つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

緑地のこの頃

2018-05-25 19:51:23 | 

このところ、いい季節になってきたので、時折り近くの

緑地公園に散歩に出掛けている。

 

今まで、黄色しか咲いてなかった菖蒲は、さすがに

ポツリポツリと藍色が、開き初めていた。

 

鬼ヤンマの見回りも始まっていて、大きな目でチラリと

一瞥を送ると、スイーッと飛び去って行った。

 

池では、カイツブリが潜っては、貌を出し、

ミドリガメの子供がこちらと目が合うと、

潜って必死に手足を動かしている。

 

もはや、夏の扉は開かれたようだ。

 

 

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何と、ついに…

2009-07-01 02:53:54 | 
会社から帰ってきて、いつものように花に水をやる。
額アジサイの「墨田の花火」はすでに花を枯らしてうなだれている。

「あ~あとうとう睡蓮との競演はならなかったか…」とため息をつきつつ
葉っぱが繁茂している睡蓮に水をやろうとしたら、水がすっかり干上がっている
ではないか。この繁茂した大きな葉っぱの根は随分と水を吸い取るようで、
一昨日鉢の八分目ぐらいまで、水を満たしたばかりだったのだ。

「こりゃいかん」とあわてて水をやろうと葉っぱをかき分けたとき、な、何と
蕾らしきものが、ちんまりとたたずんでいるではないか。
茎もすでに20センチ程に伸びて、間違いなく花芽である。
先っぽがうっすらと赤味をたたえて、どうやら赤っぽい花のようだ。
実のとこ、何色の花が咲くのかわからなかったのだ。

しかし今か今かと待っていて、毎日のように覗いいていたつもりが
この始末である。情けない思いだが、この花芽を見たとたんに吹っ飛んで
しまった。

水を鉢一杯に満たし、葉っぱをかき分けてしばし…覗き込むと、花芽はまるで
「こんにちわ」と小さな声なき声をあげているようで、思わず「こんちわ」と
声を掛けた。花芽は何だか照れくさそうにしているように見え、ああ生きて
いるんだなと、いう生命感をまじまじと感じ取った。

早く、いやゆっくりでいいから、大きくなれよ…もはや親の心境である。



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エライことに…

2009-06-28 03:07:48 | 
蓮の花芽を待ってはや1ヶ月になろうとしている。いただいたKさんに
よれば、葉っぱが10枚ほども出れば、花芽が出てくると聞いたので、
番町更屋敷よろしく「1ま~い2ま~い」と数えて待っていた。

葉っぱはどんどん増えてとっくに10枚は越え、もう20枚ほどに達しようと
しているではないか。しかし、今だ花芽は見えず、葉っぱだけが写真のように
すごいことになっている。もしかして…このまま葉っぱだけ…と思ったのだが、
待てよこの葉っぱもなかなかいいではないか、と葉っぱ鑑賞も悪くないと
思えるようになってきた。

残念ながら、花火の競演を期待した「墨田の花火」は、すでに大半の花びらを
落としていくばくかの花を残すだけとなっている。これでは競演は奇跡的に
なっている。

まあ…これもきっと運命。これでいいのかも知れない。睡蓮の大きな葉っぱを
眺めつつそう思うのだった。




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薔薇とオジサン

2009-06-18 02:12:29 | 
会社の玄関に薔薇が数本花瓶に生けてあった。
造花かな、と思ってよく見ると生花である。これが何日か
新しいのに変わったりしていた。
後で知ったのだが、女性役員の方が自宅の庭から摘んできていると言うのだ。

初め何の気なしに眺めていたが、ある日ふとその薔薇を描きたくなった。
実は薔薇は何度か描いてみたのだが、ちゃんと成功していないのである。
だれもいないのを見計らって、携帯でその薔薇の写真を撮っていると、
掃除をしにきた事務員の一人に見つかってしまった。

わたしがつたない絵描きだということは、すでに知られちゃっているので、
「へえ~やっぱり写真の撮り方が違うわネエ」と言うのである。
描きたいと思う被写体に対しては、上下、左右、あらゆる角度から
撮るので、確かに普通の撮り方ではない。(こちらとしては普通なのだが)

