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ぽかぽか春庭「いろは歌留多、上毛かるた」

2015-02-04 00:00:01 | エッセイ、コラム
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(39)いろは歌留多、上毛かるた

いろは歌留多、上毛かるた
at 2003 11/18 18:04 編集

 先週11月13日は、「ピクニック授業」を実施した。(2003年11月13日)
 留学生と「こども動物園」へ。お弁当食べて、ゲームして、そして「日本の文化」についてのレポート発表。

 日本文化といっても、トピックはなんでもよく、要するに「日本に関するトリビアの泉」みたいな授業である。本日の発表者は、「日本という国名の由来」「各県の県名の由来」をレポートにまとめて発表した。すでに日本語能力試験1級を取得している留学生もいるのでかなり日本語のレベルは高い。(日本語能力1級は、英検1級準1級レベルに相当)

 発表担当者との質疑応答が終わったら、あとは、楽しく動物を見る。カンガルー、キリン、シマウマ、タチョウ、エミュー、、、。

 目玉のコアラ舎へ行く。コアラは寝ていたが、一匹はときどき動くので、留学生達「かわいい!」と大喜び。フラッシュ禁止だが、最近のケータイについているカメラは性能がいいらしく、みなかわるがわるケータイをかざして、デジカメ撮影。

 コアラ舎の前で、集合写真をとっていたら、飼育係のおじさんがユーカリの枝を持ってきた。葉っぱをちぎりとり、留学生に差し出して「においをかいでごらんなさい」と言う。強い特長のある香り。「ユーカリメンソールと言って、薬品にも使われている成分です」と教えてくれた。

 話し好きそうなので、コアラについて、生息地やユーカリのことなどいろいろ質問した。質問への答えの中で、留学生に理解がむずかしそうな言葉を私が「留学生にもわかる日本語」に翻訳して伝える。ところどころに冗談をはさみ、学生はどっと笑う。

 コアラは、一生をほとんどユーカリの木の上ですごすという。水を飲みに2週間に一度くらい木から降りるほかは、樹上生活を続けるというので、「落ちたりしないんですか」と、私が質問。

 飼育係の答え。「年寄りになって、身体が弱ると落ちることもあります。若いコアラでは、交尾期に雄が雌を追いかけて無理矢理迫ると、雌がいやがって落ちたりします」と、説明してくれた。

 私の補足トリビア。「ほらね。コアラも若いと下手なのよね、何事も経験よねえ。私なら落ちたりしません、経験豊富だから!」と、チャチャを入れる。
 留学生、経験ありの人は、げらげら大笑い。何をいっているのかわからず、キョトンとしている学生も。
 冗談と笑いの連続で、楽しくコアラについておべんきょうできた。

 飼育係のおじさんに「詳しい説明をありがとうございました」とお礼をいうと、おじさんは「先生、お話、おじょうずですねぇ。全国を公演して回れますね」と、ほめてくれた。「はい、お笑い芸人めざしてます!」と答える。ちょっとうれしい。

 ことばが大好き。これは本を読み始めた4歳のころから変わらない。
 数字にはまったく弱い。電卓で同じ計算を3回やると3回とも違う答えがでる。電卓で計算してるのに、なぜちゃんとした答えがでてこないのか、不思議。

 中3のとき、「将来を考える中学生への指導」のひとつとして、「職業適性検査」をやらされた。所見「数字を扱う職業に不適格。ことばを使う職業に向いている」

 結果、国語教師、日本語教師、役者、フリーランスライター、幅広く考えれば、英文タイピストまで、ことばを使う職業を選んできた。全部挫折したけれど。

 半年だけの短期アルバイト「小学生にミュージカルを見せる一座の役者」が、一番短い期間の仕事。役者の才能はなかったが、思い出としては一番楽しいものになった。

 自分の内向的な性格に一番合っていた仕事が、英文タイピスト。おかげで、今、ブラインドタッチがめちゃくちゃ早い。NHKアナウンサーがニュース読むスピードにあわせて、音声をそのままワープロで追っていける。

