見れないのだが、本当の闇
では見えるというのである。
ど…どういうこと?。彼が言うには、ある外国の地で真っ暗な夜を
体験したことがあって、そのとき闇に慣れてきた頃に、ある
光が見えたというのだ。
もちろんそれは月や星の光ではなく、自分の中の光だというのである。
ほう…わたしはさらに聞き耳をたてた。
彼が言うには、本当の闇というのは実は自分の中の宇宙が
見えるのだというのである。
そして人間はその気になれば、いつでも本当の闇を見ることが
できるというのだ。
え…ど、どこで?と頭をめぐらせてみたが、それは眼を閉じることだという。
なあ~んだと思ったが、人体の器官の、目・耳・口・鼻のうちで
閉じることができるのは目と口で、中でも目はすぐに闇が作れるというのである。
まあ考えてみれば当たり前のことなのだが、闇を作るなどとは
普段考えないのでないだろうか。
そう言われれば、座禅の瞑想などはまさしく己を見つめるための
瞑目ではないだろうか。ウ~ムこの人は深い…と感じ入ってしまった。
雑念が多すぎていつも自分を見失っているわたしには、この
本当の闇が必要ではないかと、思わずにはいられなかった。
さっそくその日の寝入りばなに目をつぶり、今度描き直そうとしている
「はいまん彩」のことを、心頭滅却して念じてみた。
“身を染めて 明日にちぎる とんぼのように”…“身を染めて
明日にちぎる とんぼのように”…身を染めて 明日にちぎる
とんぼのように…身を染めて…Z…Z…Z…Z………。
あ~あ
なくなってしまった」と、あるイラストレーターの方が話をしていた。
確かに、深夜でもどこかに灯りがともっている、家の中で
明かりを消しても、どこかに電化製品の灯りだ。
彼が言うには「本当の闇は自分を見つめるのに必要だ」と言うのである。
自分を見つめるのに本当の闇?わたしは聞き耳をたてた。
「自分の目では自分は絶対に見れないのだが、本当の闇
では見えるというのである。
ど…どういうこと?。彼が言うには、ある外国の地で真っ暗な夜を
体験したことがあって、そのとき闇に慣れてきた頃に、ある
光が見えたというのだ。
もちろんそれは月や星の光ではなく、自分の中の光だというのである。
ほう…わたしはさらに聞き耳をたてた。
彼が言うには、本当の闇というのは実は自分の中の宇宙が
見えるのだというのである。
そして人間はその気になれば、いつでも本当の闇を見ることが
できるというのだ。
え…ど、どこで?と頭をめぐらせてみたが、それは眼を閉じることだという。
なあ~んだと思ったが、人体の器官の、目・耳・口・鼻のうちで
閉じることができるのは目と口で、中でも目はすぐに闇が作れるというのである。
まあ考えてみれば当たり前のことなのだが、闇を作るなどとは
普段考えないのでないだろうか。
そう言われれば、座禅の瞑想などはまさしく己を見つめるための
瞑目ではないだろうか。ウ~ムこの人は深い…と感じ入ってしまった。
雑念が多すぎていつも自分を見失っているわたしには、この
本当の闇が必要ではないかと、思わずにはいられなかった。
さっそくその日の寝入りばなに目をつぶり、今度描き直そうとしている
「はいまん彩」のことを、心頭滅却して念じてみた。
“身を染めて 明日にちぎる とんぼのように”…“身を染めて
明日にちぎる とんぼのように”…身を染めて 明日にちぎる
とんぼのように…身を染めて…Z…Z…Z…Z………。
あ~あ