つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

悲しき鬼ヤンマ

2009-08-22 08:27:12 | 動物ウオッチング
一体どのくらいの確率なのか。わたしが遭遇した鬼ヤンマの運命劇は…。

まず目の前にめったに見ない鬼ヤンマが突然現れたこと。
それが電車の架線に止まったこと。

実は前回の「悲しきカンガルー」の記事にはまだ続きがあって、豊川から
悄然として帰ろうと電車に乗り、特急に乗り換えるべくホームで待っていた
時に起こった出来事なのだ。

何をどう迷ったのか突然1匹のヤンマがホーム上空に現れ、わたしの目の前の
電車が行き来する架線に止まったのである。止まるといっても大きなヤンマは、
架線に掴まって翅をひらきダラリとぶら下がったのである。わたしはホームの
線路際まで近づきジッと見ると、体には黒と黄色の斜めの縞がくっきり入った
間違いなく鬼ヤンマである。

いま鬼ヤンマに出会うことすら稀有な確率なのに、それが目の前の架線に
ぶら下がり、恐るべき命運劇を待っていたのだ。そのままではやってきた電車の
犠牲になるのは火を見るより明らかである。

その内にアナウンスが流れ、反対車線の電車がやってきた。鬼ヤンマが
止まっている隣の架線をこすりつつ電車が轟音を響かせて走り抜けてゆく。

鬼ヤンマは微動だにせずにぶら下がったままだった。「バカヤロー逃げろよ」
わたしは鬼ヤンマをなじった。昆虫の中でも特に鬼ヤンマは好きなのだ。
やがて又アナウンスが流れ、ついに鬼ヤンマがぶら下がっている架線に
特急の通過電車がやってくるのだ。

わたしは鬼ヤンマに向って「オーイ!逃げろー」「オーイ!」と両手を振って
知らせようとやっきになって叫んだが、知らん顔である。近くにいた人たちは
「なんだこのオヤジ」と思ったに違いないのだが、そんなのかまっていられない、
大好きな鬼ヤンマの危機なのだ。

そしてとうとう特急電車がやってきた。もはやなすすべもなく見ていると、
さすがに掴まっている架線が振動するのか鬼ヤンマがパッと架線から
手を離したのである。「オッ!」と、わたしが声を出したその瞬間、
「ガーッ」という轟音と共に電車が走り抜けて行った。

遅かった…。もっと早く手を離して飛び去っていれば…。なにせ特急電車である。
電車が去った後に鬼ヤンマの残骸でも拾ってやろうと架線の下あたりから
ホームにかけて探してみたが、その欠けらも気配すらもなかった。
ただかすかな電車の過ぎ去る音の余韻と静寂が広がるのみだった。

だーれもこの惨劇には気づいていなかったのである。わたしはその残骸の
欠けらも拾わなかったことで、もしや…あのまま運よく…夏の青空に広がる
もくもくとした雲の上を見つめた。
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「悲しきカンガルー」

2009-08-18 06:13:31 | ちょっとした出来事
1960年台のポップスに「悲しきカンガルー」というアンラッキーの1日を
歌った曲があるのだが、まあ…こんな1日だった。

いつもは長袖ルックで直射日光を避けて自転車に乗っているのだが、
きょうは朝から曇り空が続き、半袖ルックで行けそうと自転車にまたがり
出掛けた。午前中の用事を済ませて外へ出ると、なんと天気はピーカンになり、
灼熱の太陽が半袖のもろ肌を刺してくる。汗をかきかき帰ろうとしたが、
ふいに「奈邪」のコーヒーを飲みたくなり、自電車を駅に置いて電車で
豊川へと出掛けた。

予め電話でもして出掛けようと思ったのだが、「奈邪」のマスターのことだから
又気を使ってスモークサーモンを作ってお土産など用意されては
申し訳ないので、ひょっこり我がムサイ顔でものぞかせようと思って
電話もせずに行ったのだ。

相変わらずピーカンの中、汗をかきかき「奈邪」へと向かう。
途中でふと見ると、カナブンがひまわりの葉にしがみついているのを発見。
我が拙句に

   かなぶんの 生命線の 死んだふり

というのがあるのを思い出し、資料としてキープしようと携帯を写真モードに
して、かなぶんには申し訳なかったのだが、無理やりひっくり返してシャッターを
切った。しかしいくら切っても撮れないのである。おかしいなあと見てみると、
画像が一杯になっていたのだった。携帯をあれこれいじっているうちに
かなぶんには逃げられ、もう画像を消す気力もなくなり、やむなくそのまま
「奈邪」へと向かった。やっと「奈邪」へたどり着いたのだが、
「8月14日~8月15日お休みさせていただきます。」とドアへの張り紙が…。

もう苦笑するしかなく、「まあこうなったらのんびり帰りますか」と独り言を
つぶやき帰路についた。そうだ今度知人の送別会があるので、「コン吉」を
プレゼントにあげようかと思い、キツネの人形を売っている店を覗いてまわった。
豊川稲荷の表参道には、キツネのぬいぐるみが店頭に大中小並べて陳列して
あるのだ。

通常つぶらな目の付いた大中小4体と、目をつぶった小の1体を
並べてある。「コン吉」というのはわたしが勝手に命名した人形で、
目をつぶって口に手を当てているお気に入りのぬいぐるみ人形なのである。
この朴念仁のわたしが、あまりのかわいさにすでに1体買っていたのである。

