つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

ああオヤジギャグの行方

2009-01-31 04:37:50 | つらつら思うこと

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にほんブログ村ちょっと前のことだが、あるTV番組を見ていたところ、
女子高生がオヤジギャグを研究しているというのをやっていた。

オヤジギャグというのは、知っての通りオヤジが周りにうとましがられつつ
繰り出すいわゆるダジャレのことだ。

こんなものに女子高生が興味を持つなんて、時代も変わったものだと思っていたら、なななんとネット上ではあるOLがオヤジギャグクラブなるものを作って楽しんでいるではないか。

これはいいのか悪いのか、ちと簡単には判断できそうにはないが
まあ…無視の憂き目に合うよりは喜ばしいことなのかも…。

ちなみに先の女子高生の最高傑作は「そごうへいそごう」だった。
シンプルイズベストで、なかなかの出来だと思う。

わたしも本家のオヤジなので、負けてはいられない。(ナイショの話だが、
ダジャレはわりと好きなのである)

色々調べてみるとなかなか傑作なのもある。

まず最高傑作だと思ったのは、「ぶどう一粒どうぞ」というやつである。
みごとに“ぶどう”がかかっているではないか。

次が「アルミ缶の上にあるミカン」これも見事だ。

「うちの校長ゼッコウチョウ」もまあ面白い。

「あくせくアクセス」「バッタがふんばった」「このポンコツ車くたバッテリー」とか

「つばめがイスにスワローとしている」なあーんてかわいいのもある。

その他「レモンの入れもん」とか「台湾に行きたいワン」などという
たわいないのもある。

一方我がほうといえば、先日会社で仕事中パートの人が「今度の火曜日休み
たいんですけど」と言うので、「理由は?」と聞くと、「胃炎です」というので、
「そうか休む理由は、言えんか」とギャグッてしまったり。(けっこうウケた)

かなり真面目な人が、ロッカーでのおしゃべりで、「いやあ友達が今度の葬式で
喪主をやることになって、大変だって言ってたよ」という話から「喪主もピアノが
弾けたなら」と言ってのけたので、わたしは少々不謹慎ながら、大笑いして
しまった。

どうもこちらは他人のネタのいただきものばかりで、今ひとつ盛り上がらない
のだが、昨年の夏の盛りにに焼酎を持って行って、「焼酎お見舞い申し上げます」。

それから、先日スーパーで身内と買い物をしていたとき、「そういえば酢が
切れてたよなあ」と思い出し、さんざん探しまわって一言、「ミツカン酢が
見つかんないッス」。

まあ…当方はこの程度ッス。

しかしこの天下御免のオヤジギャグが、うら若き女性たちの興味の
的になったとなると、オヤジたちは喜んでばかりはいられない。

注目されれば、否応なく質の良し悪しやセンスなども吟味されることになる。

オヤジギャグの本質は、オヤジたちが競争社会で揉まれ揉まれて、
疲れ果てた末に発していたため息ともとれる。

そこにはそこはかとない哀しみが横たわり、嘲笑とあざけりの中で
自分の存在を認識するための自虐的よろこびがひそんでいたのかもしれないのだ。

それがギャルたちのものなどになれば、その哀しみは消えうせ、オヤジギャグは
一人歩きをし出し、いつの間にかギャルズギャグとして認知されるかもしれない
ではないか。

オヤジたちは、ため息すら奪われることになりかねないではないか。

ああ…さすらいのオヤジギャグよ何処へゆく…。

ちなみにワタシ好みのヤツを1つ…。「アルミである意味」…ウム以外に深いゾ。


 




 

 

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社弁というひと時

2009-01-25 03:38:40 | 食べ物

ブログランキング・にほんブログ村へまあ…会社ライフにおける昼食タイムというのは、それなりに
まあ…なんというか、なんなんです…ネ。

ウチの会社の弁当の取り柄は、とりあえず“まずくはない”という一点は
押さえているところか…。

「さて…本日は何を提供してくれるのか…」弁当のフタを開ける瞬間というのは
それなりにそれなりなので、そっと開けてみる。

お…っと、まず目に飛び込んできたのは、ピンクとグリーンの色彩である。
ピンクは透明の葛に包まれたピンク色のくず桜と、大根のピンクの漬物である。
グリーンはグリーンピースの甘納豆が一と升を埋めていた。

まだ1月だというのに、これは明らかに春の到来を意識させる色合いではないか。

「いいんじゃないの」ちょっと嬉しくなった。

弁当は、7つの升目に分かれていて、その他一番大きい升目に「さば煮」が
デンと置かれ、小松菜・サトイモ・大根の煮物が、さばの周りに同居している。

ほかの升目には、鶏の竜田揚げ・マカロニサラダ・コンニャクの煮物と
7つの升目を埋め尽くしている。

はてさて、どこから攻めるか…。我が迷い箸は、コンニャクの煮物で止まった。
いつもなら好きな魚から行くとこなのだが、先の春色に惑わされたか…。

けっこういける。

続いてマカロニサラダで口を整え、一気にメーンのさば煮に突入した。

鶏の竜田揚げを平らげ、グリーンピースの野で遊び、一輪のくず桜を
愛でて、フィニッシュした。珍しく完食だ。

ウン…けっこううまかったッス。ごちそうさまでした。

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感謝力

2009-01-24 03:33:40 | 

にほんブログ村 酒ブログへ今年は年明け早々から飲み会の誘いが多い。

友人F氏からは年賀ハガキで「今年も楽しく飲みましょう年始に早速実行
しましょう」とあったし、会社の飲み仲間からは、「新年会やろうよ」と
言ってきている。

呑み助のわたしに異存があるわけはなく、友人F氏とは早速前回行った
地元の飲み屋で落ち合った。

相変わらず彼はダンディーにトレンチコートを着こなし、ネクタイが決まっている。
髪も真ん中からきれいに分けられ、シルバーグレイにかがやいている。
元々オシャレな彼こそ「カレセン」の対象にふさわしいオジサマではないか。

