つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

しあわせ探し

2009-06-29 03:12:05 | つらつら思うこと
人生の折り返し点をはるか昔に過ぎた我が人生において、
日々の暮らしをどう生きて行くか、というのは最も大切な
ことになってくる。

大抵の人が思うのだろうが、日々をしあわせに暮らしたいのである。
しかしそうそう簡単に「わあ…しあわせだあー」などという時間に
浸れるものではない。

そこで、小さなしハッピーを見つけて、一日をよりしあわせに過ごせたら
「まあいいじゃあないか」ということに したのである。
つまり小さなしあわせ探しである。このときにその小さなしあわせを
“しあわせ”としっかり意識することが大事だと思うようになった。

朝起きたときにウグイスの声を聞いた。このときしばし聞き入って、
「いいなあー」と朝一でウグイスの声に出会った幸運をかみしめるのである。
会社への出勤時、咲いている玄関先の花を眺めてちょっと声を掛けたりしてみる。

車で会社へ向かっているとき、時折みごとな曙や暁に出会うときがある。
これを見たとき、心の奥からすがすがしい気持ちが湧き上がり、それが
胸いっぱいに広がって、生きている喜びすら感じることがある。
それだけで、もう心がウキウキしてくる。

そして会社で最初に、ほんわか癒し系の笑顔に会ったりしたらもうこの日
一日のしあわせは約束されたようなものである。ましてや何か会話でも
交わせたならば、ラッキーハッピーということになる。

こうして、一日小さなしあわせを拾い集めて、いい気分に浸りたいのである。
ただまあ現実には、そうはうまくは回らないのだが、小さな幸せを「見つけた」
という意識は、大切なことだと思うこの頃なのだ…。


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エライことに…

2009-06-28 03:07:48 | 
蓮の花芽を待ってはや1ヶ月になろうとしている。いただいたKさんに
よれば、葉っぱが10枚ほども出れば、花芽が出てくると聞いたので、
番町更屋敷よろしく「1ま~い2ま~い」と数えて待っていた。

葉っぱはどんどん増えてとっくに10枚は越え、もう20枚ほどに達しようと
しているではないか。しかし、今だ花芽は見えず、葉っぱだけが写真のように
すごいことになっている。もしかして…このまま葉っぱだけ…と思ったのだが、
待てよこの葉っぱもなかなかいいではないか、と葉っぱ鑑賞も悪くないと
思えるようになってきた。

残念ながら、花火の競演を期待した「墨田の花火」は、すでに大半の花びらを
落としていくばくかの花を残すだけとなっている。これでは競演は奇跡的に
なっている。

まあ…これもきっと運命。これでいいのかも知れない。睡蓮の大きな葉っぱを
眺めつつそう思うのだった。




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ノーリアクション

2009-06-27 04:18:26 | 絵・まんが
この頃なんだかちょっと心ウキウキ…。

どうしてかなあ…と考えてみたとき、このところ絵が割と順調に
描けていること気づいたのだ。なんだかんだ言ってもわたしは絵なのである。

というのも、4月「奈邪」での作品展示の後2ヶ月くらいだが、一応新作4点
完成させているのだ。実際会社の仕事の合間をぬって絵を完成させるのは
1ヶ月に1枚できればいいほうなのだ。しかも失敗作も多々出るのである。

実はこれには理由があって、「奈邪」での展示のとき置いていた感想帳に
「奈邪」のマドンナ友ちゃんから、「今回の展示に前回の作品が混じって
いたのが残念です。次回はすべて新作をお願いしますネ」と書かれてあった
のである。あちゃ~ちゃんと前回の作品と重ならないようにとやったつもり
だったのに…

こんなこともあって、自分なりにがんばっているのでアリマス。

感想帳には、「励まし、ちょっとした批判、意見」など諸々の思いが
綴られていて、自分の作品の手答えが返ってくるのである。これが何にも
代えがたいのだ。とにかく、遠慮なく思ったことを本音で書いてもらえば、
いいのである。グサリと一刺しにされる批判、指摘など大好きなので、
ぜひ賜りたいのである。

一昨年感想帳が置けないとこで展示したのだが、作品に対しての反響や
反応が得られないことのむなしさを思い知らされたのである。

わたしをコロスには刃物はいらない、“ノーリアクション”無反応を賜ると
お陀仏です。それがよくわかったので、これからは感想帳が置けないような
ところでは原則展示は遠慮することにした。

何でもいいのである。手答えがほしいのだ。それが一番勉強にも励みにも
なるのである。



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果てしなき戦い(Ⅱ)

