馬ひでの助

街道歩き&城廻りの記録、
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地図クびわ検【1559】号

2016-09-30 19:00:00 | 歴史地理
       前ΗΗΗΗ回
       ★1557号★
       ★琵琶検★
       のΗΗΗΗ答
(A)、【近江の城跡】
『高宮城跡』たかみやじょう
彦根市高宮。
中世に高宮荘があり、地頭として紀州の櫟(いちい)氏が入った北殿と
佐々木六角氏系統の南殿の二つの系統が治めていた。
後に南殿の高宮氏が優勢となり、現在の高宮小学校や幼稚園付近に居館を築き、高宮城跡と呼ばれる。



高宮城は東山道(江戸時代の中山道)高宮宿を城下町とした。




中山道高宮宿の南の高宮川に橋がかかってる。


何と呼ばれたか?
イ)馬場橋
ロ)無賃橋(正解◎)
ハ)多賀橋
@中山道高宮川は橋が無かった。
普段、川底を歩いて渡った。
出水時は川越人足を雇った。
そこで、
江戸時代、天保年間(1830~1843)
地元の有志が義援金を募って橋を架けた。
無料開放したので無賃橋と呼ばれた。


@高宮氏は六角氏系統なのに浅井氏に付き、浅井方として六角氏と戦った。
また、石山本願寺にも加担していました。
ので、後に信長の小谷城攻めで浅井氏とともに滅亡。

@我が輩、若い頃国道の渋滞回避のためこの橋を通勤によく利用してました。
ただし、中山道は道が狭いので車では滅多に通らなかったです。



(B)、狩野派の絵師狩野山楽は豊臣秀吉の小姓でした。
後に狩野永徳の養子となった。
京都大覚寺の障壁画など多くの作品が文化財に指定されてます。
山楽は近江国のどこ出身?

イ)滋賀郡
ロ)蒲生郡(正解◎)
ハ)坂田郡
@蒲生郡出身で浅井長政に仕えた木村氏。
秀吉の小姓から絵師に転身した。
秀吉の周辺には淀殿・江・片桐氏をはじめとして浅井氏ゆかりの人がたくさんいました。

というか、なぜこの問題を出したか、忘れてしまった


∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵

あおはっぴ様
Φ(*^ひ^*)Φ
初返信ありがとうございました。
読んでいただき、感謝感激柿葛餅です。

秋分の日、基本的に23日だが、閏年は22日ですな。
あのアナウンサー、秋分の日は暦によって決められてることを知ってほしい。
当然ながら将来22、23日以外の日が設定されることがあるかも?
、ですわ。
ま、祝日に日の丸の旗を上げなくなってしまった我が国、
祝日の意味なんかどうでもいい。
秋分の日は単なる休日の一つでしかない?…。



∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵

デロモンズ様、
マガ紹介ありがとうございましたm(__)m

アメマガのURLアクセスしたけど、よくわからないよ。


∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵∵

      馬@2016年@秀
      ☆1559号本日☆
      ☆琵琶湖検定☆
      の@9月30日@助

(A)、【近江の寺社】34
『観音正寺』かんのんしょうじ
近江八幡市安土町。
西国三十三観音霊場の第32番札所。
繖山(きぬがさやま)の中腹にある。
605年聖徳太子が建立したと伝わる。
佐々木六角氏が築いた日本百名城の観音寺城の本丸及び曲輪群が周囲に広がる。
寺跡と城跡が混在する。
明治時代に彦根城の槻御殿が移築され、本堂となったが平成5年に焼失した。
これはホントに衝撃的でした。
近くまで車で行けますが、我が輩は麓からまっすぐ歩いて登りました。
登り口にある麓の観光施設の名前は?

イ)六角観音
ロ)石寺楽市
ハ)天下布武


(B)、蒲生郡日野町でダリア園の花が見頃を迎えてます。
日野町のどこにあるでしょうか?

イ)かまかけ
ロ)かいがけ
ハ)みそつ


答えは来週!

解答感想は
kodao522hakusiyuあgmail.comへ


Φ(*^ひ^*)Φ
北陸新幹線ルート問題で滋賀県と京都府がチョイと対立してます。

北陸新幹線は敦賀まででいいんじやない?

