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ぽかぽか春庭「埋もれた日本ディスカバージャパン」

2015-02-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
20150205
ぽかぽか春庭知恵の輪日記>おい老い笈の小文(39)埋もれた日本ディスカバージャパン

 2003年掲載の「おい老い笈の小文」を再録しています。本日「わ」の項
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埋もれた日本、ディスカバージャパン日記
at 2003 11/19 10:18 編集

 「あ」の足立巻一『やちまた本居春庭評伝』から「わ」和辻哲郎『埋もれた日本』まで、あいうえお順に著者名をたどってきた。今回は、第一期一巡目の最終回。
 最後くらいオバカはやめて、教師らしくまともなことを言いたいと、念じつつ祈りつつ、、、。

 でも、やはり、バカをやりたい。私はオバカが大好きだ。ぐれていたい。
 よそ様の日記読むときも、しんみりしみじみも好きなんだけど、笑えるページがとても好き。たくさんの日記サイトを読んできて、泣いたページ、笑ったページ。こうして、ネットで知り合えたこと、とてもうれしいです。
 日記は女の人生の凝縮。あの日記、この日記。春庭、それぞれの書き手の人生に、様々に繰り広げられる日常生活に思いをはせながら、読ませていただいております。

 蜻蛉日記更級日記の昔から、日記を書くことは女にとってとても大切な人生の一部だった。
 日本語教師春庭、和泉式部日記と紫式部日記は、影印本変体仮名で読みました。すごいね。ひらがな、カタカナ、万葉仮名に変体仮名までねぇ、サスガ日本語教師。

 旧仮名のうち、「ゑ」「ゐ」は、知られている。
 そのほかよく見かけるのは蕎麦屋の看板に「生そば」って文字が変体仮名で書いてあるから、この次そばやに行ったら、「はぁ、これが春庭の言ってた変体仮名か」って、思って眺めてね。

 ほら、そこっ「へんたい」って聞いてうれしそうな顔しないのっ!「変態」じゃなくて「変体」でございます。もう、女教師おこるよっ、鞭でバシッッ!あ、ますますうれしそうな顔して、この学生は!!バシッばしっっ!!

 だれです?「生そば」って「なまそば」だと思ってたっていう人。
 生そばがナマソバなら、「生娘キムスメ」は、「ナマムスメ?」いやぁ、ナマビール、ナマアシに続けて、ナマムスメ。なんだか、なまつばごっくんになってきましたなぁ。と、またまた、脱線。

 こんな調子で「日本事情」という、日本の歴史と文化を教えるクラスを受け持っているから、限りなく脱線していって、レールはずれっぱなし。

 日本人クラス(日本語教授法)は、年齢層が若いから、冗談も若年層にあわせて、テレビアニメやコミックネタパロディが中心ですが、日本事情は、私大、私費留学生がほとんどで、年齢層が高い。きわどい冗談にも笑ってくれるから大丈夫。

 でも、そのうち「セクハラ発言教師」として、首になるかもしれない。そうなる前に、抱腹絶倒ハルニワの授業を聴講してみたい人、聴講料は、大学にでなく直接ハルニワに払うってことでどうぞ。あ、これも実際にやったとしたら、首だなぁ。

 イロハ48手からヘンタイ文字まで、さすが日本語教師!といっても、試験が終わったら変体仮名すっかり忘れてしまった。

「学校から受けたことは、きっちり卒業式までに学校に返却する」という方針。きちょうめんに返してきたから、ほとんど習ったことが残っていない。春庭が身につけたのは、「雑学トリビア」ばかりである。

 日記文学の劈頭(「へきとう」って読んでね)を飾る貫之の『土佐日記』。「男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり」と、始まる。
 日本最古の「ネカマブログ(男が女のふりをして、女ことばで日記を書くサイト)」として、今や「ネカマブログの劈頭をかざる土佐日記」に、昇格。(昇格なのか?)

