20161004
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>秋散歩(3)輝く女性達展 in国立文書館&三の丸尚蔵館in皇居東御苑
9月24日土曜日の散歩も雨の中。雨の多い秋でした。
雨でも何でも出かけようとするのは、家にいると、どうしても娘にあれこれ言いたくなってしまうから。娘が「仕事のない母親の関心が娘に集中し、娘は母親に束縛されてしまう」と、感じてしまわないようにするためです。
私の関心は、娘の体調の善し悪し、そして娘が今以上に太らないよう体重管理。息子は逆に小食で、夏の間はほとんど食べられず、一日の栄養の大部分は水代わりに飲む牛乳という偏った食生活。アラサーの娘息子に「もっと食べろ」だの「そんなに食べるな」だの、言いたくなるところを、まてしばしと押さえて、雨の日も外へ。
子ども達が母親を一番必要とした時期に、私は家計担当者として仕事仕事の日々でした。日常生活のしつけなどは「学童保育の先生におまかせ」のときもあり、食事マナーなど「そんなマナーだと、宮中晩餐会出席のおりにはひんしゅくじゃ」と思うこともあります。まあ、晩餐会に出ることないからいいんだけれど。私は、どんな貧しい食卓でも、優雅に美しく食べる親子になりたかった。
昼食5分で食べて午後の授業の準備をして、夕食15分で食べ終わって、洗濯やらお茶碗洗いやらしなければ日常生活回っていかなかったころ身についた早食いがなおらず、娘息子のマナーをとやかく言う時期を逸してしまいました。
娘息子が家を出て、私は空の巣症候群になる予定だったのですが、、、、、ふたりとも家からいっこうに出て行こうとはしないパラサイトシングル生活ですので、私が家にずっといる時間、過干渉になるのをぐっと押さえなければなりません。
そんなこんなで、娘息子を残して、雨でも出かける。
雨のときは、美術館が一番すごしやすい場所。9月24日土曜日は、皇居東御苑プラス三の丸尚蔵館&近代美術館といういつものコース。三の丸尚蔵館は、いつでもだれでも無料、近代美術館常設展は65歳以上無料なので、私がもっとも頻繁に訪れる散歩コースです。
三の丸尚蔵館。9月の展示は、皇室所蔵の書。東京国立博物館などの所蔵であったら、確実に国宝印がつくだろうに、皇室の御物だから、国宝指定にはならない。そういうことになっているらしい。でも、こうして見せていただけるのはとてもありがたいこと。「書の美、文字の巧」展の、前半展示です。
玉泉帖 小野道風 1巻 平安時代(10世紀)

館内、外国人旅行者が多い。バスのコースで寄ることになっているのだろうけれど、絵や彫刻ならともかく、書を見てこの素晴らしさをわかってくれたのかなあと、、、。そりゃ、私だって読めないけれどね。配布のパンフレットには、翻刻した文書がありました。翻刻の活字と見比べれば、なんとか読める。私は、生来の悪筆、金釘流家元ですが、書を見て美しいなあ、すばらしいなあと感じることはできます。
息子は、博物館で古文書翻刻アルバイトをを続けています。「安!時給」のバイトでも黙々と続けているのを見ると、こういう文字を朝から夕方まで眺めていてもいやにならないのは、それはそれでひとつの能力だと思えます。時給は最低賃金しかもらえないけれど、本人がそれでいやじゃないと言うのだから、食えないバイトでもしかたなし。それにしても、かなり専門的知識が必要な専門職と思うのに、東京都最低賃金しかもらえないのは、どうしたことか。博物館内レストランの皿洗いバイトより安い。
出会う観光客のほとんどが外国人だった、東御苑。
二の丸庭園の池も雨にけぶる
諏訪の茶屋

大手門から入園し、北桔梗門から出て行くいつものコース。北桔梗門前の高速道路入り口を渡ると、目の前は国立公文書館です。
国立公文書館で「時代を超えて輝く女性たち」という特別展をやっていました。(10月16日まで)
津田梅子や広岡浅子(「あさが来た」のモデル)ら、明治時代の先駆的女性の事跡紹介から、現代まで。2015年8月に「女性活躍推進法」が成立したことを踏まえての展示、ということらしいです。
最初の女子留学生5人。

