つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

自己紹介

2010-07-28 04:30:53 | つらつら思うこと
つい先日、ある同好の有志の倶楽部に入会した。画友のM氏が「面白いよ」というので
覗いてみて、やってみることにしたのである。

その中で、会員の自己紹介の欄があるのだが、わたしなど、長々と趣味嗜好など羅列して
しまったが、わたしのところへコメントをくれたある会員の方の自己紹介にまいって
しまった。

「一生青春で行こうと思っています。」とだけ書いてあったのである。正直「やられた!」という
思いだったのだ。この言葉こそわたしが書かなければいけないことだったのである。

簡潔で明瞭な言葉。これこそ、日本で一番短い文芸といわれる俳句をやっているわたしに課せられて
いる命題ではないだろうか。もっとも凝縮された言葉の一矢を放って、グサリと人の胸を突きたい
ものである。まだまだ…修行が足らんなあ…。
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まぼろし…

2010-07-26 05:02:25 | つらつら思うこと
映画「欲望という名の電車」の中で、「女の魅力の半分はまぼろしなのよ」と女性自身が言う
セリフがある。つまり女性は自分たちの魅力の要因を知っているのだ…とわたしは驚いた記憶が
ある。

わたしは女性を尊敬し、畏怖し、崇拝すらしていて、女性には勝てないと思っているのであるが、
一応既婚者としての認識では、女性自身の本質は、かなりなリアリストとは承知しているつもりで
ある。にもかかわらず、いまだ幻惑されるのである。これはやっぱりまぼろしの媚薬を嗅がされて
いるのかもしれないではないか。

果たして男は、男の魅力の要因を知っているだろうか。少なくとも、何%か、あるいは、
いくばくかのまぼろしを持ってると言えるだろうか…。ヨン様人気などをみると、明らかに
多くのまぼろしを備えていると思われるのであるが、ヨン様自身のまぼろしというより、女性が
まぼろしを作り出しているようにも思えてならない。

このまぼろしは、男たちに対してのみ、効力を発揮するものだと思うのだが、これが本当だと
すると、我ら野郎どもは半分は女性の持っているまぼろしに幻惑されているということになる。
「な~んだ」とガッカリすることなかれ、よく考えてみるとすごいことではないか。それは
いわば一種の超能力を使われているのかも知れないのである。いや、魔力か…。

かの雪女に見つめられたかのごとく、その魔力に幻惑されるのである。つまり…女性は皆多かれ
少なかれ、雪女的魔力を備えているのかも知れないのだ。そして今も世界のあちこちで、
その幻惑に苦しみ、惑い、酔わされている野郎どもがたくさんいるに違いない。

       ちきしょう 女はみんな 雪女
                     issei

なーんていう一句が浮かんだこともある。まあ…これは男がふられたときの腹いせに放った
捨てゼリフのたぐいであるから、あえなきボツ句だ。

しかし、この幻惑にあって恋のとりこになって、撃沈の憂き目にあったとしても、いいじゃないか、
男としては本望でありましょう。大いに幻惑され、酔いしれて、大いに泣きましょう。(笑)

女性たちよ、まぼろしを備えていない男のかわいい本質ををよく見るがいい…、そして、幻惑の
微笑みをちょっとだけ…ちょうだい。(笑)
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でかしたぞ!

2010-07-25 03:13:45 | ちょっとした出来事
「でかしたぞ!」思わず声をあげてしまった。それは白蓮(ハス)がわずかに開いたのを見たときだった。

昨年、豊川のK氏から鉢ごといただいた蓮が見事に花を咲かせた。一鉢から、紅色3・白色2と
合わせて紅白5花も大輪を開いたのである。K氏は「水だけ絶やさずにやってくれればいいですよ」
と言っていたので、その通りにしただけだったのだ。

最初は、鉢に泥が水とともにネットリと溜まっているだけだったが、6月の終わりごろから7月に
かけて、みるみる葉っぱが20から30枚ほど出だし、またたくうちにわたしの胸のあたりまでの高さに
達した。そして、いつのまにかその大きな葉っぱの陰から次々と蕾を昇らせたのである。そして、
先のごとくに5花咲かせたのだ。

その後引っ越しなどあって、一戸建ての庭からマンションのベランダへと環境が変わったので、
やや心配だったのだが、「今年も頼むぞ」と願いを込めて、日々水を絶やすことなくやってきた
のである。そのかいあってか、昨年同様みるみる葉っぱを20から30ほど伸ばし始めたのである。
そして待望の蕾が昇り始めたのだった。

計3個の蕾で、昨年よりは2つ少なかった。しかも3つとも紅く色づいているではないか。先に出た
蕾2つは大きくなるにつれ、蕾のうちから真っ赤になって、案の定、紅い花になった。
今年の花は昨年に比べると一回り小ぶりである。それでも十分に美しく、最初の花が開いたときは
覗きこんで、「おはよう!わたしが…」と、言おうとして、言い淀んでしまった。「こんにちは
赤ちゃん」のノリで言おうとしたのだが、当然ママではないし、「パパよ」と言おうとして、
これもおかしいと言い淀んでしまったのである。お気の毒なのは、世に出て、初めて見た人間の
顔が、むさいオヤジのわたしであったことである。まあ…その点はおゆるしいただく他はない。(笑)

最後の3つ目の蕾も、うっすらと紅みを帯びているのだ。確かに紅い花も十分にきれいなのだが、
それに白が加わって咲くと、それこそ得も言われぬ美しきハーモニィーを奏でるのである。
「また紅かなあ…」とちょっとあきらめムードだった。

