にほんブログ村ちょっと前のことだが、あるTV番組を見ていたところ、
女子高生がオヤジギャグを研究しているというのをやっていた。
オヤジギャグというのは、知っての通りオヤジが周りにうとましがられつつ
繰り出すいわゆるダジャレのことだ。
こんなものに女子高生が興味を持つなんて、時代も変わったものだと思っていたら、なななんとネット上ではあるOLがオヤジギャグクラブなるものを作って楽しんでいるではないか。
これはいいのか悪いのか、ちと簡単には判断できそうにはないが
まあ…無視の憂き目に合うよりは喜ばしいことなのかも…。
ちなみに先の女子高生の最高傑作は「そごうへいそごう」だった。
シンプルイズベストで、なかなかの出来だと思う。
わたしも本家のオヤジなので、負けてはいられない。(ナイショの話だが、
ダジャレはわりと好きなのである)
色々調べてみるとなかなか傑作なのもある。
まず最高傑作だと思ったのは、「ぶどう一粒どうぞ」というやつである。
みごとに“ぶどう”がかかっているではないか。
次が「アルミ缶の上にあるミカン」これも見事だ。
「うちの校長ゼッコウチョウ」もまあ面白い。
「あくせくアクセス」「バッタがふんばった」「このポンコツ車くたバッテリー」とか
「つばめがイスにスワローとしている」なあーんてかわいいのもある。
その他「レモンの入れもん」とか「台湾に行きたいワン」などという
たわいないのもある。
一方我がほうといえば、先日会社で仕事中パートの人が「今度の火曜日休み
たいんですけど」と言うので、「理由は?」と聞くと、「胃炎です」というので、
「そうか休む理由は、言えんか」とギャグッてしまったり。(けっこうウケた)
かなり真面目な人が、ロッカーでのおしゃべりで、「いやあ友達が今度の葬式で
喪主をやることになって、大変だって言ってたよ」という話から「喪主もピアノが
弾けたなら」と言ってのけたので、わたしは少々不謹慎ながら、大笑いして
しまった。
どうもこちらは他人のネタのいただきものばかりで、今ひとつ盛り上がらない
のだが、昨年の夏の盛りにに焼酎を持って行って、「焼酎お見舞い申し上げます」。
それから、先日スーパーで身内と買い物をしていたとき、「そういえば酢が
切れてたよなあ」と思い出し、さんざん探しまわって一言、「ミツカン酢が
見つかんないッス」。
まあ…当方はこの程度ッス。
しかしこの天下御免のオヤジギャグが、うら若き女性たちの興味の
的になったとなると、オヤジたちは喜んでばかりはいられない。
注目されれば、否応なく質の良し悪しやセンスなども吟味されることになる。
オヤジギャグの本質は、オヤジたちが競争社会で揉まれ揉まれて、
疲れ果てた末に発していたため息ともとれる。
そこにはそこはかとない哀しみが横たわり、嘲笑とあざけりの中で
自分の存在を認識するための自虐的よろこびがひそんでいたのかもしれないのだ。
それがギャルたちのものなどになれば、その哀しみは消えうせ、オヤジギャグは
一人歩きをし出し、いつの間にかギャルズギャグとして認知されるかもしれない
ではないか。
オヤジたちは、ため息すら奪われることになりかねないではないか。
ああ…さすらいのオヤジギャグよ何処へゆく…。
ちなみにワタシ好みのヤツを1つ…。「アルミである意味」…ウム以外に深いゾ。