20150208
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十五夜満月日記2月春立つ日々(2)牛肉の気持ち
ペースペーカーといえば、最初に思い出すのはマラソン大会の一番前で走っているスピードコントロールを請け負う走者の姿。30km前後まで、早すぎず遅すぎず適正なペースを保ってくれるランナーのこと。
でも、これからは姑の右胸に埋め込まれた心臓ペースメーカーを何よりも考えていかねばならない。万が一を考えて病室内ではケータイ電源を切る、ということから始めています。
2月5日の手術が順調にいき、娘は術後のおしゃべりで、おばあちゃんからおもしろい話を聞いてきました。
なにせ、90歳の年寄りだから、ペースメーカー埋め込み手術を行うにも、全身麻酔は使えない、とのこと。脳は半覚醒の状態、体は手術を行う部位だけの局部麻酔。可能な限り弱い麻酔にする。この年齢で、麻酔から覚めないという事態が怖いからです。
おばあちゃんの脳は、半覚醒の状態におかれる、ということでしたが、手術のようすは割合鮮明にとらえていたようで、「水をじゃあじゃあ掛けられたり、じょりじょり切る音がした。自分が牛肉か豚肉になった気がした。チュウチュウ吸われたり、ボロを詰められたりした」と、手術中の描写。
我が家は医者ドラマが好きなのですが、おばあちゃんは、テレビは相撲中継とニュースくらいしか見ない人。それでも、おばあちゃんの描写力によって、事態が把握できました。きっと水かけられたというのは消毒薬だろう、チューチュー吸われたのは、出血などの吸引だろう、ボロ詰められたというのは、ガーゼが切開部分にあてられたのだろう、と、想像がつきます。傑作は「牛肉になった気持ち」。
「おばあちゃん、すご~い!」と、娘と大笑いして感心しました。私も好奇心旺盛で何でも知ってみたいというほうですが、さすがに自分が牛肉になって切られる、という想像はしたことがなかった。
牛肉の気持ちがわかったおばあちゃん、これから米沢牛のすき焼きなんぞ食べるときは、さぞかし共感しながら食べることになるのでしょう。
2月7日土曜日に、病室に行くと、姑は金曜日の夜おそく見舞いに来た息子タカ氏のふるまいについて、愚痴をこぼす。
「お茶が飲みたくなったから、お茶入れてもらったのよ。でも飲ませ方がヘタで、熱いお茶をわたしのほっぺたにこぼして、、、わたしはやけどするかと思った」と、言うのです。
おかしくて、笑いたいのを我慢しました。この世の中でこれ以上不器用で何も出来ない人は珍しい。赤ん坊のおむつひとつ換えたことがなく、釘をうてば自分の指を金槌でたたいてしまう。母親の要望に応えて緑茶ティーバッグにお湯を注ぐまでは出来たけれど、飲ませようとして頬に熱いお茶をひっかけるって、ほんと他の人がやろうとしてもできないことをやらかす。実の息子だから笑い話になるけれど、ヨメがやったら「私を殺す気か」とか言われてしまうかも。
おばあちゃんを車いすに乗せて、10階へつれて行って、外を眺める。残念ながら曇り空で、富士山は見えません。丹沢の山並みの上に頭を出している富士山を見ていると、「おまえもがんばれヨー」と、励まされる気がするのです。ほんに、富士はニッポンいちの山。
今朝、心臓の担当医がペースメーカーのようすをチェックに来たそうです。
医者に「ここにはってある絆創膏がかゆい」と言ったら、医者は、「じゃ、とっちゃましょ」と言って、いきなりピッとひっぱって剥がしたのだって。「いたいって言おうとしたらもう剥がれていたから、文句も言えなかった」と、姑。やさしい手つきの看護師さんと比べて、お医者さんの措置は容赦ない。でも、絆創膏が剥がされたということは、傷口も心配なくなった、ということでしょう。