 紀貫之が女のふりをして書いている土佐日記。なぜ女のふりをしなければならなかったか。当時、男は漢文を書いていた。公式な記録はもちろん、私的な日記も、宮中勤務や寺社つとめのこと、家の子郎党に伝えるべき伝達事項などを、漢字だけの文、漢文を書いていた。

 漢文が書けなければ、「お勤め」に出ることもできない。六位以下は、人の数にも入らないという社会で、六位にもなれない。服装も五位以上は水干、六位以下(地下)は、直垂(ひたたれ)と、区別がある。紀貫之は当然、漢文を書くべき立場だった。
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 しかし、いくら「教養のすべては漢字漢文で」という時代にあっても、自分の見聞、日常茶飯事、溜息吐息の思いのたけを、縷々、述べるには漢文は適さなかった。

 日常のこまごました出来事、あの人がこう言った、この人はこうやっていた、私はどう思ったか、ということを書くのは、女がつかっているひらがなで、女が書いているように和文で書くのが適していた。書き下し文として日本語化して読み書きしていたとはいえ、漢文はあくまで基本は中国語。和文脈でないと、本音が出せなかった。

 当時の慣習なら貫之は漢文で書き、漢詩を挿入すべきところを、おそらくは和歌を入れたくて女に身をやつしたのだろう。漢詩は男の世界の表現であり、女の世界の和歌を排除することを意味した。

 ドナルド・キーン『百代の過客・日記に見る日本人』は、日本で書かれた膨大な日記群を読み解いていく卓抜な著作である。一般的な日本人が一生かかっても読み切れない日本文学を、若いときからせっせと読みこなしてきたキーン先生。旧古河庭園前にマンションを購入し、コロンビア大学名誉教授日本文学研究者としてニューヨークと東京を往復している。

 日記といっても、日本の日記は、毎日の出来事をただ書き留めていくメモリー、デイリーニューズだけを意味するのではない。虚構もまじえ、読者を操って文学世界に引き入れている。こんなことは「日記」と名付けられた文章世界にあって、日本以外ではめったに考えられないことだと、キーンは思った。

 日本人の日記を研究してみよう。そうすれば、日本人の心性心情、日本人の心の奥が分かるに違いない。なぜ芭蕉の「奥の細道」は、随行者曽良(そら)の記録と食い違いがあるのか。随行記と芭蕉紀行文を比較するとよくわかることなのだが、芭蕉は実際におこったことを逐一書いているわけではない。

 「あらたふと青葉若葉の日の光」この句を見れば、さんさんと輝く日光が青葉若葉に降り注ぐ一日を日光ですごしたのだろうと、私たちは思う。文学的に、芭蕉にとって、日光という地名は日の中に存在しなければならなかったのだ。
 しかし、日光を訪れた日は雨だったのだ。

 中尊寺金色堂のことも、芭蕉は書き留めているが、曽良の記録では、当日は金色堂を開けてくれる人がいなくて、二人ですごすご見物もできずに立ち去ったというのだ。
 旅の日記、紀行文。芭蕉は実際におこったこと書いたのではなく、文学として創作もまじえて書いていたのだ。

 キーンは、日本人の日記はたんなる日記ではなく、日本語言語文化にとって、重要な文学だと考えた。

 キーンが日本人の日記と関わったのは、日本文学を研究するようになってからではない。 キーンの日本語との関わり、きっかけは戦争だった。米軍の情報将校として日本語を学び、日本軍兵士が戦場に書き残した日記を読解分析するのが仕事だった。
 壊滅した日本軍部隊、敗走した部隊のあとに、死屍累々と共に、日記が落ちていた。米軍は日本人のものの考え方感じかたを知るために、膨大な日記を収集し読み解いていった。

 この「アメリカによる日本分析」の最初の大きな成果として発表されたのが、女性文化人類学者ルース・ベネディクト『菊と刀』である。
 この著作は、日本学(ジャパノロジー)、日本思想史、日本人論、文化研究(カルチュラル・スタディ)などををめざす研究者には必読の書。