広岡浅子肖像

学習院教授をつとめ、実践女学校創立者となった下田歌子とか、勲章や記念メダルを得たような公的な表彰を受けた女性の紹介が主なものでした。
公文書館ですから、国の記録に残った人が出てくるのはやむを得ないことですが、私は、国の表彰などは受けなかった、「野の女性達」の記録も、さまざま方法で残していくことをもっと考えていかなければ、史料などが散逸しては惜しいなあと思いました。
そういう「お国の表彰」を受けなかった女性たちの事跡に心ひかれます。たとえば、松井やよりの「女たちの戦争と平和資料館」の活動などは、決して国の表彰を受けることはないでしょう。
男性でいえば、8月21日に101歳で亡くなったむのたけじさん。勲何等とか受賞しなかったでしょうけれど、私は、松井やよりさんやむのたけじさんに心寄せて生きていきたい。おふたりをジャーナリストの手本と思っています。
時代を超えて輝く女性展。
私、輝いたことあった?という気になる。ずっと下積み、苦労の連続。輝くどころか、泥んこぬかるみの道、どしゃぶりの中歩いてきたような。
小降りになった道を歩きながら、ふりかえって見れば、、、、
午前中は大学院で授業を受け、午後は日本語学校で授業を担当する、夜は息子をあやし、娘のままごと相手をしつつ夕飯作り、茶碗を洗う。茶碗を洗いながら頭の中では修士論文を構想し、土曜日や夏休みは夫の会社を手伝った。よくぞ生きてきた、という毎日。
誉められもせず、苦にもされず、ひでりの日も雨の日も、おろおろ歩いたあの時間が、私の輝ける日々、、、、だったのか。
なんぞと、ぶつくさいいながら、近代美術館へ。雨は小止みに。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>秋散歩(3)輝く女性達展 in国立文書館&三の丸尚蔵館in皇居東御苑
9月24日土曜日の散歩も雨の中。雨の多い秋でした。
雨でも何でも出かけようとするのは、家にいると、どうしても娘にあれこれ言いたくなってしまうから。娘が「仕事のない母親の関心が娘に集中し、娘は母親に束縛されてしまう」と、感じてしまわないようにするためです。
私の関心は、娘の体調の善し悪し、そして娘が今以上に太らないよう体重管理。息子は逆に小食で、夏の間はほとんど食べられず、一日の栄養の大部分は水代わりに飲む牛乳という偏った食生活。アラサーの娘息子に「もっと食べろ」だの「そんなに食べるな」だの、言いたくなるところを、まてしばしと押さえて、雨の日も外へ。
子ども達が母親を一番必要とした時期に、私は家計担当者として仕事仕事の日々でした。日常生活のしつけなどは「学童保育の先生におまかせ」のときもあり、食事マナーなど「そんなマナーだと、宮中晩餐会出席のおりにはひんしゅくじゃ」と思うこともあります。まあ、晩餐会に出ることないからいいんだけれど。私は、どんな貧しい食卓でも、優雅に美しく食べる親子になりたかった。
昼食5分で食べて午後の授業の準備をして、夕食15分で食べ終わって、洗濯やらお茶碗洗いやらしなければ日常生活回っていかなかったころ身についた早食いがなおらず、娘息子のマナーをとやかく言う時期を逸してしまいました。
娘息子が家を出て、私は空の巣症候群になる予定だったのですが、、、、、ふたりとも家からいっこうに出て行こうとはしないパラサイトシングル生活ですので、私が家にずっといる時間、過干渉になるのをぐっと押さえなければなりません。
そんなこんなで、娘息子を残して、雨でも出かける。
雨のときは、美術館が一番すごしやすい場所。9月24日土曜日は、皇居東御苑プラス三の丸尚蔵館&近代美術館といういつものコース。三の丸尚蔵館は、いつでもだれでも無料、近代美術館常設展は65歳以上無料なので、私がもっとも頻繁に訪れる散歩コースです。
三の丸尚蔵館。9月の展示は、皇室所蔵の書。東京国立博物館などの所蔵であったら、確実に国宝印がつくだろうに、皇室の御物だから、国宝指定にはならない。そういうことになっているらしい。でも、こうして見せていただけるのはとてもありがたいこと。「書の美、文字の巧」展の、前半展示です。
玉泉帖 小野道風 1巻 平安時代(10世紀)

