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ぽかぽか春庭「移動する花ー唐の鬱金花、江戸の秋桜」

2017-02-05 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170205
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>廃れものはやりもの(3)移動する花ー唐の鬱金花、江戸の秋桜

 中国歴史ドラマを楽しむコツとして「時代考証風俗考証は、まったくされていないと心得た上で楽しむこと」ということを「武則天のつまみかんざし」のコラムで述べました。
 現在の放映では、第2代皇帝太宗李世民が亡くなる前後の物語。いよいよ武則天の皇宮支配闘争が佳境に入ってきます。

 唐朝皇宮の春のシーン。華麗な衣装の妃たちが散歩する皇宮の庭には、梅や桃の花が咲き乱れて、とてもきれいです。
 ちょっと興ざめになったのは、庭一面にチューリップが咲き誇っていたシーン。黄色のチューリップ、とてもきれいだな、と画面の色彩を楽しんだことは楽しんだのですが、やはり「唐時代の皇宮庭園に現代チューリップはそぐわないなあ」という思いも残りました。

 ただ、武則天のつまみ簪には違和感を持った人がいたのに、唐代の皇宮に咲くチューリップには、違和感を持った人が、ネットのなかには見当たらなかった。そぐわないなあと思ったのは、私だけ?



 チューリップ、原産地は、中央アジアカザフスタンの草原から、パミール高原、ペルシャ高原などの一帯。トルコのアナトリア地方との説も。トルコでは、紀元前1000年には栽培種があった、という記録が残っているのだそうです。
 西洋社会にチューリップが知られるようになったのは、1561年に博物学者コンラート・ゲスナー(Conrad Gesner)が球根をドイツのアウグスブルクへ移植し、博物学の著書に初記載したころから。隣国オランダではレイデン大学が中心となって新品種栽培が盛んになり、オランダでのチューリップブームがおこりました。
 西欧で改良された品種をトルコは逆輸入し、これ以後、アジアにも品種改良後のチューリップが伝えられた、と考えられています。

 唐時代の中国には、西域から多数の人々が長安の都に来ていましたから、古代トルコで栽培されていたチューリップが移入されていた可能性もなきにしもあらずです。しかし、ドラマ画面の宮殿庭園に咲いていたのは、明らかに西洋で品種改良されてきた新しいチューリップでした。

 中国語でチューリップは鬱金香。
 チューリップの花ひとつに目くじら立てることもない、ドラマを楽しめばいいのだとは思うのですが、武則天の髪を飾ったつまみ細工簪と同じく、なにもわざわざ時代の新しいカンザシや花を出さなくても、唐代にもたくさんの簪はあるし、花もあるのにと思いました。

 唐代にも、その前の時代、後代と同じように周辺国からたくさんの文物が移入していたことをもうちょっと歴史的に考証して画面にだしてくれたら、歴史ドラマ好きとしてはうれしいのに、と思いました。唐の社会は、同時代の国々のなかでもっとも人材や文物の交流が盛んであり、都の長安は当時最大の「世界都市」だったのです。

 昨年の伊藤若冲ブームの際、再放送された『神の手を持つ絵師 若冲』。若冲の評伝ドラマの部分は、岸部一徳が若冲を演じました。ドラマの冒頭、若冲はコスモスが咲く庭にいます。あらら、コスモスが日本に広まって咲くようになったのは、明治以降だと聞き及ぶに、ほんとうに若冲はコスモスを庭に植えていたのかしら、と思いました。

 江戸後期に「蘭癖大名(オランダから輸入の文物が大好きな大名)」や「蘭癖旗本」などの好事家の中には、長崎から入ってきたコスモスを珍重して庭に植えた者などがいなかったとはいえませんが、このへんの調査はまだ不足しています。どなたかご教授を。
 
 ひまわりが中国経由で江戸中期の日本に来たときは、油の利用という農作物としての普及もあって、たちまちのうちに全国にひまわりが咲くようになり、絵画作品にひまわりが描かれるようになりました。だから、コスモスも好事家によって庭に植えられていて、若冲の庭にコスモスがあったら、動物観察植物観察が大好きだった若冲は必ずスケッチしているはず。
 若冲が絵を残していないのなら、「神の手を持つ絵師」で、若冲の庭にあったコスモスはなんだったのか。

 鬱金香(チューリップ)が日本に入ってきたのは、江戸末期。栽培が盛んになるのは明治期から。今では個人の庭にも公園にも、チューリップは春の代表的な花になっています。外来種のすべてを排除してしまうなら、春の庭も公園も寂しいことでしょう。競合する在来種を駆逐してしまうのでなければ、花の移住は土地を豊かにすると思うのですが。
 
花ひとつとってみても、種やら球根やら、原産地から世界中に広まり、改良され、また違う土地に移動しています。
 私は、銀杏の来歴、ひまわりの来歴など、植物動物がどのようにしてめぐりめぐって、ある土地に根付いたのか知るのが楽しみのひとつです。

 物も人も、移動を重ね、行ったり来たり、人類は互いの文化を教えあい、助け合って暮らしてきたのだと思います。
 ましてや、移民によって成り立ってきた国のトップが、自らの祖父母も移民であるにもかかわらず、「自国を守る」という名目で入国において人を排除しようとすることに、強い違和感を感じます。唐時代の皇宮にチューリップが咲いていることに感じる違和感などとはケタちがいに。

 特定の国をテロリズムと結びつけて入国手続きにおいて他の人と差別したりするのは、人権を守ってきた歴史に反することだと思います。  
 世論調査では、調査方法によって数字が逆転して示されたりしていますが、いずれにせよ、アメリカ国内でも今回の措置に対して賛否が拮抗していることと思います。人の交流が滞るなら、国益は損なわれると思うのですが。
 鬱金香も秋桜もいったり来たり、巡り巡っているのですから。

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 唐の都、長安。
 2007年に妹&姪といっしょに古都長安(現代の西安市)を観光したときに、秦の始皇帝廟前で見た「中国古代ショウ」。これも時代考証などは確かでなく、「なんとなく古代っぽい」という衣装と踊りでしたが、単純に楽しみました。秦時代と唐時代ではずいぶん時代が隔たっていますが、始皇帝の兵馬俑を見て、唐の楊貴妃が入浴した華清池などみて、秦時代も唐時代もごちゃまぜで楽しみました。

古代ショウ

古代衣装の踊り子といっしょに


<つづく>
コメント (2)
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