敦賀から湖西線経由、米原経由の新快速に乗り換えるべし。

そして、滋賀県内で途中下車してくれれば、いいのです。

どのルートであれ、京都や大阪まで素通りされたら我が県は儲からない…。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
この数日の豪雨で、我がひこにゃん城のメインルート登城道の一部が崩れました。
実は昨年の台風被害の時も同じ場所が崩れた。
ちゃんと対策できてない…。
実は
10月からJR西日本の「歴史たびキャンペーン」で国宝彦根城が大々的に紹介されます。

水をさす被害でした。

12月の期間中まで、彦根城博物館で井伊家に伝わる国宝の「彦根屏風」が特別公開されます。

ちゃんとお城にも登れますので、どんどんお越し野洲!


Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
9月最終日。
年度末、決算月でもある。
仕事してる頃は〆日で緊張したものです。
責任者だった頃は深夜帰宅でした。

それも今は昔、
もう何も緊張することない普通の一日でしかない

というか、
今日一日物凄いメールが来た
メルモ最終日なので、お別れの挨拶マガがやたらと発行された。

メルモ全盛期を思い出したわ。

まるで閉店セールのような賑わい

メルモで楽しませてくれたたくさんの方とお別れ、と思うと寂しいですが、
これも仕方ない

メルモの皆様、お疲れさまでした。

明日からのあらたな人生に幸あれ!

と願うばかりです。




β《#^ひ^#》デキ

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越後から出羽へ。

2016-09-30 12:19:00 | 旅行

2016年04月28日(木)、

中条駅16時39分発に乗りました

平林駅通過
駅から徒歩約20分の所に平林城跡があります。
山の麓に中世居館跡、山の上に詰城跡の遺構が残っていて国史跡に指定されてます。
本日最後の訪城地で、せめて居館跡だけでも見たいと思って予定に入れておいたが、雨と膝の痛みで今回はパスしました。
この時期なら18時頃まで明るいので行けたのですが…。
いつか、この地を通ることがあれば来たいです

17時04分、再び『村上駅』

ダッシュで改札口を出て、
コインロッカーから荷物を取り出し、
村上駅より北はICカード非対応なので
券売機で切符買い、再びダッシュで改札を入る。

17時10分発の列車に無事乗れました。
これ逃すと一時間後の最終列車しかないので焦ったです。
村上駅から北は本数少なくて
しかも乗客もまばら。

車内はほぼ貸切状態、
すぐに検札がありました。
ほとんどの駅が無人駅のようで、
乗客があると必ず車掌が寄ってきて切符確認してます。

三面川を越えると羽越本線は蒲萄(ぶどう)山地の東側の海岸線を走ります。

この日本海の光景をみたくて、みたくて、
ようやく念願かないました。
天気悪いのが残念だけどね。


越後早川駅、


桑川駅、


この後、今川駅、越後寒川駅、
川のつく駅名が多い

桑川駅には
『笹川流れ・夕日会館』

ここは夕日と沖に浮かぶ粟島が見られる絶景ポイントなんですが、
天気に裏切られた…。

国の名勝で景勝地の「笹川流れ」は、葡萄山付近から流れる笹川が日本海に注ぐ地区に笹川集落があり、
葡萄山地を構成する花崗岩が侵食されて多数の奇岩が形成され、
入り組んだ海岸に打ち寄せる波を見て笹川流れと呼ぶようになった。

海岸巡りの遊覧船もあるそうですよ。


今回は車窓からの眺めで我慢しました。


勝木駅通過、


約11キロの笹川流れも終わり、
次の府屋駅を越えると国境、現在は県境です

18時01分
『鼠ヶ関(ねずがせき)駅』

出羽国、山形県に入りました。

勿来・白河とともに奥羽三関の一つの念珠関があり、源義経も通ったとか?
寝ずの番をしたので鼠ヶ関の地名になったとも言われる

ここからは誰も乗り降りする人がなくて
我が輩の貸切列車となりました

暗くなってきて景色も見れなくなり

誰もいないので靴も靴下も脱いで足投げ出して乾かしてました

そして、
18時46分
『鶴岡駅』到着。

駅前のホテルに直行。

旅の一日目、これにて終了です。

36084歩でした。

山登りが含まれての3万歩は歩きすぎ

初日に無理しすぎた…。


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