館内、外国人旅行者が多い。バスのコースで寄ることになっているのだろうけれど、絵や彫刻ならともかく、書を見てこの素晴らしさをわかってくれたのかなあと、、、。そりゃ、私だって読めないけれどね。配布のパンフレットには、翻刻した文書がありました。翻刻の活字と見比べれば、なんとか読める。私は、生来の悪筆、金釘流家元ですが、書を見て美しいなあ、すばらしいなあと感じることはできます。
息子は、博物館で古文書翻刻アルバイトをを続けています。「安!時給」のバイトでも黙々と続けているのを見ると、こういう文字を朝から夕方まで眺めていてもいやにならないのは、それはそれでひとつの能力だと思えます。時給は最低賃金しかもらえないけれど、本人がそれでいやじゃないと言うのだから、食えないバイトでもしかたなし。それにしても、かなり専門的知識が必要な専門職と思うのに、東京都最低賃金しかもらえないのは、どうしたことか。博物館内レストランの皿洗いバイトより安い。
出会う観光客のほとんどが外国人だった、東御苑。
二の丸庭園の池も雨にけぶる

諏訪の茶屋

大手門から入園し、北桔梗門から出て行くいつものコース。北桔梗門前の高速道路入り口を渡ると、目の前は国立公文書館です。
国立公文書館で「時代を超えて輝く女性たち」という特別展をやっていました。(10月16日まで)
津田梅子や広岡浅子(「あさが来た」のモデル)ら、明治時代の先駆的女性の事跡紹介から、現代まで。2015年8月に「女性活躍推進法」が成立したことを踏まえての展示、ということらしいです。
最初の女子留学生5人。

広岡浅子肖像

学習院教授をつとめ、実践女学校創立者となった下田歌子とか、勲章や記念メダルを得たような公的な表彰を受けた女性の紹介が主なものでした。
公文書館ですから、国の記録に残った人が出てくるのはやむを得ないことですが、私は、国の表彰などは受けなかった、「野の女性達」の記録も、さまざま方法で残していくことをもっと考えていかなければ、史料などが散逸しては惜しいなあと思いました。
そういう「お国の表彰」を受けなかった女性たちの事跡に心ひかれます。たとえば、松井やよりの「女たちの戦争と平和資料館」の活動などは、決して国の表彰を受けることはないでしょう。
男性でいえば、8月21日に101歳で亡くなったむのたけじさん。勲何等とか受賞しなかったでしょうけれど、私は、松井やよりさんやむのたけじさんに心寄せて生きていきたい。おふたりをジャーナリストの手本と思っています。
時代を超えて輝く女性展。
私、輝いたことあった?という気になる。ずっと下積み、苦労の連続。輝くどころか、泥んこぬかるみの道、どしゃぶりの中歩いてきたような。
小降りになった道を歩きながら、ふりかえって見れば、、、、
午前中は大学院で授業を受け、午後は日本語学校で授業を担当する、夜は息子をあやし、娘のままごと相手をしつつ夕飯作り、茶碗を洗う。茶碗を洗いながら頭の中では修士論文を構想し、土曜日や夏休みは夫の会社を手伝った。よくぞ生きてきた、という毎日。
誉められもせず、苦にもされず、ひでりの日も雨の日も、おろおろ歩いたあの時間が、私の輝ける日々、、、、だったのか。
なんぞと、ぶつくさいいながら、近代美術館へ。雨は小止みに。
<つづく>