つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

事後処理

2009-12-31 05:01:24 | ちょっとした出来事
激動の今年がもうすぐ暮れようとしている。

あまりにいろんなことが起こったので、その事後処理がまだ残っているのだ。
通常うちの会社では年末の仕事があるのだが、今年は休みをもらってその処理に
あたっている。

大きなもので、交通事故処理、母の死後処理、引越しの処理、とある。
交通事故と引越しの処理は、まだ少し残っているものの、おおむね終了した。

後一番やっかいで残っているのは、母の死後処理である。生命保険、預金口座
などの届けと、残された親族での話し合いをしなければならないのだ。
わたしが長男で喪主なので、すべてわたしが取りしきらなければならないので
ある。

幸い兄弟間に問題はないので、わたしに一任されている。銀行というところは
午後3時までに本人が行かなければならないので、通常の勤務では事実上
行けないのが現状だ。

死亡者の預金通帳は役所に死亡届けを出した時点で、口座の引き出しがストップ
され、引き出すのにものすごく煩わしい手続きがいるという噂を聞いていたので、
覚悟して行った。

が…しかし、現実にはそんなことはなく、銀行やゆうちょに直接届けを出した
時点で、口座はストップされるのである。つまり、それまでは今まで通り
死亡後も出し入れできるのである。だから葬儀費用などの引き出しは可能なので
ある。

それに預金の額の大きさによって、手続きも割りに簡単なのと、煩わしいのが
あることも知った。幸か不幸か、母の預金は大したことない額だったので、
大半は簡単な手続きでよかったのだが、それでも、平日はあちこちの銀行やら
ゆうちょやらへ行って、区役所へとまわり、戸籍謄本、印鑑届けなどの手続きに
おわれた。

兄弟姉妹への連絡も一通り済んだし、まあ…やっと一息というところまで
きた。まだまだ残ってはいるが、何とか年は越せそうである。

というわけで、みなさま今年もお世話になりました。
よいお年をお迎えください。





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のだめカンタービレ

2009-12-29 05:16:13 | テレビ
TVドラマで何が好きって、この「のだめカンタービレ」ほど
好きなものはない。

何せ全巻DVDに録っていて、観るものがないと観ているのである。
何度観ても飽きないのはこの「のだめ…」ぐらいである。

「チャングム」なども好きだったのだが、けっこう疲れるので、また
観たいとはそう思わないのだ。

コミックも読んだが、ほとんど原作に忠実に作られていて、セリフ回しまで
そのままなのには驚いてしまった。これはあたり前だと思うかもしれないが、
セリフを変えられたりするのは日曜茶飯事で、ときにはストーリーさえ
いじられるのが珍しくないのである。それだけ二ノ宮和子という作者を
TV局側が信頼している証拠だろう。

「のだめ」のキャラの面白さ、先輩千秋の孤高の苦悩、それにことごとく
関わって道を開いてゆく主人公「のだめ」の設定の見事さ。
わたしも元マンガ家として、これら二ノ宮氏の恐るべき力量を知って
敬服している。

それだけに新作を待望していたのだが、ついに映画が公開されることに
なったのだ。TVシリーズでないのがちょっと残念なのだが、まあいいでしょう。
必ず観にいくつもりである。

それと「のだめ」で見逃せないのが、クラシック音楽への関わり、造詣の深さ、
それをわかりやすく導入してくれていることだろう。
お陰で、「のだめ」の主題曲「ベートーベンの交響曲第7番」も知ったし、
「ブラームスの交響曲第1番」なども好きになってしまったのである。

その他全編に流れるクラシックの数々の選曲の見事さは、音楽担当の服部孝之氏
によるものなのか、楽しませてもらっている。これには、作者の二宮氏も十分
満足しているだろうなあと推測されるのだ。

わたしなどクラシックといえば、せいぜいベートーベンの数曲か、たった1つ
好きだったのがドボルザークの「ユーモレスク」だったのだ。

それが今、我がベストアルバムに聴き飽きると、その合間にクラシックの
C・Dを聴いているのである。わたしは何事にも信者にはならないのだが、
この「のだめカンタービレ」には、かなり信者化しているようだ。
恐るべし二ノ宮和子サマ…。




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人と人とのあいだには

2009-12-28 04:38:08 | つらつら思うこと
最近気になっていることに、人と人との間の距離がある。
いわば親密度、好感度また逆に嫌悪度のようなものである。

これが象徴的にあらわれるのが座る席の位置や距離である。うちの会社の
食堂は約50~60人程座れるイスがあるのだが、会社の各部署が入り混じって
思い思いの席に着く。このときの席と席の微妙な距離がその人たちの親密度
ともいうべき関係を表しているようだ。

このとき当然気心の知れた友人であれば、隣に座るのに何の抵抗もないだろうし
むしろ座りたいと思うに違いない。しかし嫌いな人や苦手な人の隣には座りたく
ないのが心情であろう。どうも人というのはそれぞれオーラなのかどうかは
知らないが何やら波動を発しているようで、その波動は共鳴するのと反発するのが
あるようだ。お互いに親近感を感じていれば近づくほどに共鳴し合い、
嫌悪感を感じていれば反発、あるいは乱れるようである。

これが度合いによって、イス1つあるいは2つ3つと間を空けることになる。
これが好き嫌いの簡単な関係ならどうってことないのだが、わたしは、ちょっと
いいなあと好感を思ってる女性とか、若いきれいどころの女性の隣にはかえって
座れないのである。しかし同じ部署の女性の隣には割りと平気で座れるのだ。

