つぶや句

夢追いおっさんの近況および思うことを気まぐれに。

酔っぱらい

2012-11-25 05:34:29 | 
アルコールによる大きな事件がこのところよく
起こっている。

沖縄の米兵の乱行、著名なキャスターの
痴漢騒動、大学の構内行事での
急性アルコール中毒死、等々…。

呑んべえのわたしには、心ただならぬ
思いである。

これらは、取り返しのつかない事件だからだ。

人は、自分を守るために、様々なガードを
張り巡らせて、浮世をわたっている。
アルコールは、そのガードを一枚一枚
溶解させ、引っぺ返してしまうのである。

呑みすぎて酩酊状態になると、心は
無防備状態となってしまうのだ。

じゃあ呑まなきゃいいじゃないか。ということに
なるのだが、張り巡らしたガードをずっと
身に着けたままでいるのは、非常に疲れる
のである。時にはそれを脱ぎ捨てて心を
解放してやらなければならないのである。

その解放感が、何ともいえない喜びにも
つながって、快感ともなる。だから、呑める
人間が呑まないというのは、人生の安らぎと
楽しみの相当な部分を失うことになるのである。

これは決して大げさではなく、この一杯の酒を
呑む幸せのために、勤労に勤しむという人も
少なからずいるのだ。だからこそ、こういう事件が
後を絶たないのである。

では、どうすればいいのかということになるのだが、
アメリカで最悪の法と言われた禁酒法などは
その筋の人を喜ばせるだけなので、法には
頼れない。

呑んべえがアルコールをやめるのは、重い病気か
大事件である。しかし、これでは手遅れなので、
やはり、自己規制しかないようだ。

自分のアルコールによる不始末歴を振り返って、
かなりヤバイ人は、一生を棒に振るリスクの
大きさを考えて、思い切って断酒するしかない
でありましょう。中途半端に少しなら…などと
やっては、絶対呑んでしまうのだ。

知人にも、それを恐れて決して呑まない人がいる。
やろうと思えばできるのである。後は、家だけで飲んで、
外や大勢では飲まない、と肝に銘じることだ。

わたしは、現在家を中心に呑む一方、量的にも
節酒を心掛けている。人恋しくてどうしても外で
呑みたいときには、心許せる友人と最少人数で
呑むことにしている。

とは言え、それでも羽目を外しがちなのが
アルコールの怖さである。

幸か不幸か、寄る年波で自然に節酒気味に
なってきているので、何とかやれている。

まあ…家人には迷惑をかけることになるが、
せめて家では心をスッピンにして無防備になり、
少々羽目を外しても大目に見てもらう…ということで…
ねえ。





コメント
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