つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

プレッシャー

2010-05-26 02:52:01 | 絵・まんが
「絵出来たらみんなに見せてよ」と、会社の食堂でたまたま隣り合わせになった某部署の
ベテラン女性に言われた。「み、みんなに…あ…ウ、ウン…」と、ちょっと曖昧に返事して
しまった。というのも、わたしは約束してしまうと、律儀に厳守しようとするので、濁した
のである。

某部署の女性たちは、毎朝の玄関掃除を週交代で当番しているので、玄関に飾ってある薔薇を
毎日怪しげに見つめたり、匂いをかいだり、携帯で写真を撮りまくっている絵描きオヤジが
薔薇を描こうとあくせくしているのを、多分全員が知っているのでありましょう。

あがり症のわたしが絵を描くときだけはあがらない自信があったのだが、「こりゃヘタなものは
描けんゾ~」と何だかプレッシャーがかかってきた。展示などしているので、別に誰に見られても
構わないのだが、会社の仕事関係の人に見られるのだけは、公私の私というプライベイトな感じも
あって、なんだか裸を見られるような気恥かしさを覚えるのだ。

まあ…こうなっては自分の納得できる絵が描けたら、携帯に撮って見ていただくつもりである。
今のところイメージが出来てる分、描ける確率は七割なのだが納得作品となると、グッと落ちる
のである。いずれにしても、7月の展示が終わるまでは準備に大忙しで、描きたくても薔薇の絵は
とても描ける状態ではないのだ。これがまたストレスぎみで、プレッシャーに輪をかけている。
「早く描きテェ~」

しかしまあ…描き損じたその時は「失敗した~」と言えば済むことだと、ちょっとホッとした。
…って失敗すんじゃネェ~。
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我が自慢

2010-05-23 05:05:06 | 健康
身体的にほとんど自慢するところはないのだが、たった1つ頼りにしていたスリムに見えていそうな
体は、実は内臓メタボと判明したし、これでまったくいいところなしになってしまった。

このままでは、多少なり自信を持ってこれからを生きて行くことができないではないか…。
何か一つでも自慢するものはないものかと探しあぐねていたが、わずかな光明が…、まあ大した
ことじゃないが、虫歯が1本もないことに気がついたのだ。けっこう周りでは、虫歯に悩まされて
いる人は多いし、せっかくの笑顔も、のぞく虫歯でおとしめている美人もいる。少しは自慢しても
いいかもしれないかなあ…と思ってしまった。

しかし…なかなかスンナリといかないもので、日々よく磨いているにもかかわらず、どういうわけか
歯が白くならないのだ。いつもわずかに黄ばんでいるのである。ゆえに笑う時も自信を持って
大口を開けられないでいる。ヤケクソになって血が出るほど磨いてみたが、真っ白にはならなかった。

ああ…一度でいいから、あの輝くような純白の歯を見せて、高笑いしてみたいものである。って自慢かい…
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薔薇のささやきⅡ

2010-05-22 04:32:36 | ちょっとした出来事
会社の玄関に飾られた薔薇が数日経ってやや弱ってきた。薔薇を飾ってくれている
女性役員の方に、「この深紅の薔薇が枯れて捨てる時は、いただきたいのですが…」と
お願いしたら、「何なら新しいの幾つかもって来てあげましょうか」と言ってくれたのだが、
むしろ枯れかかったのがいいので、丁重に断って、いただいてきた。

ちょっと紫がかった深紅の色に魅せられたからである。いただくときに初めて知ったのだが、
この深紅の薔薇は黒薔薇のことだというのである。後で調べてみるとどうやら「黒真珠」という
和名のようだ。

一茎に2輪咲いているのだが、1輪はすでに茎からプッツリ切れていて、枯れがすすんでいた。
自宅に持ち帰り一輪ざしに2輪とも挿したが、1輪はあまりに短く切れていたので水に届かず、
そのまま乗せているだけであった。

薔薇を描くイメージの一つに、剝がれ落ちてゆくのがあるので、茎の無い花ビラを一枚一枚
剥がしてジーッと観察してみる。すると今まで見たことがなかった薔薇の蘂がくっきりと現われて
きた。やはり実物を見ると確かな手答えを感じ取れる。

もう少し元気な薔薇ではどうか…と、茎にしっかり付いているほうの花ビラを剥がすべく引っ張って
みると、なんとしっかり付いて離れないのである。こっちだっていい加減弱っているはずで、花弁の
先っぽは色が褪せているのだ。さらに引っ張ったら途中から切れてしまった。花ビラの根っこは
しっかり付いているのである。わたしはこの時、「痛い!何するの!」という叫びにも似た声を
聞いた気がして、ハッと手を引っ込めた。その時薔薇が必死で生きてるけなげさと、強い生命力を
感じたのである。

先日この薔薇から「わたしをよく見てよ」というメッセージを受け取ったのを思い出したのだが、
このことだったのかも知れないと思った。1つの花瓶に数種の薔薇が活けてあったが、一花一花
匂いが違うのである。つまり一本一本違う命が宿っているということなのだ。

きっと深紅の薔薇は、「このわたしをちゃんと見てよ」と言いたかったのしれない。
以後、毎日花瓶の水を代えてやっている。日に日に色は褪せて行くものの、1週間経った今も
元気で花ビラ一枚落とさずにいる。わたしはもはや花ビラを剥がす気は失せていた。