これはどういうことかなあとつらつら考えてしまった…。

多分に意識の問題だと思うのだが、考えてみると好感を持っている人の
そばには寄りたいのが心情ではないだろうか。にもかかわらず敬遠してしまうのは
なぜか?テレなのか、はたまた相手に対する配慮なのか…、考えてしまったので
ある。ほんとうは絶対近くに行きたいハズだと思うのだが…?。

そんなときこんな事件が起こったのだ。

わたしが弁当を持って席を見渡すと苦手なオッサンの隣が2つ空いていて、後は
全て埋まっているのである。そしてその2つ空いた次の席にはちょっと若き
きれいどころが座っているではないか。通常であれば2人共敬遠してしまう
ところなのだが、どちらかに座らなければならないのである。

このときほんの一瞬迷ったのだが、「えい!」っと気合を入れてきれいどころの
隣に座ったのである。

わたしは弁当をパクつきながら、もし…右隣の席にきれいどころではなく、上司
だったら…、はたまた喧嘩している相手だったら…、はたまた好感をいだいている
女性ときれいどころのあいだだったら…、などなど距離の不思議を思ったの
だった。

そして、どういうわけだかこれをきっかけに、好感をいだいている女性でも
きれいどこでも、隣に座れる気がしてきたのである。「えい!」と気合を入れて。
果たして座れるかどうか…。なあ
コメント (4)
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オバさんへのいざない

2009-12-27 05:27:17 | つらつら思うこと
常々不思議に思っていたことの一つに、けっこうきれいどころの
女性があっさりオバさんになり、気がついてみたらオバタリアンに
なっていた。ということを少なからずお見受けすることである。

わたしはそれを見るたび、もったいないなあと思うのである。
この「もったいない」というのは、単に我がSUKEBE心だけで言っている
のではない。きれいな女性の力にはものすごいものがあるというのを
知っているからである。周りの雰囲気を変えてしまうのはもちろん、野郎共の
荒れた心を一瞬にして和らげることが出来るのだ。また大きいことでは
時には歴史さえ変えてしまう恐るべき力を持っているのである。(これは当の
きれいどころ自身は案外気づいていないような気がする。)

だからあっさり放棄してしまうのかもしれない。まあ…実際はそこまでの
過程に相当な葛藤があるのかも知れないのだが、何だか“あっさり”という風に
感じられてならないのだ。

そのへんを我が身内に聞いてみると、どうも“女”をやっているのも
大変だと言うのである。確かにちょっと出掛けるのにも化粧や身だしなみに
気を使わなければならないし、髪染めなど煩わしくて、できればやりたくない
というのだ。

なるほど、それを放り出してしまうと、楽になるのは間違いない。
結婚して子育てを終え、それなりの暮らしを手に入れて肩の荷を下ろしたい
ところでもあろうし、いまさら男性の視線を気にしての着飾りでも
ないだろうと、ときめきを卒業してしまうのかもしれない。

確かに楽なんだろうなあ。この「ラク…」がオバサンへのいざないの
キーワードなのかもしれないし、そこにはヤレヤレという安堵感と同時にどこか
快感が潜んでいるような気がするのだ。そう…隠れキーワードは、“快感”
なのではないだろうか。ラク、と快感、に身をゆだねる自由を、我らオヤジに
とやかく言われるゆわれはないに違いない。そう思うとオバサン化も
やむなし…か。ン~でも、やっぱりもったいないよなあ…

しかし、これは何も女性ばかりではない。男とてすぐオヤジ、オッサンになる
人も少なくないのだ。イケメンがすぐオヤジになるのを惜しむ女性もいる
かもしれないではないか。そこで、果たして、男にはオヤジ、オッサンになるに
快感はあるのかどうかであるが…ン~これはあるとも思えんなあ…。
男は自らを省みずして、煩悩だけが膨れ上がっている哀しい生き物のようだし。
オトコには無いか…ナ快感は…ナイナイ。
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酔って酔わない?

2009-12-26 05:37:13 | 
会社の慰安旅行を兼ねた1泊2日の忘年会に出かけた。

琵琶湖・京都を巡るバスツアーで、1日目は琵琶湖の畔に宿をとり、
2日目に京都の嵐山で昼食をとって御帰還の予定である。

前回の飲み会での粗相もあって、琵琶湖での忘年会ではちょっと用心して飲んだ。
そのためか酔っているにもかかわらずどこか醒めている感じがあって、
やや中途半端な酔い方になってしまった。

飲む楽しさというのは、奈落に一歩踏み込んだ…つまりちょっと飲まれている
感じが1番の快感なのであるが、そこまで踏み込めなかったのである。

この日はすでに2次会の用意が同ホテルのクラブで用意されているというので、
男女入り乱れてそのクラブに乗り込んだ。クラブではスカートのサイドスリットが
ふとももあたりまで入ったホステスたちが迎えてくれた。

役員も一緒だったがまさに無礼講で、みんな酔いにまかせて舞い上がっていた。
特に女性達は、こんなクラブなどあまり行ったことはないと思うのだが、むしろ
女性陣のほうが弾けていた。

わたしと同席で飲んでいた独身の我が部署の王子様も、姉妹工場の女性たちの
肉弾攻撃にタジタジの体で、見ていて何だかほほえましく、苦笑しながらも
楽しめた。

依然としてこちらはやや醒めた感じが続いていたのだが、やっぱり飲むのなら
酔っ払ったほうが勝ちだな…と改めて思ってしまった。そして酔っ払って
楽しく弾けてる人は全てがゆるせるような気がした。

というわけで、先日の飲み会の粗相の反省もどこへやら、「おのれ、今度は
こっちが弾けてやるゾ…っと。」ヤレヤレ…飲んべえってヤツ…は。
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