しかしどの店を覗いても「コン吉」がないのだ。目を開けたキツネ人形4体は
あるのに目をつぶった「コン吉」の1体がどの店にもないのである。
今年の4月「奈邪」の展示に通っているときは、通るたびにどの店にも
陳列してあるのを見たのである。

さすがに不思議に思って最後の店の主人に聞いてみると、詳しい理由は
店主も知らないらしいのだが、なんと「コン吉」は現在製造されていないと
いうのである。でも人気があって売り切れてしまっていると言うのである。
そして、他のお客にもよく「コン吉」のことを聞かれるというのだ。
やっぱりなあとその人気の高さに納得したのだが、ならばなぜ?作って
くれないのか…。疑問に思いつつも、又もやこっちの望みかなわず、
悄然として豊川を後にしたのだった。

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蓮の打ち上げ花火

2009-08-12 05:05:53 | 会社
豊川の「奈邪」で知り合ったKさんに鉢ごといただいた蓮の花がみごとに
開花した。文字通り、打ち上げ花火のように長い茎に乗って大輪が開いた
のである。

Kさんによると一花だという話だったが、なんと一鉢に紅と白ツインの
花が時を同じくして、咲いたのである。それも連続で咲いて、計五花が
赤白とジグザグに大輪を見せてくれたのである。

蕾から開花までの色づきの進み具合も日々の喜びを高めてくれたし、
開花の後キッチリ3日で花びらを落としてしまう潔さも見事で、
「美」とはかくあるべし、と思わされたのだった。

この嬉しさを独り占めするのも何だし、と携帯の写真に撮って
会社に持ち込み、見せびらかせて喜びを分かち合ったのだった。
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とうとう夏休み

2009-08-11 08:09:33 | ちょっとした出来事
ついにわたしの夏休みに突入してしまった。今年は有給を絡めて9日間である。
本当はどこかへ旅行にでも行きたいところだが、入院中の母がいるので
そうもいかないでいる。

すでに立秋も過ぎて秋蝉のつくつく法師が鳴き出し、暑さも最終期を
迎えようとしているようだ。今年はまさに激動の前半だった。
4月感激の豊川「奈邪」での作品展示に始まり、あの交通事故による
車の廃車。毎日45分のチャリンコ通勤。それにブログに書けないような
事件もあって、いつもの年より波のうねりが強いようである。

これはまあ第三の人生への分岐点ではないかと思っている。
色々な出来事というのは、何かしらの天からの啓示のような気がするので、
よく吟味して今後の指針にしたいと思っている。

わたしはけっこう運命主義者で、何かをしたいと行動を起こしたとき、
それが実現しなかったり、不測の事態や邪魔が入るのは、ダメという
天からのサインだと考えるようにしている。

しかし、これからの自分の人生というものを大事にしたいと思っているので、
心に思う大切なことには正直でありたいと思っている。そのために人に迷惑を
かけることもあるかも知れないのだが、心残りになるようなことにはしたく
ないのである。

以前も書いたのだが、わたしは若い頃より今の自分のほうが好きなので、
ささやかなしあわせを感じながら生きたい。今はただそれだけである。

きょうは逸れたが、台風一過のいい天気だ。我が心もこうありたいものである。



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コーヒーの味

2009-08-06 05:35:27 | 会社
このところわたしは、少しはコーヒーの味がわかってきているかな…と
思っていた。

というのも、いまネットで注文すれば、お手軽に各国のスペシャリティー
コーヒー豆が手頃な値段で手に入るのである。そういうこともあって、
我が家ではコーヒーは豆で買って、挽いて飲んでいるのだ。
しかし、まあ正直コーヒーの味が「わかる」と言えるほどの自信はないのだが、
少しは…と思っている。

このあいだ会社で昼食を終えた後、無性にコーヒーが飲みたくなってしまった。
そのときちょうどよく話をする他部署の女性が昼食後のコーヒーを作るとこ
だったので、思わずそばに行って「コーヒー一杯恵んでクダシャイ」と
ずうずうしくもお願いしたのである。

彼女はいやな顔ひとつせず、この無粋なオヤジのお願いを快く聞き入れてくれ、
「ミルクは?砂糖は?」と好みを丁寧に聞き取り、配合してくれたのだ。

いやあこのときのコーヒーのおいしかったこと。言っておくが、これは
インスタントコ-ヒーなのである。コーヒー・ミルク・砂糖が絶妙のバランス
だったのだ。わたしは飲み干した後も感激してしばしカップを握り締めて、
後味の余韻に浸っていたら、もう彼女は食堂を去って行き、お礼も言わず
仕舞いになってしまったのである。

実はこのことは少なからずわたしにショックを与えたのである。
我が家で豆を挽いて飲んでいるスペシャリティーコーヒーは何だったんだ。
ガテマラは、キリマンジャロは、マンデリンは、何だったんだ…。

幸運なことに、もう一度彼女のコーヒーを飲む機会を得たのだが、
ほんとにお世辞も誇張もなく、やっぱりおいしかったのだ。
やさしい味なのである。
コーヒーの味って…深く考えさせられたのだった。

ごちそうさまでした。




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