つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

イエローモンキー「夜明けのスキャット」

2007-06-24 04:16:11 | ちょっとした出来事
この曲を聴いたのは、今年のいつだったのか忘れてしまったのだが、
会社帰りの車の中だった。

「イエモンというのはお茶のことではなくイエローモンキーの
ことなんですよねえ」とカーラジオからDJの声が聞こえてきた。

へえ…そうなんだ。初めて知った私は数十年前の我が青春時代に
聴いた由紀さおりの「夜明けのスキャット」のカバーに耳を傾けた。

「夜明けのスキャット」は、これ以上ないというぐらいの
爽やかな曲で当時大ヒットしてよく聴いたものである。

イントロのソロギターが原曲と同じようにそっと響いてくる…
それに乗って「ル~ルルル~…」とやはり同じようにスキャットが…。

由紀さおりと違って男性ボーカルのけだるいスキャットだが
これがかえっていい味をだしている。

原曲に忠実なのもいい。すでに家に着いていたのだが車を止めたまま
終わりまで聴いてしまった。

今我がベストアルバムを作るべく選曲に入っているのだが、是非とも
入れたい一曲になった。
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鳩のいのち

2007-06-22 04:31:38 | ちょっとした出来事
きのう会社の帰りに買い物すべく、スーパーの
駐車場に車を止めようとしたところ、駐車位置になにか
白いものが目に入った。

よく見ると鳩である。それも真っ白い鳩で、このへんに
たむろしている鳩ではない。

それはいいのだが、その鳩のくちばしあたりから赤い
血が付いているのが見えた。

翼も片方ちょっと垂れ気味で、あきらかに何かで傷ついて
飛べる状態ではない。

しかししっかりと立っている。その目は妙に悲しげで
これから訪れようとする運命をただじっと待っているという
感じだった。

私がとっさに思ったのは、車にやられたのではないかということだった。
翼を持った鳩が?と思うかも知れないが現によく道路上に
倒れている鳩を見たことがあるし、先日などあのずるがしこいカラスでさえ
道路に轢死していたのである。

よくすずめが道で何かついばんでいるとき、車で通ると
「あれ」と思うぐらいギリギリのとこで飛び立ったりすることがよくある。

娘などは「あれはきっとスズメの肝試しよ」などと言う有様である。
そのほか、なんとあの飛びのスペシャリストのツバメの轢死体も
見たことがあるのだ。

思うに動物たちにとって、車のスピード感というのはつかみ辛いのでは
ないかと前々から思っていた。ほかの動物たちなら、加速する瞬間に
グッと首をすくめるとか、四足ならグッと前傾姿勢にはいるとかの
リアクションがあるのだが、車にはそれがまったくないのである。

本能中心で動く動物たちにとって車は無表情で無気味な存在
に違いない。

私は車を降りて鳩の様子を見ようとしたら、ほかの女性客の人たちも
すぐに気づき、「まあかわいそうに…」「ほんと…」と車を
降りてきた人たちが囁きあっていた。

しかしみんなどうすることもできず、つぎつぎとその場を
離れていく。私とて同じだった。

こんなとき私に不思議な力が備わっていて、鳩を両手でくるむと
突然バタバタとはばたいて大空に飛び立ったりしたら
大ヒーローになるだろうになあ…などとたわけたことが頭をよぎったが、
現実の私は無力な凡夫なのだ。

何とかしてやりたいのだが何にもできない自分がもどかしく、
どうしようもない無力感にさいなまされてしまう。

無力感を引きずりつつもひとしきり買い物を済ませ、また
駐車場へ。

まだ鳩はそのままの状態でじっとしていた。やはり何人かの
人たちが囁きあっている。

やっぱりどうしようもないか…と仕方なくその場を離れようと
したとき、そのスーパーの店員らしき人が2人手に
ハッポースチロールの箱を持ってやって来たではないか。

誰かがたまらず知らせたに違いない。
ちょっとホッとしつつ、何とかいい結果になるように祈りながら
駐車場を後にした。

動物たちに告ぐ!もっと人間を警戒せよ、もっと文明を恐れよ、
そしてもっと仲良くしよう。

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句会の空気

2007-06-16 15:53:00 | 俳句
私は俳句を始めてもう10年以上になる。
上達のほうはキャリアに伴わない体たらくだが、
好きなのは変わらず、今でも毎日句帳を枕元に置いて
一句ひねりつつ夢路へ旅立っている。

