昨年の暮れの話だが、会社の食堂横のボードに「年末年始無災害運動」と表記した
大きなポスターが張ってあった。ことしは寅年ということもあって、雪を蹴って飛び掛って
くるような虎のポスターが掲げてあった。
食事を終えた後、そばに行ってまじまじと眺めた。常々描いてみたいと思っていた
動物の筆頭に虎があったのだ。わたしの中では虎こそ美しき猛獣のナンバー1なのである。
あの天然自然のみごとな紋様は、天が与えたもうた最高傑作ではないかと思えるのだ。
しかも強い。おそらく百獣の王ライオンと並ぶ地上最強の猛獣であろう。
雪と虎という組み合わせもいいし、何より野生の眼がいいのである。あの動物園で
のんべんだらりとエサを与えられてる死んだ目ではないのだ。
わたしはそのポスターがほしくなり、その旨担当役員に伺ってみると、新年になると
晴れ着姿の女性のポスターに代わる予定なので、年が明ければ持って行っていいよと
言われた。
そんなわけで、新年早々そのポスターをいただき、帰宅して我が家の女性たちに自慢げに
見せると、その第一声が「かわいい~!」である。わたしはズルッとコケてしまった。
この獲物を狙ったような野生の眼は、この猛々しい跳躍は、この気品に満ちた精悍な
面構えは…、あの女性特有の「かわいい~」の一声ですべてが表現されてしまったので
ある。
彼女らにとっては美しき猛獣もかたなしで、大きな猫くらいにしか見えないようだ。
しかしこのかわいい~という恐るべき女性の審美眼はあなどれないのである。
スーパーコンピューターを何台駆使してもかなわない、一瞬にして感知する「かわいい~」
という価値判断が人口の半分を占める世の女性陣に満ち満ちているのだ。
わたしは絵を描いたとき必ず身内の女性陣に見せるのだが、生き物であれば「かわいい~」
花や風景ならば「きれ~い」このどちらかの一声が出ないと、ダメな絵となってしまう
のである。云わば魅力的かどうかのお墨付きをもらうようなものなのだ。ゆえに
あなどれないのである。
と言うわけで、いま部屋にそのかわいい~虎のポスターが張られて、わたしに描かれるのを
待っているのだ。
果たしてそのときこの一声を賜れるかどうか、自分でも楽しみにしているのだが、
内心、可愛くなんか描かないぞ、と思っている。気高く、強く、美しい虎を描くつもり
なので、「かわいい~」などと言われたら…それはそれでちと…ウム…なのである。
大きなポスターが張ってあった。ことしは寅年ということもあって、雪を蹴って飛び掛って
くるような虎のポスターが掲げてあった。
食事を終えた後、そばに行ってまじまじと眺めた。常々描いてみたいと思っていた
動物の筆頭に虎があったのだ。わたしの中では虎こそ美しき猛獣のナンバー1なのである。
あの天然自然のみごとな紋様は、天が与えたもうた最高傑作ではないかと思えるのだ。
しかも強い。おそらく百獣の王ライオンと並ぶ地上最強の猛獣であろう。
雪と虎という組み合わせもいいし、何より野生の眼がいいのである。あの動物園で
のんべんだらりとエサを与えられてる死んだ目ではないのだ。
わたしはそのポスターがほしくなり、その旨担当役員に伺ってみると、新年になると
晴れ着姿の女性のポスターに代わる予定なので、年が明ければ持って行っていいよと
言われた。
そんなわけで、新年早々そのポスターをいただき、帰宅して我が家の女性たちに自慢げに
見せると、その第一声が「かわいい~!」である。わたしはズルッとコケてしまった。
この獲物を狙ったような野生の眼は、この猛々しい跳躍は、この気品に満ちた精悍な
面構えは…、あの女性特有の「かわいい~」の一声ですべてが表現されてしまったので
ある。
彼女らにとっては美しき猛獣もかたなしで、大きな猫くらいにしか見えないようだ。
しかしこのかわいい~という恐るべき女性の審美眼はあなどれないのである。
スーパーコンピューターを何台駆使してもかなわない、一瞬にして感知する「かわいい~」
という価値判断が人口の半分を占める世の女性陣に満ち満ちているのだ。
わたしは絵を描いたとき必ず身内の女性陣に見せるのだが、生き物であれば「かわいい~」
花や風景ならば「きれ~い」このどちらかの一声が出ないと、ダメな絵となってしまう
のである。云わば魅力的かどうかのお墨付きをもらうようなものなのだ。ゆえに
あなどれないのである。
と言うわけで、いま部屋にそのかわいい~虎のポスターが張られて、わたしに描かれるのを
待っているのだ。
果たしてそのときこの一声を賜れるかどうか、自分でも楽しみにしているのだが、
内心、可愛くなんか描かないぞ、と思っている。気高く、強く、美しい虎を描くつもり
なので、「かわいい~」などと言われたら…それはそれでちと…ウム…なのである。