つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

カマキリなあいつ

2008-11-30 07:26:28 | 動物ウオッチング

にほんブログ村 ポエムブログへ今年の夏、玄関先の薔薇の植木で3センチくらいの
カマキリの子供を見つけた。

もしかしてカマキリがここに卵を産んだのかなあと、周りを見回したが
その一匹だけしかいなかった。指先でつつくと、ビックリしたようにして
玄関ドア横の壁にピョンと飛びついた。

以来その薔薇の植木を見るたび見かけるようになった。どうやらその植木に
住み着いているようだ。

やがて秋になってあいつは大きくなっていて、まだ全身緑色だったが、
依然としてその植木の薔薇に乗っかっていた。以前カマキリを描いたとき
取り寄せた資料によると、なんと7回も脱皮をしてその度に大きくなるらしい。

「よほど気に入ってんだなあ」と、もはやその薔薇こにいるのが当たり前に
なっていた。

ところがある日、忽然とその薔薇の植木から姿を消したではないか。
ちょっと寂しい気がしたが、まあいいかと少しホッとしたとろもあって、
そのまま植木に水をやっていたら、「ゲゲッ」なんとあいつは何を思ったのか、
玄関脇に置いてある娘の自転車の買い物カゴの中にいるではないか。

これじゃあ娘が怖がって自転車に乗れないではないか、「オイそんなとで
何やってんだ」と声をかけると、ゆっくりこちらに首をまわしてわたしを見た。
それがなんとなく可愛らしかったのだが、「まあこの際だ、あいつとおさらばするか」と
背中をつまんでちょっと離れた草むらに「アバヨお前はもう自由だ」と、
一声かけて放してやった。

それっきりさすがにヤツはあの薔薇の植木から姿を消したのだ。

あれから約2ヶ月経って、ヤツのことなどすっかり忘れていたのだが、きのう
「エーッ」と驚いた。あいつがまたあの薔薇の植木の上にいたのである。
実際にそのカマキリがあいつかどうかはわからないのだが、わたしはヤツと確信した。

翅がすっかり茶色の枯れ草色になって威風堂々とオオカマキリに
なっていたのである。

わたしは思わず声をかけた、「おかえり!」。

 

 

 

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カレセン?

2008-11-29 03:47:25 | ちょっとした出来事

ブログランキング・にほんブログ村へカレセンという聞き慣れない言葉を目にしたのは、つい
最近のネット上である。

どうやら人生の酸いも甘いも噛み分けた枯れたオジサマ専門に恋する乙女心を
表した言葉(用語)らしい。(もろ、カレセンというタイトルの本がでているそうな)

「ムム…わたしのことではないか、」と、ちょいと前なら思ったかも知れないのだが、
(まあちょっと前でも実体は大違いだが)そのオジサマ(オヤジでないところが
違うよなあ)が、どうやらいま巷では密かにもてはやされてるらしいのだ。

それもうら若い女性達にである。まあこういうことを耳にして色めきだつほど
酔狂でもないのだが、オジサマにちょっと近いオヤジ(はるかなる距離か)
としては、聞き捨てならないことでもあるのだ。ウン

恋の駆け引きに疲れた乙女たちの心の癒しに、枯れたオジサマがいいらしい
のである。

ちょいワルオヤジも油断がならなくて落ち着かないし、イケメン男もなんだか
うすっぺらな感じで物足りない。

そこで、枯れたオジサマの登場である。

ああ…しかしながら、いつの世にも時代にちょっとズレてしまうヤツがいるもので、
まさしくわたしがその手合いなのだ。

これから人生の枯れ時というときに、変な青春性に目覚めて、枯れたオジサマ
どころか、チョイワルオヤジにもなれない、変な目覚めオヤジになってしまって
いるではないか。

さすがに、いま目覚めのほうは鎮静化しつつあるのだが、加齢というかなわぬ
相手にあらがって若さに嫉妬し、悪あがきしているところなのである。

まあ…こう見えてもワタシは身の程は知っているつもりなので、今の状態が
枯れる前の空ともしびであることは、承知しているつもりなのだが、
あらがってみるのもいいか、と精一杯あらがっているのだ。

乙女たちよ、しばし待たれよ、その内みごとに枯れたオジサマになって…(って
枯れそうにナ~イ)

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絵の心

2008-11-22 08:27:38 | 絵・まんが

にほんブログ村 美術ブログへわたしは絵を描くのが好きで、日々会社の仕事が終えては
絵を描いているのだが、この大好きなハズの絵を描き終えた後、ドッと
疲れるのである。