最初の句会は地元の公民館だった。「俳句会に入会したいんですけど」
と電話を入れると、ちょうど明日句会があるので5句作って来てくれという。

俳句なんて初めてなのに「無茶な…」と思ったのだが、なんとか
5句無理にひねりだして出席した。

私は当時漫画家だったので、漫画家仲間と漫画論なんかを
かんかんがくがくとやりあうのは慣れていたのだが、
この句会のシステムには緊張した。

まず自分の作ってきた5句を一句づつ短冊に書き、裏返しにして他の
人の句と一緒に重ねて置く。これを一緒にシャッフルするのである。
こうするとまったく誰の句かわからなくなる。

この短冊を一枚づつ出席者に回して自分の気に入った句を5句なら
5句選び出して(各句会によって異なる)それぞれが発表するのである。
(自分の句以外)

作者が誰かわからないので、詠まれた句の人は、「○×です」と
自分の名前を言わなければならない。

当時10数人の出席者がいたから、50句以上の中から、自分の5句
が選ばれるかどうかということになる。

この時の句会のメンバーは先生ともう一人の男性を除いて
すべて女性だった。そしてなんと初めて作って初めて発表した我が拙句が
1句詠まれたのである。一瞬どっかで聞いたような…と思っていると
「これは作者はどなたですか?」とうながされて、やっと自分の句
だと気づいて、「あ…あの…わ、私のようです」としどろもどろになって
答えたのだった。

そのとき我が句を採ってくれたのが、たった一人の男性会員のBさんだった。

「春の朝 眠れる森の妻 起こす」

という句だったのだが、今にして思うと、句会の男性は先生とBさんと二人だけ。
しかも二人ともすでに奥さんを亡くされているので、これは誰の句であるか
容易にわかるのである。

つまり白一点であるBさんは私に御祝儀の一票を投じてくれたのだ。

これが恥ずかしながらこのブログを書きながら気づいたのだった。
今更ながらですが、「ありがとうBさん」。

このBさんとは、その後よく呑みに行ったりして、
ごく親しくさせていただいている。
句会をお互いに離れた今でも時折会って呑んだり、私の作品展示のときも
必ず来てくれるのである。

仕事の都合でこの句会を離れてもう10年が経とうとしているのだが、
今でもこのときのメンバーが私の展示会に来てくれるのだ。
その度私は同窓会のようななつかしさと、大いなる歓びをもらっている。

現在は皆と違う俳句結社に所属しているのだが、こちらも
休みが合わなくなってしまって、なかなか行けないのと、
やや遠いのとで句会を遠ざかっている。

しかし一人での俳句作りは、気楽ではあるがもう一つ物足りなさがある。
そのせいか、このところ無性に句会に行ってみたくなってきた。
7月の休みが丁度合うので、久々に句会の空気を吸いに行こうかと思っている。

さすがに、ちょっと緊張するかも…。しかしこれがいいんだなあ…ウン



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7人の敵

2007-06-13 04:49:17 | ちょっとした出来事
男がいったん家を出ると7人の敵があるというが、
今は、男に限らずだろう。

確かに、まず出勤の際の交通渋滞・急に休んだり遅れたりする同僚・
不機嫌な上司・クレームをつけるパート・雨漏りの工場・などなど…
すぐに4つ5つの敵は出てくるのである。

当然ながら仕事を終えて家に帰り着くとグッタリ…。
ここでカミさんが「お疲れ様」と一言言って、ビールの
つまみなど出てくればそんな疲れもすっ飛ぶのだが、
ここで不機嫌なカミさんにヒステリックに対応されたりしたら、
8人目の敵となって、ズズ~ンと撃沈だ。カミさんよろしく!