 戦後は、批判的に読むことが「おやくそく」の読み方になっているが、この『菊と刀』が、「自分の国が外からどう見られているかを、何よりも気にする国民性」の人々に与えた影響は大きかった。「ルースの目にうつった自分たちの姿」を鏡に映しながら、人々は自信をもったり、うなだれたりした。

 文化人類学の研究方法として、そもそもルースの「資料の選択方法」には偏りがあり、片寄った資料を用いながら片寄った見方に押し込めていくから、『菊と刀』に描かれた日本人は、修正しまくりのお見合い写真みたいな、「自分であって自分ではない姿」になっている。

 「義理と恥の文化」とルースに言われると、「なるほどそうだなあ」と、私たちはルースの描いた肖像画に身の丈をあわせようとする。
 もちろん「義理と人情をはかりにかけりゃ、義理が重たい男の世界」というのもあるし、「生きてこの身に恥うけるより、死んでおわびを」も、未だに生き残っている思想である。

 ルースの日本人分析が全面的に古いとか、今はなんの価値ももたないというつもりはさらさらない。批判的に読み解きながらも、新しい資料収集と資料分析の努力はつづけられなければならない。今でも『菊と刀』は、重要な本である。

 日本人の書く日記。現在ウェブサイトに何百万もの日記が書かれ、電波とともに世界を駆けめぐっている。毎日のふだんのおかずとして何を食べたのか、という献立日記も貴重だし、通勤の電車の中で耳にした会話を毎日書き留めている人の記録も重要な「世相分析」の基礎資料となる。

 戦時中の「世間の思想」を研究している人が、「新聞雑誌に載った有名な筆者の論説ではなく、町の中で、市井の人々がどう思い、どう発言していたかという、実際の声」を知ることは至難のわざ、と言っていた。
 リアルタイムで「電車の中でのうわさ話」「床屋でかわす政治談義」などが記録されていたら、戦時庶民の思想分析研究も一段と鋭いものになっただろうに。

 春庭がだらだらと長文を書き殴り、「そんな漢字いっぱいの長ったらしい文章で、そんな蘊蓄だれも読まないよ」と、娘(ナマムスメです)から貶されていても、せっせとこの50回の「昔の本思い出しながらの、蘊蓄たれつつの、自分語り」を続けてきたのも、もしかしたら百年後に、「20世紀半分と21世紀半分を生きた日本語教師は、毎日何を思い何を感じて生きていたのか」ということを知りたいと思う人が、「いない」とはいいきれないからだ。

 未来がどうなるのか、凡人たる私たちには予測もできない。
 百年後には、地球が滅亡していることだって、否定できない。それでも、私たちは未来に向かって、今日を生きている。

 書くことを生き甲斐として、そして、他の人の日記を読むことからコミュニケーションが始まることを信じて。

 今日も、春庭、せっせと駄文を書きました。!!!(最後はきちっとまとめる日本語教師!)

☆☆☆☆☆☆
春庭千日千冊 今日の一冊No.50
(わ)和辻哲郎『埋もれた日本』
 『埋もれた日本』初出は1951。第一部は京都や奈良のこと『大和古寺巡礼』とつながる文。第二部は『菊と刀』非難。第三部は、漱石、藤村、露伴、野上豊一郎などの文人とのつきあい、思い出を書いている。
 第二部の目次。「『菊と刀』について」「若き研究者に」「埋もれた日本」の三篇が含まれている。

 日本敗戦後、進駐軍による日本統治がなされる際に、軍中枢将校たちにとって、『菊と刀』が必読書となっている、という話を聞いて、日本人知識人は驚いた。
 自分たちがただ「鬼畜米英」などというスローガンだけで、アメリカの軍備分析もロクロク行わずに真珠湾につっこんで行き、泥沼の太平洋戦争を開始したのに、アメリカ側は、日本人の国民性、思想について、かくまでも深く分析していたのか。

