つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

はっさく狩

2010-03-28 06:46:52 | ちょっとした出来事
「今日はっさく取りに行こうか」と上司が声を掛けてきた。

実際は3日後に、わたしと同僚の王子様と3人で行く予定だったのだが、
このところの天候不順と3日後の予報がかんばしくないのとで、3日後が
心配になったのだ。我らは「OK」して、出掛けることにした。

仕事が終えて、上司の案内する車の後を追った。先日亡くなった上司のお兄さんの
畑の周りに、はっさくの木が数本あるそうで、それがたくさん生っているというのだ。
例年、剪定して蕾を減らして実を大きくするのだが、今年はお兄さんが入院していたため
出来なかったそうで、実は沢山なったが粒が小さく味はイマイチかもしれないということ
だった。

畑に着くと、すでに沢山の実が木の周りに落ちていた。なるほど、普通のミカンを一回り
大きくしたぐらいで、はっさくにしては小さかった。

接木などして、デコポンなどもあったらしいが、全部盗られてしまったそうで、1個も
見当たらなかった。(デコポン好きとしては少々残念ではあったが)

ままよ、きれいな実だけ選んで45リットル袋をそれぞれ1袋ずつ持って拾い出す。
ひとしきり拾い終えると、上司が枝を揺すって落としだした。ポトリポトリと落ちてくる
のを拾い集める。手の届くところの実は直接捥いでいく。競争心も出て、けっこう夢中に
なってしまった。

小一時間で、それぞれの袋に約半分ほどが溜まったところで、終了した。数は
かぞえなかったが、それぞれ100個ぐらいはあったかも…。まだ手の届かないところに
大きめのが残っていたのだが、これ以上は運ぶのが大変でもあったのだ。

家へ持ち帰って食べてみると、味はイマイチどころか甘くてメチャクチャ旨いではないか。
あっという間に3個平らげてしまった。まさにこれは拾いもんだった。

翌日会社に3分の1袋ほど持って行って、昼食のデザートに出したら全て売り切れて
しまった。我が家ではバッチリキープしてあったので、毎日食べてもかなりモツ予定で
ある。それにしても、お兄さんの畑の傍はいい土壌だ…。



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ついでに

2010-03-28 04:54:49 | 絵・まんが
前回久々に漫画家時代のことを思い出したので、事のついでに「持ち込み」に
ついてもう少し…。

漫画家は、描いたマンガが雑誌に掲載されないと、読者の目に届かないのは
ご存知だと思うが、この雑誌と言うのは、まあ「少年ジャンプ」「少年マガジン」
「少年サンデー」などであるが、この雑誌を出版しているのが、集英社・講談社・小学館
などの出版社なのだ。

今挙げたのは、少年マンガ雑誌の代表的な大手出版社なのだが、それ以外にも中堅の
出版社がたくさんあって、こちらは4コマまんが、大人のコミックを扱っている。
そこへ描いたマンガの原稿を編集者に直接見てもらうのが「持ち込み」なのだ。

この「持ち込み」に大きな壁となって立ちはだかるのが編集者なのである。
この編集者を突破しないと、自分のマンガは日の目を見ないことになる。

当然編集者も人間なので、さまざまな個性を持っていて、毎日何人もやってくる
漫画家志望者を迎え撃つわけなのだ。

面白いのは、いけそうな作品になるほど、編集者の言葉はきつくなり、態度も
つっけんどんになったりすることが珍しくないのである。逆に読んだ後「なるほど…
よくわかりました」などと丁寧に言い出したらもうアウトと思って間違いない。

また、期待する漫画家志望者に対して、ケチョンケチョンにけなして奈落の底に突き落とす
こともやるのである。これをやられると、自信を喪失してしばらく描けなくなってしまう
こともあるのだ。やられた人で二度と這い上がれなかった志望者を何人か知っているが、
いずれも、わたしなどより才能豊かな人たちだったのだ。