しかし世の中捨てたものじゃない、敵がいれば味方もいるのだ。
出勤の渋滞だって、スッ車を止めて入れてくれる人・
行く先々の信号が青になる日・一足先に来てタイムカードを押してくれてる
同僚・ご機嫌な上司・など…敵が味方に変わることもある。

そんな人を私は“エンゼル”と胸の内で呼んでいる。
7人の敵の内、何人のエンゼルに会うのか、その人は
オセロゲームのように、クルリと白に変わるのである。

特に、その日の自分のピンチを救ってくれるような人が
出たら、私は「スーパー○×さん」と心の内で呼んでいるのである。

つまり、“スーパーエンゼル”となるわけなのだ。

さあて…きょうもエンゼルに会いに7人の敵の中へいざ出陣!だ。
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ジュリアーノジェンマなあの頃

2007-06-09 06:44:23 | ちょっとした出来事
どういうわけだか無性にマカロニウエスタンの
音楽を聴きたくなってしまった。
もう…仕事中もあのエンニオモリコーネの音楽が
頭を巡って仕方なかった。

マカロニウエスタンといえば、1964年から約6年間
大ブームを巻き起こしたイタリア製の西部劇である。

わたしは何を隠そう、小さい頃から西部劇のファンで
あの広々とした荒野にひろがるグランドキャニオンが好きで、
そこを舞台に繰り広げられる西部劇がたまらなく好きだった。

小さい頃TVでは「ララミー牧場」「ライフルマン」「ボナンザ」
「ローハイド」などよく放送していたもので、その中でカウボーイ達が
「また今日も豆かい」とグチをこぼしつつスプーンで掬って食べている
のを見て、自分もそれに憧れ、やたら皿の中におかずを入れては
スプーンで食べてた記憶がある。

それがいつの頃かすっかりTVから西部劇がなくなり、映画でも
アメリカがやらなくなってしまい、「西部劇はすたれた」と
言われるようになってしまった。

そんな時に突然のように登場してきたのが、イタリア製の
西部劇である。日本の黒沢明監督の「用心棒」を盗用した
「荒野の用心棒」が火をつけ、またたく間に日本を、そして
世界をも席捲したのだった。その映画音楽の中心になっていたのが
「エンニオモリコーネ」である。「夕日のガンマン」をはじめ
主だったマカロニウエスタンの曲は一手に引き受けていた。

西部劇に飢えていた人達は、わたしも含めて夢中になったのである。
正直マカロニウエスタンは、復讐ものを中心とした残酷シーンが売りの
ちょっとB級っぽい映画ばかりだったが、中には優れたものもあったのである。

そのマカロニウエスタンの3大スターが、クリントイーストウッド・
フランコネロ・ジュリアーノジェンマだった。
その中で特に私はジュリアーノジェンマが大好きで、きっと
口角泡をとばしてみんなに吹聴したに違いない。

この頃東京の某マンガプロダクションにいたのだが、いつの頃からか
私は「ジェンマ」と呼ばれるようになり、「ジェンマ!」「ジェンマちゃん」
「ジェンマくん」この3つで呼ばれるようになった。

こんなこともあって、なぜか今そのマカロニウエスタンのメロディーが
頭の中によみがえってきたのだ。

早速ネットで調べてみるとあったあった、やっぱり私のように
以前マカロニウエスタンが好きだった人達が、ブログなどで
映画のシーンの写真付き解説をしてくれたりしている。

同好の志を発見するのも又うれしいものである。しばし
当時の雰囲気にひたってしまった。

そして慎重にサウンドトラック盤の曲を選び出してCDを購入した。

いま仕事から帰ると、あの「夕日のガンマン」の口笛を
聴きつつ一杯やったりしているのだ。

東京を離れてもう十数年になる。再び彼らと会ったら
あの3っつのどれかで呼ばれるのだろうか。

「ジェンマ!」「ジェンマちゃん!」「ジェンマくん!」…。

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