 一番長く続いている日本語教師が15年。ことばを追って、ことばを温めて、15年やってきた。

 留学生、日本人学生と「ことばあそび」をやるのも、日本語授業の一貫。
 ことば遊びは、日本語言語文化の大切な伝統のひとつだ。しりとり、ことわざ、地口、だじゃれ。「あ」~ん」の文字を一度だけ使って作る詩。(いろは歌がその代表)また、回文(したから読んでもマサコサマの類)さまざまな言葉遊びがある。

 ウェブサイトにも、これらの言葉遊びページがたくさんあって、大勢の人が言葉遊びを楽しんでいる。さきほどついた足跡。回文です。前から読んでも後ろから読んでも同じ。
2003/11/17 22:43 18ar 。うついけんしはしんけいつう。(宇津井健氏は神経痛)

 「しりとり」についてはまた、のちほどとりあげよう。今日は「かるた」について。
 歌留多の語源はポルトガル語の「カルタ」。同じ意味の語が、英語から入ってくると「カード」ドイツ語から入ってくると「カルテ」そう、カルタとは、「文字を書く紙」のこと。

 トランプのカードも、医者が書き込むカルテも、ルーツはいっしょ。英語、ドイツ語、ポルトガル語などは、インド・ヨーロッパ語族の仲間だから、ことばも似ている。

 一方、日本語は「ウラルアルタイ語族」に含まれる。朝鮮韓国語、モンゴル語、トルコ語などは、日本語とことばの語順が同じ。

 しかし、私が日本語研究をやっているころは、「日本語系統論、これにハマると研究がまとまらず、一生を棒にふることになるから、手を出してはいけない」と、されていた。 すなわち、日本語の系統論は、まだ定説がない。どなたか、きちんとした系統論をまとめれば、学会賞くらいはとれる。

 ただし、藤村某というような「万葉や古事記の古代日本語は朝鮮語で読み解ける」という素人ウケするエセ日本語学が出回っているので、先行研究に注意。研究したい人は、まず、言語学の基礎を固めてから対照言語学をやってください。

 藤村某さんのように、言語学をまったく無視した論術で、やるなら、「古池やかはず飛び込む水の音」という芭蕉の句は、「Full it cake yah! Cow was toby come me Zoo know oh! too」と解釈できるので、芭蕉はイギリス人である、というような論も可能。

 で、日本語の歌留多。
 いちばん知られているのは「犬棒かるた」。「犬も歩けば棒にあたる」などのことわざが「いろは~京」まで、読み札に書いてある。
 取り札には、絵とひらがなひと文字が。日本のこどもにとっては、正月などに遊ぶ大事なもの。これで皆、いろはの文字を覚えた。いろはかるたが遊べるようになると、親は子供を寺子屋に入れ、習字そろばんを習わせた。

 私は、留学生にひらがな50音を教えたあと、時間に余裕があるときは、かるたとりをして遊ぶことにしている。

 かるたとりと言っても、「論より証拠」「花より団子」などの日本語を言っても、まだ何も意味がわからないから、ただ、「い、犬、い、い」と言って「い」の札をとらせ、「は、花は、は、」と言って、「は」の札をとらせる。日本語の音節の音声確認と復習のためのかるたとり。

 それでも留学生は、大喜びで遊びに興じる。
 歌留多の札は、縦長にみるように言っても、かるたの縦横がまだよくわかっていないから、「こ」と間違えて「い」の札をとる。

 ハイッと、勢いよくタッチして、クラスメートから「It's not Ko.」と指摘され、「Oh!mistake!」となげく。「ほ」と「は」を間違える。「ぬ」と「め」、「わ」と「れ」など、習ったばかりのひらがなは、どれも似ていて、間違えやすい。

 人数が多いクラスのときは、グループ戦で。少ないときは、個人戦。
 チャンピオンには、日本の風景などの絵はがきの中から、一番気にいったものを選ばせる。
 一番負けは、最後に残ったハガキ。「わぁ、この残ったハガキが一番欲しくてねらっていたものだ」と、喜んだり「あっちの富士山のハガキがよかったのに、とられちゃった」と嘆いたり。