 特に、マッカーサーの「天皇はいい人だから、戦犯とはみなさない」という方針に、『菊と刀』の思想が影響したのかも知れない、という話も出て、日本人知識人にとって、戦後思想の出発は、「戦後民主主義」と共に、「外から見られた自分たち」の姿を知ることが必須となった。

 そのような思想界の中で、和辻哲郎は『菊と刀』を、完膚無きまで叩きのめしている。資料の扱い方のあやまり、資料の偏りかたへの批判。ルース・ベネディクトの「西洋側から見た一方的なまなざし」への批判。

 ほんとに、小気味いい文章だから、『菊と刀』を読んでいない人にも一読をおすすめ。『菊と刀』読んでなくとも、読んだつもりになれるし。どこかのバーで、おねえさん相手に蘊蓄たれトリビアの泉をやりたい人にはぜひ。

 本全体のタイトルともなっている『埋もれた日本』がまた、すごくいい。「キリシタン渡来時代前後における日本の思想的情況」という副題がついている。ここに書かれている武士たちの家訓を、きょうびの情けない政治家たちに煎じて飲ませたい。「正直であれ」というのが、どの家にも共通して繰り返し伝授されている「家の方針」なのだ。  
 また、「自敬の念を持て」ということも繰り返し述べられている。「自分自身を、卑下すると、我が身の罰が当たる」という家訓があるのだという。

 『おのれが臆病であることは、おのれ自身において許すことができぬ。(中略)おのれの面目が命よりも貴いのは、外聞に支配されるからではなく自敬の念が要求するからなのである。』

 と、和辻は、家訓の内容を解説している。これは当時の人々が『菊と刀』によって、描かれた日本人像を「よそから見られた自分の姿」と思い、その姿にあわせて右往左往する状況に対する、和辻の強烈な批判ともなっている。
 「人から、どうこう言われるから」「人様から非難を受けないように」それだけが行動の基準である人を、和辻は快く思っていない。

 近頃よく見かけるしつけ問題を例をあげれば、「ほら、あのおばちゃんがこわい顔してにらんでいるから、騒がないのよ」などと、電車の中で騒ぎまくる子供に言う母親のこと。おばちゃんがこわいから、おまわりさんがこわいから、国家からの圧力がこわいから、言いたいことも言えない、そういう態度をとる人を、和辻は、「自敬の念を忘れた人」と呼ぶのだ。
 世間の目に合わせるのではなく、人から見てどう思われるかを行動の基準とするのではなく、己の心情思想によって、自分の行動を律していく、そういう人にわたしはなりたい。

 雨にも負けて、風邪にも負けてしまう弱い自分ではあるが、立派な「非国民」めざして、国家が「派兵!」と命じても「いやだ」と言い、大学当局から「正式書類は元号で年数を書くように、と言われても、私は自分のうまれた年を、自分の書きたい年で提出する。
 (元号拒否した司法修習生が任官拒否された。裁判に訴えたが、負けてしまった。こういうのを思想統制と呼ばずになんとしよう)

 私のものの見方考え方は、ある人々にとっては「片寄っている」「偏向思想」と呼ばれるものかもしれない。しかし、やはり私は人様にあわせて、自分をねじ曲げていくことができない。

 な~んてね。元号で生年月日を記入しないとクビ!などと脅されると、「あ、今まだ、仕事を失うと、食ってけないから、ま、いいか、私、生まれはショウワです」なんて、君子じゃないけど豹変する、弱っちい人間です。
 どうも立派になれなくて、すまん。

 と、思想信条告白して、春庭、どうにも情けない人間であることが暴露されたところで、50音順著者の昔読んだ本めぐりはおしまいです。ご愛読ありがとうございました。

<おわり>
コメント (2)
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