漫画家など自由業を目指す人は、自分で自分を支えなければ生きていけないので、生業に
している連中は多かれ少なかれ、自分を信じる強烈な自我で自分を支えているのである。
それを支えきれずにあきらめた瞬間に終わりを告げてしまうのだ。

しかし、彼ら編集者は突き落とした千尋の谷底から這い上がって来るのを待っているので
ある。そして這い上がれた者だけが、手を差し伸べられるのだ。
まあこのように厳しい試練を潜り抜けなければ、読者の眼に届かないのである。

かく言うわたしもちゃんと谷底から這い上がれなかった一人なので、(少しは期待
されていたのか、単に嫌われていたのか定かではないが)大した漫画家には
なれなかったが、それでも15年ほど生きながらえたのである。

ついでに、これから漫画家、あるいは何かのアーチストをめざす人たちに、「自分を
信じることを歯をくいしばって最後まであきらめるな」とエールを送りたい。

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プレゼンテーション

2010-03-24 18:19:07 | 絵・まんが
わたしは、あがり症なので、人前でしゃべるのを大の苦手としている。
それでも、趣味の俳句の句会などで司会などやらされて、いくらかはしゃべれるように
なったが、やはり苦手である。

だから、大勢の人の前で堂々としゃべる人を見ると、無条件に尊敬してしまうのだ。
以前同僚だった友人のF氏も会社の全体会議では、全社員を前に堂々と自分の意見を
述べれるのである。もう惚れ惚れするくらいなので、「どうすればあんなに人前で
しゃべれるの」と聞いてみた。

すると彼は、以前勤めていた会社での仕事が、プレゼンテーションなしでは出来ない
ところだったので、必然的に身に付いたというのである。

プレゼンテーションというのは、自分の作品や企画、研究の成果などの情報を、
聴衆に対して発表し伝達することなのだが、はてさてそんなことやった覚えは…。
と思っていたら、ン…もしかして、あれってプレゼンテーション?とおぼしき
ことがあるではないか。

それは漫画家の修行時代にやった“持ち込み”というやつである。当時例えば
「少年ジャンプ」ではマンガ読みきり31ページと決まっていたので、31ページのマンガが
描けたら「ジャンプ」の編集者にアポをとって、「○日の○時に集英社の編集部へ」
と約束の日時に作品を持って出掛けるのである。

そして編集者に見てもらい、講評をうけるのだ。このとき作者は、自分のこの作品が
いかに優れているか、いかに自分が将来有望な新人であるかということをアピールする
のである。聴衆に対してではなかったが、今にして思えばプレゼンテーションではない
だろうか。

当時生意気にもわたしは自分が天才だとうぬぼれていたので、(すぐに天災のほうである
とわかるのだが)ちょっと首をかしげる編集者に対して、「こいつオレの才能がわからん
のか」などと思い上がって、不届きな態度をとって、原稿がボツになることが多々あった
のだ。(ホントどうしようもないヤツでした)

考えてみれば、全国津々浦々からその道の達人・才能・各地の天才?が集まってくるので
ある。鼻っ柱をへし折られるにはそう時間はかからないのだ。それでも編集者は辛抱強く
作者のいい面を引き出そうと努力してくれるのである。エライ…。

その後もいろんな出版社に持ち込んでこのプレゼンテーションを繰り返して、少しずつ
OKをもらうようになって、やっとマンガ雑誌に掲載されるのだ。

こういう1対1の経験は豊富で平気なのだが、大勢の前だと舞い上がってしまうのである。
(情けない)だから、できれば多くの聴衆の前で堂々と自分の意見を言えたらいいなあ
とはかない願望は抱いているのだが、そんな役割をふられると、一目散に逃げてしまう
のである。

