つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

汝が名

2008-10-28 04:04:41 | 

にほんブログ村 ポエムブログへ我が家には庭とおぼしき土地はないのだが、家の周りのわずかな
スペースと玄関周りはコンクリートが敷き詰められている。

その玄関周りには、母が買ってきて育ててる植木が10数個配置され、
それぞれが季節になると色とりどりの花を咲かせている。

いま母が病であまり活発に動けないので、わたしが毎日仕事を
終えて帰って来てから水をやっている。

当然ながらわたしでは手が行き届かないので、植木にはほかの雑草が
種をばらまき、一緒になって植木鉢に鎮座ましましているのだ。

散歩のときに母が「その雑草抜いてくれればいいのに」となげくのだが、
「雑草だって同じ植物なんだから差別しちゃかわいそうじゃん」と、
わたしはほったらかしである。

本音としては面倒くさがっていたのもあるのだが、そう思ってもいたのである。

雑草たちは我がもの顔に植木鉢を占拠し、季節にはへ~と驚くような
きれいな花を咲かせて、時に本家の植木の花と、たえなるハーモニーの
彩りをかざることがあるのだ。

我が拙句に

          汝が名 雑草と言う 草を引く

という俳句があるのだが、考えてみると雑草とは又失礼な命名である。
彼らとて同じ命の重さを持った植物なのだ。

まあ…共存共栄でいきましょう。

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眠れる獅子?

2008-10-26 03:06:35 | つらつら思うこと

ブログランキング・にほんブログ村へ青春性に目覚めてしまってから、はや4ヶ月になろうと
しているのだが、出来事としては別に身の回りに特別な変化もなく、
貴重な時間がスルスルと過ぎていっている。

初めこの目覚めは何の啓示か、はたまた何の試練かと、思いあぐねていたのだが
実はこの4ヶ月の間、わたしの中ではさまざまな思いと、改めてわかったこととかが
凝縮されたような形で認識され出したのである。

特に、過去に起こった男女間のトラブル(我が乏しきものを含めてだが、主に
友人達の)の本当の原因がこういうことだったのかとか、心の奥にうごめく
心情、心理が垣間見えたのだ。

そして、いかにわたしが男女の心理に関して何もわかってなかった朴念仁で
あったのかを思い知らされたのだった。

しかし、オヤジにして目覚めてしまってわかった今はちょいと違うのだ。


「世の女性たちよ!今このオヤジに近づいてはならない。眠っていた
獅子が目を覚ましたのだ。近づいてはならない!」コワイゾ~

なーんちゃって。(実態は眠っていた羊ぐらいかな)

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秋の酒

2008-10-25 03:06:54 | ちょっとした出来事

にほんブログ村 酒ブログへわたしは大体のアルコールはいけるのくちである。
若い頃は、ジンライムをよく飲んでいたし、居酒屋では、ホッピーや酎杯、
スナックやバーではウイスキーの水割りだった。

今は大体シーズンによって単純に飲み分けている。特に晩酌など、
冬は日本酒の熱燗か焼酎のお湯割り、夏はビール(正確には発泡酒)か
酎杯と決まっている。

しかしこれが今頃の秋半ばになると、ちと困るのである。つまり暖かいのか
寒いのか中途半端なので、何を飲んだらいいのか迷うのである。

先日など、朝の出勤時に寒々としていたので、きょうは久々にお湯割り
だな…と、もくろんでいたところ昼過ぎてえらく暖かくなって、結局ビールと
あいなった訳なのだ。

のんべえにとってはちと困る時期なのだが、わが飲み友の中には
一年を通して熱燗でなければ気がすまないのもいるし、ビール・オンリー、
お湯割りオンリーもいる。アルコールを呑むのも、けっこうその人なりの
個性が出るようである。

わたしもそろそろ一年を通して飲むアルコールを決めたほうがいいのかも…
などと、この秋の夜長に思うこの頃なのだが、

      おい癌め おれと酌もうぜ 秋の酒

という江国滋氏辞世の名句があるので、(この場合燗酒)わたしもせめて
秋に飲む専用のアルコールを考えたほうがいいかな…と思いつつ
焼酎のぬるま湯割り、という中途半端なものをチビリ、チビリ…と中途半端に
飲んでいるのだった…。