2009-06-20 05:15:17 | 動物ウオッチング
我が愛車の左バックミラーのとろに毎日クモの巣を作られ、
取り払っては又作られしていたが、ついにこの戦いにも
決着がつくときが来た。

というのも、ついにヤツらしきクモを見つけたのである。
それは、駐車場で洗車をしていたとき、左バックミラー付近を本気になって
探してみると、ちょうどバックミラーに接するように一本の植木があって、
その先端付近に同じようなクモの巣が張ってあるではないか。

「これだ!」確信してジッと見ると、「いた!」ヤツである。
アリを一回り大きくしたくらいの小型で、色は赤茶色っぽい。
わたしはいきなり「ブン!」と洗車ブラシをそのクモに向かって
振るったのである。ブラシに叩かれたクモはもう見えなかったが、
2度3度と振るってやると、クモの巣もきれいになくなってしまった。

植木全体をよく見回したがヤツの姿はどこにも見えなかった。
ヤレヤレ、と丁寧に左バックミラーを洗ってやった。

翌日の出勤時、それでも…恐る恐る左バックミラーを覗くと、
ピカピカに輝いて、クモの巣のかけらもなかったのだ。
「やったー!」と思わず声を出したが、ちょっとヤツに気の毒
だったかなあと、チラと憐憫の情がかすめたが、「これでいいのだ」と
キッパリ割り切り、意気揚々と出掛けたのだった。

翌日の朝、呆然と突っ立っているわたしがいた。左バックミラーに
ふわ、ふわ、ふわ…ふわ…
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薔薇とオジサン

2009-06-18 02:12:29 | 
会社の玄関に薔薇が数本花瓶に生けてあった。
造花かな、と思ってよく見ると生花である。これが何日か
新しいのに変わったりしていた。
後で知ったのだが、女性役員の方が自宅の庭から摘んできていると言うのだ。

初め何の気なしに眺めていたが、ある日ふとその薔薇を描きたくなった。
実は薔薇は何度か描いてみたのだが、ちゃんと成功していないのである。
だれもいないのを見計らって、携帯でその薔薇の写真を撮っていると、
掃除をしにきた事務員の一人に見つかってしまった。

わたしがつたない絵描きだということは、すでに知られちゃっているので、
「へえ~やっぱり写真の撮り方が違うわネエ」と言うのである。
描きたいと思う被写体に対しては、上下、左右、あらゆる角度から
撮るので、確かに普通の撮り方ではない。(こちらとしては普通なのだが)

「絵描いたら見せてね」と言うので、「お見せするほどのものじゃないですよ」
とやんわりかわしたのだった。

何枚か写真をプリントアウトして、下書きをしたのだが、どれもしっくりこず、
色を塗っている途中で頓挫していた。しかしよく写真を見直して、割と
まともな写真の1枚を見つけて、なんとか一枚描き上げたのだった。

しかしどうもイマイチ薔薇に見えないのである。写真の通り忠実に描いたつもり
なのだが、ウーム…と思いつつまず身内の2人に見せてみると、まあまあの
反応である。とりあえず携帯で写真を撮って画像を記録した。

「お見せするほどのことはない」と言ったものの、どうも薔薇に見えないという
のが気になって、せっかく「見せて」と言ってくれたのだからちょっと意見を
伺ってみようかな…という気になったのである。

ちょうど朝の掃除をしていたので、「これこの間の薔薇描いてみたんだけど、
感想を聞かせてくれない?」と携帯に記録した写真を見てもらった。
「ちょっと薔薇に見えないでしょう?」と聞くと、しばし見た後で、「ウ~ン
確かに薔薇に見えないわネエ」と言うのである。
ああ…やっぱりか…わかってはいたつもりだったが、案外「見えるわよ」
と言うかも…なーんてちょっと期待したのだが、まあ…納得。

確かに最近では薔薇も様々な形があって、どれも薔薇には違いないのだが、
一見して“薔薇”とわかるのが、花を描いたとき大切なことのだ。
ところが、描くほうはずっと見て描いているため、それがわからなくなって
しまうのである。

今度じっくり薔薇の声を聞いてみたいと思った。「花とおじさん」という
歌で、花が「どうせ枯れるこの命わたしが枯れるまでおじさん見ててよ」という
くだりの歌詞があるのだが、薔薇からのメッセージをしっかり受け止めて
今度こそはちゃんと薔薇を描いてあげたいものである。

薔薇の声聞かせてよ…。

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