前回のブログで、東京へ行ってきたことを書いたが、上京に際し、わたしの漫画の師である
Y先生に会いたいと思い、電話を入れた。以前よく一緒に飲んだので、久々に一杯酌み交わしたいと、思ったのである。
電話には奥様が出られて、しばし話をした後、師に代わった。「久々に東京で一杯やりませんか」
と言うと、「悪いが…今はとてもそういう状況では…」と、師は苦しそうな胸の内を語った。
最近大病を患い手術をしたというのである。幸い手術そのものは成功し、自宅療養中ということ
だったのだが、手術の時の傷口の経過が良くなく、再手術をした後と言うのである。
思えば、東京を離れてからもう20数年になる。師とはいつの間にか年賀状だけの音信になって
しまっていて、まったく初耳だったのだ。師は知人達に気を使って誰にも知らせていない様子で、
「このことは言わないでな」と、わたしも口止めされたのである。歳月は私にも師にも容赦なく
流れていたのだ。
若かりし頃、漫画家になる決意を固め、好きだった師の押しかけアシスタントになったのだ。
アシスタントというより、弟子と言った方が合っているかと思う。弟子など決して採らなかった
師の最初で最後の弟子だったのである。わたしは、師に「一直線」とか「まっすぐ」とか
あだ名されるように、こうと決めると一心に突進してしまう性格だったのである。
近くに下宿して、師の元へ通って手伝っていたが、仕事のピークには泊まり込むのも普通であった。
奥様もマニアの間では知る人ぞ知る女流漫画家だったので、両方の仕事を手伝ったのである。
お子さんが居なかった師夫妻は、世間知らずで生意気な私を、辛抱強く身内のように可愛がって
くれたのである。わたしは、師のお宅を自分の家の様に寝泊まりし、甘え、よくご夫婦と一緒に
飲んだのである。
その後の師の事情により、師の知り合いの漫画家のアシスタントをすることになったのだが、
「わたしの師はY先生一人なのでそのつもりで!」と相手に宣言してアシスタントをするような
失礼なヤツだったのである。
そういうわけで、東京へ行こうと思った時、真っ先に師に会いたいと思ったのだ。
奥様が、「ホントに手術そのものはうまくいったので、必ず元気になるので、そのときにネ…」
と言われた。せめて一目でもお目にかかってお見舞いにでも…と思ったのだが、かえって師に
気を遣わせてしまうに違いないと思い、やむなく、今回会うことは断念したのだった。
考えてみれば師はわたしより10歳年上なので、何らかの病と付き合ってても何ら不思議ではない年齢
なのである。私の中で止まっていた時間が一気に早送りされてしまったような気がした。
今は、ただただ傷口の順調な回復を祈るばかりである。そして、必ずや、またお目にかかり、
一杯酌み交わしたいと願うのだ。「先生、回復の折は必ず行きますので、一報ください。
以前と同じようにとまでは言いませんが、軽くでいいですから、完治祝いに一杯いきましょう…。」
Y先生に会いたいと思い、電話を入れた。以前よく一緒に飲んだので、久々に一杯酌み交わしたいと、思ったのである。
電話には奥様が出られて、しばし話をした後、師に代わった。「久々に東京で一杯やりませんか」
と言うと、「悪いが…今はとてもそういう状況では…」と、師は苦しそうな胸の内を語った。
最近大病を患い手術をしたというのである。幸い手術そのものは成功し、自宅療養中ということ
だったのだが、手術の時の傷口の経過が良くなく、再手術をした後と言うのである。
思えば、東京を離れてからもう20数年になる。師とはいつの間にか年賀状だけの音信になって
しまっていて、まったく初耳だったのだ。師は知人達に気を使って誰にも知らせていない様子で、
「このことは言わないでな」と、わたしも口止めされたのである。歳月は私にも師にも容赦なく
流れていたのだ。
若かりし頃、漫画家になる決意を固め、好きだった師の押しかけアシスタントになったのだ。
アシスタントというより、弟子と言った方が合っているかと思う。弟子など決して採らなかった
師の最初で最後の弟子だったのである。わたしは、師に「一直線」とか「まっすぐ」とか
あだ名されるように、こうと決めると一心に突進してしまう性格だったのである。
近くに下宿して、師の元へ通って手伝っていたが、仕事のピークには泊まり込むのも普通であった。
奥様もマニアの間では知る人ぞ知る女流漫画家だったので、両方の仕事を手伝ったのである。
お子さんが居なかった師夫妻は、世間知らずで生意気な私を、辛抱強く身内のように可愛がって
くれたのである。わたしは、師のお宅を自分の家の様に寝泊まりし、甘え、よくご夫婦と一緒に
飲んだのである。
その後の師の事情により、師の知り合いの漫画家のアシスタントをすることになったのだが、
「わたしの師はY先生一人なのでそのつもりで!」と相手に宣言してアシスタントをするような
失礼なヤツだったのである。
そういうわけで、東京へ行こうと思った時、真っ先に師に会いたいと思ったのだ。
奥様が、「ホントに手術そのものはうまくいったので、必ず元気になるので、そのときにネ…」
と言われた。せめて一目でもお目にかかってお見舞いにでも…と思ったのだが、かえって師に
気を遣わせてしまうに違いないと思い、やむなく、今回会うことは断念したのだった。
考えてみれば師はわたしより10歳年上なので、何らかの病と付き合ってても何ら不思議ではない年齢
なのである。私の中で止まっていた時間が一気に早送りされてしまったような気がした。
今は、ただただ傷口の順調な回復を祈るばかりである。そして、必ずや、またお目にかかり、
一杯酌み交わしたいと願うのだ。「先生、回復の折は必ず行きますので、一報ください。
以前と同じようにとまでは言いませんが、軽くでいいですから、完治祝いに一杯いきましょう…。」