黒薔薇の 死してくれない 燃え残す
                        issei
      
                         
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さらば愛しき女よ

2010-05-21 03:29:02 | つらつら思うこと
「さらば愛しき女よ」は、アメリカのハードボイルド作家レイモンド・チャンドラーの
探偵フィリップ・マーローシリーズの2作目で、映画化もされた代表作の1つである。

わたしは映画も観たし、小説も読んだのだが、正直ストーリーはあまり覚えてなくて、
マーロー役のロバート・ミッチャムの眠そうな眼と、悪女役のシャーロット・ランプリング
の怪しい眼差しだけが印象に残っている。

ただ…マーローが事件を追っていくうちに、その関係者の女性に魅せられ、やがて真相が
判明したときに、自分の魅かれた女が…。なーんて今ではよくある話の印象だった。

つまり…「さらば」とキッパリと別れを告げているが、「愛しき女よ」とまだ惚れているのに…。
という男心を描いた作品と勝手に解釈していたのである。何が言いたいかというと、この言葉の
中にある男の未練心というやつをつらつら考えてみたのである。

よく女性より男のほうが未練心は強いと言われるが、確かに実態はどうかわからないのだが、
見聞するに、そうかも…と思えるふしが多々ある。

女性は惚れれば一筋。その人しか見えなくなってしまうような一途さの特性を強く持っている
と言われる、いわゆるあばたもえくぼというやつである。。もちろん男とてその一途さにおいては
引けをとらないと思うのだが、いかにせん種まき本能のなせる技か、チラリと目移りするという
特性も持ち合わせているようである。

まあ…それがないわたしなど例外中の例外であろうが、(ホントかいな)しかし、これが逆に男の
未練心に繋がっているような気がするのである。手痛いふられ方をしたとき、一途な女性はすべて
好きだと肯定していた相手を一転して否定し、すべて嫌いになり、思いっきり泣いてキッパリと
脳裏から消し去ってしまうのかもしれない。逆に言えば、そうすることによって自分を守っている
のではないだろうか。

しかし男の場合、好きになってもアバタはアバタに見えるようなところがあるので、すべてを
嫌いになれず、「でも…ああいういいところあったよなあ…」などと肯定するところが残り、
それが未練心になっているような気がするのである。

目移り感のないわが身に振り返っても、しかり…な感じだ。まあ…男の未練心の奥では、「さらば
愛しき女よ」ではなく、「去るな愛しき女よ」なのかもしれないなあ…。などとなんだか情けない
男心をふと…思うこの頃なのだった。
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元某エスニック料理店のママへ

2010-05-19 04:07:20 | つらつら思うこと
以前A郵便局で作品展示をさせていただいたとき、置かせていただいた感想帳に、
気に入った作品名が書かれてあり、「今度展示会などひらくときは案内をください」
と記され、住所氏名それに店の屋号らしきものが書かれてあった。その住所の店を
見つけたので1度だけお邪魔したことがある。

店の表にはエスニック料理や飲み物・デザートの案内のポップが、失礼ながら、ほとんど
中・高校の学園祭のノリのように描かれてあった。店に入るとプーンと強い
東南アジア系の香の匂いが立ち込め、異国に踏み入った感じがした。

キョロキョロと店内を見渡すと、30代とおぼしきママがいて、わたしに鋭い一瞥をくれると、
ニコリともせずメニュー表を置いて立ち去った。まるで「エスニック料理を知らない奴が何しに
来たの」と言わんばかりの態度である。確かに初めてなので、メニュー表を見てもさっぱり
わからず、戸惑ってママに質問しても、つっけんどんな返事と態度にますます戸惑って、これなら
何とか…と「タイ風焼きそば」なるものを頼んだ。

しかしその態度とは裏腹に料理は見事で、ほぼ完ぺきな味だった。わたしは食べ物を一欠けらも
残さず平らげ、「旨かったッス」と言うとやっとニッコリといい笑みを見せてくれたのだった。
わたしは自分のことは伏せたまま、ただの一見客として立ち去った。

その店が無くなっていたのだ…。ポップはすべて剥がされ、閑散とした空家になっていた。正直
「ああ…」とガックリきてしまった。多少なり縁ある方なので、応援していたのである。
なんとなくいやな予感がしていて、「がんばってよ」と前を通る度に願っていたのだ。

事の仔細は知らないが、わたしのように、一度食べただけの一見客でもこんなに惜しむのに、
常連にいたってはなおのことだろう…。それほどの味だったのだ。

老婆心ながらママに言いたいのは、あれほどの味をもっと大切にしてほしいということである。
一人でも多くの人にそれを味わせてほしいのである。「そんなのわたしの勝手でしょう」と
言われればそれまでなのだが、料理に真摯に向かっている姿勢を、客にもとってほしい
のである。食べていただく…という謙虚な気持ちの大切さも知ってほしいのである。


いずれ、またどこかで店を出すとき、あるいはすでに出しているかもしれないが、自分の料理を、
それを食べてくれるお客を尊敬し、もてなせばそれが自分に返ってくる。そういうものだと思う
のである。わたしが最後に見たあの笑顔…惜しみなく最初から見せていただきたいものである。

謙虚さは決して損はしません、わたしが保障致します。デス、ハイ。
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