私、娘、息子、夫のほか、夫の姉の次女も病室に集まりました。2月7日は姑の90歳の誕生日だったのです。お祝いは退院してから、ということで、今日のところは、おばあちゃんを囲む孫たちといっしょの記念写真をとり、プレゼントをわたしました。夫の姪からは春らしい黄色の花かご。息子からはカーディガンと毛糸のチョッキ。私からはいつもの祝い袋金一封。卒寿だから、いつもよりは少し多め。
全快まではまだまだ気が抜けませんが、「牛肉になった気持ち」という傑作なおばあちゃん、ちょっとずつ元気になっていってほしいです。
姑は、1925(大正14)年生まれ。昭和18年に女学校を卒業した戦中世代です。女学校での竹槍訓練なぞも受けた世代で、痛いだの苦しいだの言えば担当教官のげんこつが倍になって返ってきた、という日々をすごしました。だから看護師さんが「苦しくないですか」と聞いても「だいじょうぶ」、先生が「痛くないですか」とたずねても「いたくありません」と、答え、多少の苦しさ痛さは我慢してしまうのです。
これまで健康オタクで「健康でいることがなによりの自慢」だっただけに、去年だんだん苦しくなってきたころも家族には「年だから、ちょっと足が重くなった」「年だから寒くて着ぶくれているので、おなかがふくれて見えるでしょ」と、どこまでも自分が元気でいるというようにふるまったのです。だから、姑の状態がほんとうは我慢の限界に達していることになかなか気づけませんでした。
私が入院を主張しても夫は、「でも、近所のお医者さんの診察を受けに行くのを予約しちゃったし、ばあちゃんは入院なんて望まないだろうし」と、入院を渋っていたのです。
こんどばかりは、私が「鬼ヨメ」ぶりを発揮して強制入院させたことが「正解」であったと、認めたみたい。
鬼ヨメ、ますます図に乗って、お茶も飲ませられない夫が「すみませんねぇ、役立たずで、、、」と、小さくなっているのを見て、「ははは、ヨメのありがたさ、身に染みたか、頭が高~い」と、ふんぞり返っています。
<おわり>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>十五夜満月日記2月春立つ日々(2)牛肉の気持ち
ペースペーカーといえば、最初に思い出すのはマラソン大会の一番前で走っているスピードコントロールを請け負う走者の姿。30km前後まで、早すぎず遅すぎず適正なペースを保ってくれるランナーのこと。
でも、これからは姑の右胸に埋め込まれた心臓ペースメーカーを何よりも考えていかねばならない。万が一を考えて病室内ではケータイ電源を切る、ということから始めています。
2月5日の手術が順調にいき、娘は術後のおしゃべりで、おばあちゃんからおもしろい話を聞いてきました。
なにせ、90歳の年寄りだから、ペースメーカー埋め込み手術を行うにも、全身麻酔は使えない、とのこと。脳は半覚醒の状態、体は手術を行う部位だけの局部麻酔。可能な限り弱い麻酔にする。この年齢で、麻酔から覚めないという事態が怖いからです。
おばあちゃんの脳は、半覚醒の状態におかれる、ということでしたが、手術のようすは割合鮮明にとらえていたようで、「水をじゃあじゃあ掛けられたり、じょりじょり切る音がした。自分が牛肉か豚肉になった気がした。チュウチュウ吸われたり、ボロを詰められたりした」と、手術中の描写。
我が家は医者ドラマが好きなのですが、おばあちゃんは、テレビは相撲中継とニュースくらいしか見ない人。それでも、おばあちゃんの描写力によって、事態が把握できました。きっと水かけられたというのは消毒薬だろう、チューチュー吸われたのは、出血などの吸引だろう、ボロ詰められたというのは、ガーゼが切開部分にあてられたのだろう、と、想像がつきます。傑作は「牛肉になった気持ち」。
「おばあちゃん、すご~い!」と、娘と大笑いして感心しました。私も好奇心旺盛で何でも知ってみたいというほうですが、さすがに自分が牛肉になって切られる、という想像はしたことがなかった。