 日本語の「あいうえお」ひらがな文字は、「音節文字」である。そのためシリトリもできるし、回文もできる。

 音素(単音)文字である英語ではこうはいかない。前から読んでも後ろから読んでも、意味が同じになる文で、よく知られているのは「Madam I'm Adam. (奥様、私はアダムです)」というものくらい。後ろからアルファベットを読んでも「マダム、アイム アダム」になる。

 音節文字は、日本の言語文化にとって大きな意義を持つ。漢字から発音だけを取り出して「ひらがな」ができあがったことのしあわせを、私たちはもっと有り難がっても、罰はあたらない。

 しかも、朝鮮韓国の文字ハングルが、世宗大王の指揮のもと国を挙げての大事業として作られたのとは異なり、これらのひらがなの文字を、いつだれが作ったというのも、はっきりしていない。大勢の無名の書き手が、漢字をくずして書いているうちに、自然と固まって現在の50音の音節文字が形成されのだ。

 「安」が「あ」になり、「以」が「い」になったということを、知識としては知っていても、それらの文字を「意味を持たず音声のみあらわす文字」として固めていった長い言語文化形成の恩恵を、日頃私たちはまったく意識していない。空気が自然に胸に入ってくるのと同じくらいあたりまえのものとして受け取っている。

 万葉仮名からひらがなへ、この過程にかかわった、無名の書き手すべての人に、ときどきは感謝しなければならないのだろう。

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.49
(ろ)労農、船津伝治平『上毛かるた』

 ことば遊びのひとつに「県名だじゃれ」がある。わたしゃあなたに秋田けん。石につまずき大分けん。映画館おまえがじゃまでよく三重県、などのたぐい。

 子供達が県名を暗記させられるのは、5年生ころか。先生によっては、北から南まで、地図の上から下まで県名をいわせたりするので、子供達は「そんなに県名岩手けん」などとうんざりしてしまい、結果、自分の県以外のところ、どこがどこにあるのやら、ということになる。

 クイズ。全国の県名の中で、動物がその名にはいっているところが3県ある。ふたつは九州。そう、鹿が入っている鹿児島県。熊が入っている熊本県。もうひとつは、関東。どこでしょか。

 関西の人にその名を言っても「え、そんな県あったっけ」とか「で、どこ?それ。ディズニーランドのあるところ?」「それは千葉県」「千葉の先?」。千葉の先は太平洋。海に落っこっちまう。

 はい、正解は「鶴舞う形の群馬県」県の形は鶴が羽を広げたかたちで、名前に馬がはいっているのでした。
 シラネーってか。政治の世界じゃ、角栄二世マキコの新潟と同じくらい有名なんだけどな。自称昭和の黄門様、大勲位、さめたピザの3人の首相を排出。(あ、ここ、誤変換わざとです)黄門二世、大勲位二世につづいて、さめたピザ二世まで当選している世襲大好き県である。

 群馬の人が、ほかの県の人と異なるところ。いくつかある。アーバン通勤快速で東京通勤圏内でもあり、県内に温泉を含む観光地と工場がたくさんあって県内就労が可能なせいで、あまり、県外に出ていく人がいない。

 固定安定した住民が固定安定した毎日を、まったりとすごしている県なのだ。はい、春庭、かかあ天下の地の出身。雷と空っ風も好き。横川峠の釜飯もだるま弁当も。

 今日の話題、歌留多に関して、群馬県が他と異なる点がひとつある。
 群馬のこどもは、いろは歌留多をあまり知らない。わたしも大人になって、ことわざをいろいろ知るようになるまで「犬も歩けば」とか、「割れ鍋に綴じ蓋」などのことわざを覚えなかった。群馬の子供達は「上毛歌留多」を覚えるのだ。