その最後の蕾はグングン伸びて先の2花を追い越し、ベランダも越して、ひょいと外を覗くように
頭を出した。「こいつちょっとオチャメなやつだぞ」と思っていたが、蕾は前の紅2つより大きく
膨らみ、2つがついに散ってしまってからもなかなか開かなかったのだ。そして依然として、
紅みを帯びていた。やっぱり紅かなあ…と思っていたある日、会社から帰って車を降りてベランダを
見ると、あの蓮の蕾が、半開きになっていたのである。そして真っ白な中をのぞかせていたのだ。
このときに思わず出た言葉が「でかしたぞ!」だったのである。

この白蓮は先の紅蓮よりはるかに大きく、花弁のふちを薄紅に彩りながら、純白の本体と黄色の
花粉を中央に散りばめて、昨年のにも負けない大輪を咲かせたのである。

最高の感動の瞬間だった。白蓮は幸運なことに最初に我がむさいな顔を見ることなく、マンション
からの景色を眺めたのである。やんちゃで、好奇心旺盛で、ちょっとへそ曲がりの美しきヤツ
だった。

大きくて、あでやかな割には繊細で、品性を備え、香りもすばらしく、あたりを幸せの芳香で
包んでくれるのである。それに何といっても蕾から咲くまでのあいだに大きな感動があるのだ。

点数にすると100点満点、言うことなし!。間違いなく一番好きな花である。


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蝉の声

2010-07-21 04:10:06 | 俳句
やっと梅雨が明け、それを待ってたかのように蝉が鳴きだした。夏が好きなわたしはその象徴とも
いえる蝉は大好きなのである。だからけっこう絵にしているし、俳句も詠んでいる。

    閑かさや 岩に沁みいる 蝉の声

これはあまりにも有名な俳聖、松尾芭蕉の蝉を詠んだ句である。芭蕉の後で恐れ多いのだが…、不肖
ワタクシisseiの蝉の句はいかがなものかと、ちょっと探してみた。

    恋蝉の 真夜の一山 眠らせず

数年前の暑い夏、熱帯夜が続いたとき、真夜中まで蝉が鳴いていて驚いたことがある。

    海峡を 渦潮みんみん 鳴き合える

社員旅行で、四国の土佐へ行った時に、鳴門海峡の渦潮のドウ~という音とその音に負けじと
鳴いていたみんみん蝉の大合唱を詠ったものである。

    木を鳴かす にいにい蝉の どこにいる

これは、なかなか姿を見せず、「ジーーーーーー」っと耳鳴りのように鳴いているにいにい蝉を
詠んでみた。

    あお向ける うつぶせる地の 蝉しぐれ

やがて蝉が木から落ちて、死んで行くのだが、それは蝉しぐれが1つずつ落ちていく夏の果て
でもある。

    蝉の四肢 空掻きて聴く レクイエム

先ほどの句と似たような句に思えるかもしれないが、これは落蝉となって死んで行く時、仲間の
声に送られながら生涯を終える様を詠んでみた。

このように蝉の死は、同時に夏の終わりを告げるものなので、しきりに鳴くこれからを心して
味わいたいと思うのだ。

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カット原画の行方

2010-07-19 04:03:05 | 絵・まんが
戦々恐々としていた「茶房じゅん」での作品展示は、まあ…色々ありましたが、何とか無事終える
ことができた。いつものことだが、展示が終わると反省ばかりが先に立ってしまい、少々けだるい
疲れが出てしまう。

ところで…今回初めて試みた生カット原画プレゼント企画だが、どうなったのかというと、見事
1枚も出なかったのである。これは、わたしのブログを見てくれている人が誰も来てくれなかった
のか、見ていてもカットはほしくなかったのか、見ていてカットはほしいが、言えなかったのか、
のどれかになる。

いずれにしろ、これは企画倒れと言わざるをえない。ガックリと思いきや、実はそうでもない
のである。もちろん残念なのは間違いないのだが、無念というほどではない。というのは
生カットのプレゼントを決めた時、一応好きなものだけを選んでいたので、まとめて見ているうちに
ちょっと惜しくなっていたのである。でも、このちょっと惜しいなあ…と思うぐらいなのを差し
上げるのがいいので、納得していたのだ。

これで、まあ…全部また我が手元にに戻ってくることになったわけなのだが、幸か不幸か
ネコちゃんの絵が2枚あるので、ネコの絵の全失はまぬがれることになったのだ。展示絵を
全部回収してカット原画も回収して、ママに挨拶をして帰ろうとすると、「カットのネコちゃん
のわたしに売ってくれない?」とママが言い出したのである。「エエ!」と驚いたが、「うちの
○○ちゃん(ゴメンナサイ忘れてしまった)こういうの好きなのよねえ」と言うのである。

わたしは、苦笑いしつつ、カット原画3枚をママに差し上げ、(どういうわけか犬のパグリンも
1枚入っていた)「茶房じゅん」を後にした。。結局ネコの絵は全て無くなってしまったのだった。
やはり、恐るべきネコの魔力である。

今回の展示を総括すれば、色々反省点も目立つのだが、収穫もあった。それは、筆マンガで描いた
「はいまん彩」という案内版のファイル(19ページ)が案外好評だったことと、展示絵の下に、
薄いハッポースチロール板に書いて表示していた俳句が思いのほか好評だったのである。
マンガの案内版は第2弾を、俳句表示は今後も生かそうと思ったのだった。

このように…展示の度に勉強させられるのでアリマス。またので、よろしく…。
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