牛肉の気持ちがわかったおばあちゃん、これから米沢牛のすき焼きなんぞ食べるときは、さぞかし共感しながら食べることになるのでしょう。
2月7日土曜日に、病室に行くと、姑は金曜日の夜おそく見舞いに来た息子タカ氏のふるまいについて、愚痴をこぼす。
「お茶が飲みたくなったから、お茶入れてもらったのよ。でも飲ませ方がヘタで、熱いお茶をわたしのほっぺたにこぼして、、、わたしはやけどするかと思った」と、言うのです。
おかしくて、笑いたいのを我慢しました。この世の中でこれ以上不器用で何も出来ない人は珍しい。赤ん坊のおむつひとつ換えたことがなく、釘をうてば自分の指を金槌でたたいてしまう。母親の要望に応えて緑茶ティーバッグにお湯を注ぐまでは出来たけれど、飲ませようとして頬に熱いお茶をひっかけるって、ほんと他の人がやろうとしてもできないことをやらかす。実の息子だから笑い話になるけれど、ヨメがやったら「私を殺す気か」とか言われてしまうかも。
おばあちゃんを車いすに乗せて、10階へつれて行って、外を眺める。残念ながら曇り空で、富士山は見えません。丹沢の山並みの上に頭を出している富士山を見ていると、「おまえもがんばれヨー」と、励まされる気がするのです。ほんに、富士はニッポンいちの山。
今朝、心臓の担当医がペースメーカーのようすをチェックに来たそうです。
医者に「ここにはってある絆創膏がかゆい」と言ったら、医者は、「じゃ、とっちゃましょ」と言って、いきなりピッとひっぱって剥がしたのだって。「いたいって言おうとしたらもう剥がれていたから、文句も言えなかった」と、姑。やさしい手つきの看護師さんと比べて、お医者さんの措置は容赦ない。でも、絆創膏が剥がされたということは、傷口も心配なくなった、ということでしょう。
私、娘、息子、夫のほか、夫の姉の次女も病室に集まりました。2月7日は姑の90歳の誕生日だったのです。お祝いは退院してから、ということで、今日のところは、おばあちゃんを囲む孫たちといっしょの記念写真をとり、プレゼントをわたしました。夫の姪からは春らしい黄色の花かご。息子からはカーディガンと毛糸のチョッキ。私からはいつもの祝い袋金一封。卒寿だから、いつもよりは少し多め。
全快まではまだまだ気が抜けませんが、「牛肉になった気持ち」という傑作なおばあちゃん、ちょっとずつ元気になっていってほしいです。
姑は、1925(大正14)年生まれ。昭和18年に女学校を卒業した戦中世代です。女学校での竹槍訓練なぞも受けた世代で、痛いだの苦しいだの言えば担当教官のげんこつが倍になって返ってきた、という日々をすごしました。だから看護師さんが「苦しくないですか」と聞いても「だいじょうぶ」、先生が「痛くないですか」とたずねても「いたくありません」と、答え、多少の苦しさ痛さは我慢してしまうのです。
これまで健康オタクで「健康でいることがなによりの自慢」だっただけに、去年だんだん苦しくなってきたころも家族には「年だから、ちょっと足が重くなった」「年だから寒くて着ぶくれているので、おなかがふくれて見えるでしょ」と、どこまでも自分が元気でいるというようにふるまったのです。だから、姑の状態がほんとうは我慢の限界に達していることになかなか気づけませんでした。
私が入院を主張しても夫は、「でも、近所のお医者さんの診察を受けに行くのを予約しちゃったし、ばあちゃんは入院なんて望まないだろうし」と、入院を渋っていたのです。
こんどばかりは、私が「鬼ヨメ」ぶりを発揮して強制入院させたことが「正解」であったと、認めたみたい。
鬼ヨメ、ますます図に乗って、お茶も飲ませられない夫が「すみませんねぇ、役立たずで、、、」と、小さくなっているのを見て、「ははは、ヨメのありがたさ、身に染みたか、頭が高~い」と、ふんぞり返っています。
<おわり>