 小学校のころ、毎年毎年かるた大会がもよおされ、全県あげて子供達は上毛かるたの暗記につとめた。

 「い」伊香保温泉日本の名湯「ろ」老農船津傳次平(ろうのうふなつでんじべい)「は」花山公園つつじの名所「に」日本で最初の富岡製糸「ほ」誇る文豪田山花袋

 富岡製糸は、先日も明治の「殖産興業」の説明を留学生にしたときに、教科書に出ている製糸工場の写真を見ながら解説した。

 伊香保や花山公園も、小さいときから家族で出かけている名所。しかし、「ローノーフナツデンジベー」が意味不明だった。いったい何だローノーとは?

 「労農」の代表的人物が二宮金次郎。今や二宮尊徳と言っても、若い人には少しも馴染みのない人になってしまった。戦前の学校の校庭には、必ずこの金次郎さんの銅像が建っていたのだ。薪を背負い、本を読みながら歩いている少年。「手本は二宮金次郎」と、教わり、子供は皆、彼をお手本にすべきとされていた。

 労農は、現代語でいうなら「先進的農業指導者」である。各地の農業指導者が献身的に働き、農業生産をあげ、農民が少しでも豊かな暮らしができるように努力した。船津傳次平は、群馬県出身の労農だったのだ。

 二宮金次郎のように、全国区にはならなかったが、彼をたたえる碑が東京飛鳥山公園に残されている。花見に公園にいって、こどものころ意味不明だったローノー船津に出会い、びっくりしたことがある。おお、おなつかしや。こんなところでお目にかかろうとは。

 老後の心の冬支度をめざして、著者50音本の思い出昔話をつづけてきたが、終わりになるにつれ、だんだんと「日本語言語文化」の衰退をうれえる、よくある老いの繰り言になってきた。

 日本語教師は「日本語史」をちゃんとお勉強しているから、日本語がどのように変化してきたかをようく、知っている。そのため、「ら抜きことば」なども、「日本語変化の当然の流れ」として受け止める人が多い。

 ら抜きことばのために騒動が巻き起こるのが永井 愛('97)「ら抜きの殺意」(第一回鶴屋南北戯曲賞受賞)であるが、日本語の歴史を振り返ってみれば、ら抜きになるのは必然の変化なのだ。

 だから、このような言語自体の変化はあまり嘆かない。なにしろ枕草子を書いた清少納言だって「ちかごろは言葉が乱れていて困る」と愚痴っているのだ。

 変化するのがいやなら、私たちは、いまでも平安の古文にでてくることばで、しゃべっているはず、いや縄文時代のことばのまましゃべっているはずだ。

 私の「日本語教授法」の授業。日本語学に興味をもたせるために、一番最初に学生に出すクイズ

 「昔、むかし、日本の母は、全員パパだった。パパが子供におっぱい飲ませていたんだよ。なぜかわかる?性転換したんじゃないよ。」
ヒント:縄文時代は現代のH音がP音だった。(正解はまたあとで)

 日本の言語は、どんどん変化する。言語文化も変化する。純国産の日本朱鷺(ニッポニアニッポン)が滅亡したように、あるものは滅び、あるものはしぶとく生き残る。

 春庭は、プロフィールにも「日本語教師」と出しているので、「教師にもあるまじき乱れた日本語!」と、ご不快な方もおられよう。すみませんね。いつも下品で。

 だが、しかし、されどしかるに、ことばとは常に変化していくものなのだ。いまや「ら抜き」の食べれる出れるを、若い世代は当然として使っているように、いまのところ古い世代が「乱れた日本語」として眉をひそめている表現が、あと百年後には「ただしい日本語」と、なっているだろう。

 そして今「新しいことば」として登場している表現が、定着していることだろう。みなさん、「あたらしい」というのは、かって「正しくない日本語」でした。「あらたし」が、正しい日本語だったんです。でも、みんなで違えばこわくない。今は「あたらしい」を全員使っている。

 日本語言語文化がこれから先、どうころがっていくのか、ウォッチングを続けたい。

<つづく>
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