グッタリして部屋に横たわることも多いのだ。
なんで好きな絵を描いてこんなに疲れるのか、不思議に思っていたのである。

そんな時、ひょんなことから霊能者の故宜保愛子さんの映像を見る機会が
あったのだが、例によって霊視を行なっていて、その中の1つに、霊障の原因が
一枚の絵だというのがあったのだ。

その絵は素人が描いた絵なのだそうだが、その絵に作者の“念”がこもっていて
それが霊障の原因になっているというのである。

それでハッとしたのだが、わたしは日頃チャランポランなのに、イザ絵を描く
となると、無呼吸症候群になるぐらい集中するのである。

これは、最初気が付かなかったのだが、描き終えた後、ふーっと息が出て、
「ハアハア」と呼吸が乱れているので、気づいたことなのだ。

そしてドーッと疲れて、寝転がったりしてしまうのである。今考えてみると、
ただの肉体的疲れだけではなく、どうも魂が吸い取られているような
感じがするのである。

以前ある美術館で、世界の名だたる巨匠たちの展示作品を見に行ったとき、
ある一枚のピカソの絵をジッと見ていたら、ピカソの魂ともおぼしきものが、ものすごい迫力でわたしに迫ってきたことがある。

わたしは圧倒されつつ、「これがピカソなのか…」と全身に震えを覚えたのを
思い出したのである。

確かに、絵には魂がこもるようである。少なくとも、画家の“思い”は、それが、
正邪にかかわらず、一枚の絵に入り込むようだ。

絵を鑑賞するとき、否応なくその絵の画家の魂と対峙することになる。
それがどんな魂なのか、画家の思い次第で、災いにもなれば心洗われる
思いになるのかも知れない。

まあ我が魂がどんな魂か知らないが、少なくとも見てくれる人に霊障だけは
起こさないでくれよ、と切に願うのみである。(いちおう癒し系と言っていただいて
おりますデス、ハイ)

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こころ

2008-11-18 02:14:51 | つらつら思うこと

にほんブログ村 ポエムブログへわたしは歳を重ねるごとに“今”を大切にするようになった。
若いころは先だけを見つめ、その為の今を過ごしていたのだ。

大抵の人がそうであるように、わたしも日々の糧を得るために会社で
働いている。会社では、営利のためにそのシステムに従わなければならない。

その為には、忍びがたきを忍び、耐えがたきを耐えることも多々あり、
否応なく息苦しく、不自由を強いられることも多い。

しかし身中の奥に鎮座まします“心”だけは、何の束縛も受けない
自由でありたいと願っている。

果たして、わたしは心を自由にしているのか、心を無重力の宇宙空間へ
遊ばせてているのか…。

果たして、心を浮世のしがらみから完全に解放しているのか…。

果たして、心は何色にも染まっていないか…。
時折自分に問い掛けているのだが、ウ~ン…なかなか…。

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呑まれて呑んで

2008-11-15 04:39:07 | 

にほんブログ村 酒ブログ 酔っ払いへ今年は飲み会の数は少ないものの、印象に残る飲み会が多い。
中でも、先日の飲み会は最高だった。

以前から一度飲んでみたいと思っていた店で、わたしが親近感を覚える人たち
と飲むことになったのだ。

みんな以前同じ職場で働いていた人たちで、まあ同窓会でもあったのである。

わたしはなつかしさと、大いなる親近感とで、このメンバーで飲むという
シチエーションが決まったときからすでに酔っ払っていたのかも知れない。

飲み会にはわたしの心の安全装置、心のブレーキを外して出かけたのだ。

本当は一番年上であるわたしがやってはいけないことなのだが、なんだか
そうしたかったのである。そうとしか言えんなあ…。

詳細は省くが、わたしはみんなの顔を見ると、なんだかまるで身内に会ったような
安心感を覚え、それだけで幸福感に包まれてしまったのだ。

安全装置を外していたわたしは、当然のごとく、酔いにまかせて舞い上がり、
爆走し、至福の中で昇天した。そして最後は見事に…撃沈。

気がついたときには、家の中で横たわっていた。
翌日の午前中は、ずっと寝たきりイッちゃんになっていたのである。

きっとみんなに迷惑をかけたに違いなく、反省するとろは多々あるのだが、
今回は反省は封印させていただこうかと思っている。
しあわせの飲み会に少しでも水を差したくないからである。
「いい思い出」だけにしたいからである。

この飲み会は、間違いなく「いい思い出」になるので、我が心の宝石箱に
しまっておきたいと思うのだ。

そして時折取り出してはニンマリしたいと思っている。

我が拙句に

      思い出し 笑いの幾つ しゃぼん玉

というのがあるのだが、思い出し笑いの数が多いほど幸せ度が高いらしい。

本当にしあわせでした。心より感謝しています。ありがとうございました。
これに懲りず、又やりましょう。

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