わたしの国籍不明な目覚めオヤジとは根本が違っているのだ。彼とは焼酎の
お湯割を酌み交わし、旧交を温めると共に、我が遅まきの目覚めの相談にも
乗ってもらった。彼からは心ある注意と警告を賜り、全てへの感謝の気持ちの
大切さを語り合った。

わたしは日頃から、感謝の気持ちには力があると信じていて、それを「感謝力」
と思い、人よりも強く持っているつもりだったのだが、このところちょっと
忘れていたような感じだったので、改めて初心に帰ることが出来たのだった。
これこそ感謝感謝である…。ありがとう友よ…。またやりましょう…





 

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おもむき

2009-01-18 03:47:06 | 絵・まんが

にほんブログ村 美術ブログへ昨年の12月に1日だけ絵の展示をさせていただいた。

9点と少なかったのだが、終った後で会場関係者が色々と感想を言ってくれた。
「何だか雰囲気が変わってきたねえ」と一様に口を揃えたのだ。

実は昨年の夏に描いた「牡丹」あたりから、[isseiさんおもむきが変わったわネエ…」と「茶房じゅん」のママに最初に言われてから、よく言われるようになったのだ。
それが悪いニュアンスで言われると相当気になるところだが、割といい
ニュアンスなので、ちょっとホッとしている。

絵描きは否応なくその画風が変化していくものなのだが、このおもむきの
変化は、今後の展開の兆しなのかもしれない。

わたしは好きなことしか出来ず、自分が好きでやってきた俳句・漫画・書・彩墨画を
なんとか融合させて、1つの作品にならないものかと始めたものが、「はいまん彩」
である。

「はいまん彩」の基本は俳句が先にあって、そのイメージで俳句・漫画・書・彩墨画
と配置して描いていたのだが、それを意識するあまり時折小さくまとまって
伸びやかさを欠くことがあることに気づいたのだ。

そこで、一昨年あたりから俳句・漫画・書・彩墨画をまとめることなく、
どれか描きたいものを優先して、伸びやかに描こうと思い始めた。
その結果として、はいまん・筆まん・まん彩と分離した作品が生まれ出して
きたのである。

また、俳句も五・七・五全て挿入するのではなく、その絵のバランスによって、
時には五・七だけとか五だけとかでもいいではないかと思い始め、
今はそうしている。

又、まったく俳句が入ってないのだが、俳句を念じつつイメージして描くことにより、
絵に溶け込まそうとして描く「裏はいまん彩」ともいうべきものも描き始めたのである。

昨年のテーマは「花と昆虫」だったが、今年のテーマは今のとこ設けていない。
しかし描きたいもののイメージが珍しく鮮明にあるので、そいつを何とかものに
したいと思っている。

いずれにしても、まだ自分が本来描きたいと思っているものとは程遠く、
基本描写のレベルである。(もちろん本人は必死で描いているのだが、まだ
このレベルでしか描けない)めざす頂上ははるか彼方で、おいでおいで
しているのだ。

しかしふつふつと気合が入ってきているので、今年から本来描きたいものへ
踏み込みたいと思っている。
今年は本気の本気で行くぞーっ!と

 


 

 

 

 

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一枚の年賀ハガキ

2009-01-11 06:10:35 | 絵・まんが

ブログランキング・にほんブログ村へ未だに年賀ハガキの返事が返ってきている。ありがたいことである。

いつも思うのは、この一枚のハガキがわたしの手を離れ、千里万里の旅をして
直接相手の手に届くことだ。年賀ハガキにいたっては、年越しという時空を越えて
届くのだ。

考えてみると、この時空を取り除けば直接わたしの手から相手の手へと手渡し
しているのと同じことになる。そういう意味合いもあって、時候のハガキや
年賀ハガキは大切に考えている。

毎年、漫画バージョンか「はいまん彩」バージョンかを考えて年賀ハガキを
出すのだが、昨年漫画バージョンだったので、今年は一句を添えた「はいまん彩」
バージョンで仕上げて出した。

そして返事をいただいた一枚のハガキに、「句が書いてあるのがわかるのですが
判じ物のようにどうしても解読できず、ずるいなと思いつつ…」と書かれた
Hさんのものがあって、その鋭い感覚に思わず「スミマセンでした、仰せの通り
です。」と、苦笑しつつおそれいってしまった。

判じ物とは…文字や絵画にある意味を隠しておき、それを当てさせようと
したもの、またその遊びなどのことである。

今回の年賀ハガキに描いた雉鳩やスズメのバックの青空に、白抜きで書いた
「 初鴉去って  初鳩  初雀 」の一句を微妙に所どころ青空に溶け込むように
して、意図的に判読しにくくしたのである。しかし我が小ざかしいたくらみなど
たちまち看破されてしまったのだ。

「ずるい…」ですか…いい響きだ…。

 

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