「絵描いたら見せてね」と言うので、「お見せするほどのものじゃないですよ」
とやんわりかわしたのだった。

何枚か写真をプリントアウトして、下書きをしたのだが、どれもしっくりこず、
色を塗っている途中で頓挫していた。しかしよく写真を見直して、割と
まともな写真の1枚を見つけて、なんとか一枚描き上げたのだった。

しかしどうもイマイチ薔薇に見えないのである。写真の通り忠実に描いたつもり
なのだが、ウーム…と思いつつまず身内の2人に見せてみると、まあまあの
反応である。とりあえず携帯で写真を撮って画像を記録した。

「お見せするほどのことはない」と言ったものの、どうも薔薇に見えないという
のが気になって、せっかく「見せて」と言ってくれたのだからちょっと意見を
伺ってみようかな…という気になったのである。

ちょうど朝の掃除をしていたので、「これこの間の薔薇描いてみたんだけど、
感想を聞かせてくれない?」と携帯に記録した写真を見てもらった。
「ちょっと薔薇に見えないでしょう?」と聞くと、しばし見た後で、「ウ~ン
確かに薔薇に見えないわネエ」と言うのである。
ああ…やっぱりか…わかってはいたつもりだったが、案外「見えるわよ」
と言うかも…なーんてちょっと期待したのだが、まあ…納得。

確かに最近では薔薇も様々な形があって、どれも薔薇には違いないのだが、
一見して“薔薇”とわかるのが、花を描いたとき大切なことのだ。
ところが、描くほうはずっと見て描いているため、それがわからなくなって
しまうのである。

今度じっくり薔薇の声を聞いてみたいと思った。「花とおじさん」という
歌で、花が「どうせ枯れるこの命わたしが枯れるまでおじさん見ててよ」という
くだりの歌詞があるのだが、薔薇からのメッセージをしっかり受け止めて
今度こそはちゃんと薔薇を描いてあげたいものである。

薔薇の声聞かせてよ…。

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やっと花火が…

2009-05-30 19:27:52 | 
毎日帰宅するたび「墨田の花火」と「睡蓮」を眺めている。
「墨田の花火」は、ついにほつほつと白い火花を散らし始め、いま
写真のごとくである。

しかし「睡蓮」のほうは、葉っぱを10本ほど水面から突き上げているのに
花芽のほうは見当たらないのだ。先日この「睡蓮」をいただいたKさんから
電話があり、蓮池にとうとうオニヤンマが現れたというのだ。オニヤンマは
1つの蓮池に1匹の縄張りを持っていて、他のオニヤンマが来ると
たちまち戦いが始まり、追っ払ってしまうというのである。
Kさんの池は3つあるので、それぞれに1匹ずつ付いているので、3匹の
オニヤンマがいることになるのだ。そして池の睡蓮は花が咲き乱れているという。

わたしはすぐに飛んで行きたい衝動に駆られたが、「落ち着け」と自分に
言い聞かせ、ここはジックリ日を改めて行くことにした。そのときは
太巻き弁当持参で行くつもりである。

実は前回Kさんの蓮池へお邪魔したときにいただいた奥様手作りの
太巻きがおいしかったので、自宅で作ってみたのだが、具はほぼ一緒なのに
味は遠く及ばなかったのである。そういうこともあって、また新たな太巻きを
作って行って、池の周りでパクツキたいのだ。

わたしはほとんどの昆虫は好きで、特にトンボは何でも好きなのだが、近くの
緑地公園にもいないオニヤンマはまた別格なのである。

「睡蓮は葉っぱが10枚以上出ないと花は咲きませんよ」とKさんに
言われたのだが、今すでに10枚ぐらい出ているので、これからいよいよ
「いちまい~にま~い」と「番町皿屋敷」よろしく葉っぱのカウントダウンが
始まるのだ。

「墨田の花火」は白から薄紫にと色づき始め、思った以上の美しさで
花火をひらき始めている。まだ満開までしばらくかかりそうなので、
少しずつひらきながら睡蓮の大花火を待つ構えだ。

早くそろい踏みを見たいところだが、あわてず騒がず打ち上がるのを
楽しみに待っていようと思う。


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