しかしまああまり多くを望んでもいけないので、このコンプレックスを噛みしめつつ
堂々と?生きていこうと思っているのデアリマス…。



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それとこれ

2010-03-21 06:50:15 | つらつら思うこと
若さに嫉妬して、遅まきの青春性の目覚めをたまわって以来、目からウロコが落ちた
感じで世の女性を眩しく感じていたが、果たして、ほかの人はこのような目覚めは
なかったのか…。気になったので、同じく家庭持ちで愛妻家の同年輩の友人知人に
会うごとに聞いてみた。

すると、異口同音に「それとこれとは違うでしょう」というのである。

そして、彼らはとっくの昔に目覚めていたのに驚かされたのである。にゃんと
わたしだけが年をとったガキだったことに気づかされたのである。「一体我が人生は…」
またもやおいてけぼり感に、しばし呆然としてしまった。

“それ”と“これ”つまり、妻とほかの女性のことなのだが、その愛情というか
にゃんというか、そこいらを彼らは見事に意識分けしていたのである。

言われて、感覚的にはすんなり「わかる」と思えるのだが…「それ」が他の女性で
「これ」が奥様でありましょう。

しかし、「そのそれ、って、どうこれと違うのか」と突っ込むと、これまた
異口同音に「ウ~ンそれ、はそれ、これ、はこれでしょう」などと、追求をかわされて
しまうのだった。

まあ…みんな感覚的に納得しているようなのである。

こちらは遅すぎた目覚めのおかげで、一応…ときめき、切なさ、とまどい、懊悩、ため息、
と久々に思い出したのだが、若き日となんら変わらないように思えた。

なかなか、このようなものにしっかりした免疫は付かないようである。
そして、この目覚めが、我が人生に何をもたらしたのか…まだ、何も見えてないのだ。

「友情と愛」「義理と人情」「遊びと本気」「夢と現実」世にあふれる、あれ、それ、
これ、それ、幼稚なワタシには、なかなか使い分けできませぬ…。

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謝意

2010-03-14 04:09:10 | つらつら思うこと
正直誰の葬儀も出たくもないし、自分の葬儀にもそんなに出席してほしいとも
思わないのだが、先日上司の長兄の通夜に出席した。

訃報を知ったときは、ただその事実を受け入れるだけだったのだが、次第に
出席したい思いにかられてきたのである。

自分でこういう気持ちになるのは、まったく珍しいことだったのだが、無性に
行きたくなったのである。上司は「兄だから別にいいよ」と言ったのだが、
仕事を終えた後、喪服に着替えて出掛けた。

というのも、実はお兄さんにはお世話になっていたのだ。ミカンの収穫期になると
収穫したミカンを上司にいただいたり、ダンボールごと安く購入したりして
いたのであるが、そのミカンをつくっていたのがお兄さんなのである。

元々わたしは酸味は苦手で、ミカンもただ甘ければいいというタイプだってのだが、
上司にいただいたミカンは酸味はあるのだが、それが甘みに鋭さを与えるような
感じで、ミカンらしい深みになっているのだ。ブランド名のミカンと比べても
勝るとも劣らないなである。その味にお世話になっていたのである。

それだけではない、ダンボールで購入すると、我が家で毎日食べてもなかなか減らず、
10日以上に及ぶこともあるのだが、長持ちするのである。さすがにしわしわとなるのだが、

甘さはむしろ増してきて、よりおいしくなるのだ。ブランドみかんはとっくに
食べれなくなってしまうのにである。

もういう良品を作るには、それなりに丹精込めた努力や苦労なしではできないことが
わかるので、それに敬意と感謝を表したかったのである。

初めて拝見する壇上のお兄さんの写真は、おだやかそうないい顔をしておられた。
わたしは手を合わせ、ただただ「ありがとうございました」と、労のねぎらいと
感謝の気持ちを伝えたのである。

どうやらミカン畑は上司の次兄が継ぐそうで、またおいしいミカンのご相伴に
預かれるのを楽しみに…。合掌

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