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ぽかぽか春庭「秋ばら in 旧古河庭園」

2016-10-22 00:00:01 | エッセイ、コラム

旧古河庭園

201610122
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2016十六夜さまよい日記10月(5)秋バラ in 旧古河庭園

 旧古河庭園に秋バラを見にいきました。
 まずは、庭園の近くの「ひらつか亭」で、お昼ごはん分として。おはぎ、茶飯おにぎりをひとつずつ、おやつ分としておだんご、大福を買って、入園。

真っ青な「日本晴れ」のお天気。日向は暑かったです。


 日陰のベンチに座って、まずは、お昼分を食べました。おやつ分はあとでと思ったのですが、「バラシュークリーム」というのを売っている。そうか、大福よりもバラシュークリームだったか、と思いましたが、おだんご、大福があるので、がまん。

日本庭園の池


 きれいなバラを見て、芝生で無料コンサートの音楽を楽しみ、秋の土曜日、のんびりすごせました。

 バラと古い洋館という図柄、ほんとうによく似合います。


 これで美の饗宴「洋館と美女」ならば言うことなしですが、残念ながら、「古い洋館と自撮り大好きオバンのたそがれ」は、「古い」という点が共通するばかりで、、、、


 家に帰って、写真を撮った品種を確認。歳時記をめくりました。

初恋

万葉


カトリーヌ・ドヌーブとスブニール・ド・アンネフランク(アンネフランクの思い出)


 季節ごとに歳時記をぱらぱらとめくって季語を確認するのは、自分自身の楽しみとしてでもあるし、語学&日本文化を教える教師としての、職業訓練のひとつと思っています。

 使用している主な歳時記は角川板です。角川は、四季と新年の季節ごとの文庫本は、1972年版の本を未だに持っていますが、ぼろくなってきて、今は合版本を使っています。
 例句は、新潮社版から引くこともあります。新潮板は、古本屋百円本の1951年初版1986年第48刷。ほかには、山本健吉の句歌歳時記などをぱらぱらめくる。

 角川板の編集は角川書店となっていますが、季語と例句の選択には、御大角川源義の意向が大きく働いているだろうと思います。一方、新潮社版の編集主幹は誰なのか、私はまだ知りませんが、きっと俳句の世界の中の人は知っているんでしょ。

 角川と新潮では、登載されている季語にも違いがあります。代々木公園にいったとき、秋薔薇がきれいに咲いていたので、角川合本で探したけれど、「秋薔薇」は載っていませんでした。「薔薇」は夏の季語です。

 角川板に秋蝶、秋鯖や秋茄子などは載っているけれど、秋薔薇はないってのは、角川源義さんが、最初に歳時記編集をしたころには、まだ秋咲き品種のバラはそれほど開発されておらず、秀句も生まれていなかったのか。
 
 秋バラについて。
 現在の薔薇の園芸品種の親ともいうべき、どの品種にも含まれている先祖として、中国原産の「庚申薔薇コウシンバラ」と日本原産の「野茨ノイバラ」「浜茄子ハマナス」があります。

 コウシンバラは、暦の庚申が巡るごと、すなわち60日ごとに花をつける種類でした。現在の園芸バラは、2ヶ月ごとに花をつける四季咲きの遺伝子を持っているのですが、夏は木を休めるため、冬は冬眠させるために剪定し、初夏と秋に咲かせるように栽培されています。

 てなことを、にわか勉強で知りました。私ときたら、春薔薇と秋薔薇は、まったく異なる種類のバラであろうと思っていたのです。春咲く品種と秋咲く品種が別々にあるのかと。

ビッグドリーム


 新潮板の秋バラ解説。
 「薔薇は四月、五月と咲くので夏の季語であるが、一段落して盛夏を休み、秋涼しくなって再び咲くのを秋薔薇という。二度目なので樹勢に左右され、花はやや小ぶりであることが多い。秋気いや増す中で芳香を放って咲く気品が愛される」(by伊藤敬子)
 俳人伊藤桂子の解説であること、新潮俳諧歳時記には書いてありません。ネット歳時記『増殖する歳時記』(by清水哲男)に出ていました。清水は、秋バラというものがあるということすら、気づかず、自宅庭に秋バラが咲いたので、驚いたら、ちゃんと季語になっていた、と述べています。春バラと秋バラは別品種かと思っていた私も、同じようなもの。

 清水の例句は
秋薔薇や彩を尽して艶ならず(松根東洋城)
 東洋城は、漱石の弟子だそうです。

 新潮の秋バラに出ている例句は
墓地荒れぬ十字架(クルス)にまとふ秋薔薇も(大須賀秀子)
秋咲きのバラ夕焼けてくづれ落つ(狩谷整司)

 大須賀秀子で検索すると、詐欺師呼ばわりされている最近の事業家が出てきてしまいます。俳人のほうはというと。わずかに『勤労俳句の鑑賞』(昭和21年3月/編纂)という本の紹介の中に、大須賀秀子の俳句が載っていました。
 『勤労俳句の鑑賞』は、戦時中に編集されていたものの、紙などの統制が行われていた時期なので、敗戦後半年たって出版された本、ということです。大須賀秀子は、特に有名俳人でもなく、編集にあたった水原秋桜子、富安風生。飯田蛇笏、臼田亜浪が主催していた結社に所属していて、師匠が一句のせてくれた、という俳句のようです。

 同署のなかの「高原の秋風」というタイトルの選者は飯田蛇笏なので、あるいは蛇笏の弟子筋か。
麦打の調子揃へば唄ひけり(大須賀秀子)
 う~ん、秋バラの句のほうが好きかも。

ドフトゴールド


 狩谷整司も、名前を検索して記事が見つけられません。私は、こんなふうに、ただ一句を歳時記に遺して、どこの誰やらもすでにわからなくなっている人を知ると、妙にうれしくなります。俳句結社に属して、結社が毎月出す雑誌にたまに採用されることを楽しみに俳句を作りながら、日々の暮らしを営む。私の母がそんな生き方をした人だったからでしょう。

アンジェラ


 母が属していた俳句の会は、「きさらぎ」という名でした。主宰していた南雲時計店の主も亡き今は、きさらぎを覚えている人も少なくなっているでしょう。南雲時計店の息子と娘(二卵性双生児。同級生でした)が、毎月の俳句雑誌などを遺しておいているなら、うれしいですけれど。

 母は、薔薇はそれほど好きな花でなく、小さな花が集まって咲く、オオイヌノフグリやフリージア、かすみ草が好きでした。薔薇は当時は「お高い」花だったので、たまにもらいものがあると、咲き残りの花びらも大事に押し花にしていました。

・亡き母の古びた句帳にひとひらの薔薇の花びらセピアに静まる(春庭)



<つづく>
コメント (6)
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