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プレゼント

2008-10-15 03:06:27 | ちょっとした出来事

ブログランキング・にほんブログ村へ我が家で、魚をさばくのはわたしの役割なのだが、ろくな
さしみ包丁がない。

二丁ある柳包丁は、いずれもノコギリのようにギーコギーコ引かないと切れないし、
砥石で研いでもすぐに切れなくなってしまう安物なのである。

そこで常日頃から、「いいさしみ包丁ほしいなあ」と、ことあるごとにこぼしていたら
「じゃあわたしがプレゼントしてあげるよ」と娘が言うではないか。

つい言ってしまってのか知らないのだが、「ホントだな」と念を押して確約させて
しまったのだ。

まあ娘もバイト程度だが一応働いているので、お言葉に甘えようではないかと、
思ったのである。そのさしみ包丁がやっと届いたのである。
一応そこそこの値段はする身内おすすめのメーカー品なのだ。

その筆おろしならぬ、包丁おろしは何にしようかと思っていたのだが、このあいだ
うまい魚の置いてあるスーパーを覗いたら、40センチほどのマダイが丸々一匹
売っているではないか。

店で三枚におろしてもらい、こちらで皮付きの刺身をつくることにした。
さすがプロ、きれいに4ぶロックに切り分けられ、うまそうである。
頭と粗も別の袋詰めにしてくれていて、粗煮も楽しみだ。

早速家へ帰って、4ブロックの皮付きの身に皮から熱湯をかけ、氷水に
入れて身をしめて、いよいよ包丁おろしである。やはりさしみ包丁なので、
長いのは当然なのだろうが、ヅシリと重い。

板前の職人のようにスーっとワンタッチで引き切るのが夢だったので、
柄元をブロックの皮に乗せて刃先まで、スーっと引くと何とか切れたが、
思ったほどには切れ味を感じなかったのだ。

結局、いつものように2~3度引いて切るはめになり、思ったほどの
快感は得られなかったが、まあプロの板前ではないので、致し方ない
ところかもしれないが、以前のより切れるのは確実なので、ままよ…と納得。

今後、包丁さばきに磨きをかけて、見事すべてワンタッチで切ってみせようじゃ
ないかと、自分に誓ったのだった。

それにしてもこの包丁、長くて台所の包丁入れからはみ出てしまって、
収まらないのである。やむなく、違う場所に横にして置くようにしたのだが、
この長さが、あの佐々木小次郎の長太刀物干し竿のようで、わたしが
「物干し包丁」と命名したのだった。

さあ、この物干し包丁をひっさげて、小次郎いっちゃんが次なる獲物を
待っているのだ。

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カレーなる失敗

2008-10-13 03:38:41 | ちょっとした出来事

ブログランキング・にほんブログ村へ我が家では、家族それぞれの持ち回りでカレーライスを
作ることになっている。

最近では、わたしがカレー作りに興味が出てきたために、たて続きに
わたしが作っているのだが、今回はチキンカレーにチャレンジした。

まず初めにサラダ油を引いて、種をとったとうがらし1個を油に煮詰め
玉ねぎを色がつくまで炒めるのだが、玉ねぎを炒めつつジャガイモ・ニンジン
と切っていたら、うっかり玉ねぎを炒めていたことを忘れていたために
なべ底が焦げて真っ黒になってしまったのである。

「エ~イなんとかなるだろう」と、そのまま強引に鶏肉を炒め、ルーを入れるとこまでやってしまったのである。

ルーを溶かすべくかき混ぜていたら、なべ底の焦げが剥がれてどんどん
真っ黒い焦げが浮いてくるではないか。

そこを身内に覗かれてしまったのである。「なんで焦げたときに呼ばなかったの!」
と叱られる叱られる。味に苦味が入ってちょっと食べられる代物ではなくなっていたのだ。

あちゃ~とうとう大失敗をやらかしてしまった。家族の非難を浴びつつわたしは
悄然として寝室へと引きこもってしまった。

しばらくしてキッチンへ戻ってみると、身内がカレーの中の具を丁寧に洗っていた。
味見して、「うんいける」というので、全部廃棄を覚悟していたわたしは
気を取り直して再チャレンジした。

これがけっこういけたので、名誉挽回と相成ったのである。あ~やれやれ…。


 

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