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ぽかぽか春庭「めぐりあう日」

2017-02-19 00:00:01 | エッセイ、コラム
20170218
ぽかぽか春庭@アート散歩>光の春のアート散歩(1)映画「めぐりあう日」

 夫の映画パスポート借りて、飯田橋ギンレイホールで「めぐりあう日」を見ました。
 「めぐりあう日」は、実の親を知らずに育った女性の、母親さがしの物語。

 「めぐりあう日」のフランス語原題は、「Je vous souhaite d'être follement aimée あなたが狂おしいほどに愛されることを、わたしは願っている」
 シュールレアリズムの作家アンドレ・ブルトン『狂気の愛』の最終章に出てくる一節、ブルトンが娘に捧げた手紙からとられています。 

 映画には以下のブルトンの詩が出てきます。産まれて8ヶ月の娘が16歳になった春を思って語る、父のことばです。

美しい春 君は16歳 この本を開くだろう
さんざしを揺らす風がその題名をささやく
いつも笑っている8ヶ月の愛しい娘
君は珊瑚 君は真珠 
君の誕生に何一つ偶然はない
生まれるべき時に誕生したのだ
早くも遅くもない
君のゆりかごの上に暗い影はない
子供を生むのは狂気だと思い込み
私を生んだ人々を恨みに思っていた
16歳の君を見つめる
まだ恨みを知らない娘
僕は君の目を通して自分を見つめる
夢と希望と幻想が君の頭の中で踊る
巻き毛の輝きをあびて
その場に僕はいない
ずっと君を見ていたいのに
運命の分け前が十分かどうか分からないが
生きる喜びを謳歌せよ愛を待ちながら
」 訳詞:古田由起子
 (アンドレ・ブルトン「狂気の愛」は、海老坂武訳 光文社古典新訳文庫と、笹本孝訳思潮社版があります)。

 ブルトンは、恋多き生涯のなか、シュルレアリストとしての文筆活動をまっとうしましたが、私はその名を知るのみで、娘にあてて、このような詩を書いていることもしりませんでした。2016年9月が没後50年の年でしたが、いくつかの記念イベントにも無関心でした。

 「めぐりあう日」の主人公エリザは、子どもに恵まれなかった両親に養子として施設からひきとられました。両親も承知のうえ、エリザは匿名を希望していた実の母親を探し出そうとします。10歳の息子ノエをつれ、夫と別居してフランス北部の港町ダンケルクに引っ越してきました。ノアは移民の子も大勢いる小学校に転校しますが、なかなか周囲になじめません。ノエは、青い目ブロンドの母エリザとは異なり、フランスの植民地だったアルジェリアやモロッコあたりの風貌をしている子どもだからです。給食係に「豚肉を食べてもいいのか」などと質問され、自分と周囲に違和感を感じています。

 エリザは理学療法士の仕事を続けながら、実母の手がかりを探します。エリザと夫との関係が不安定になったり、息子とうまく心を通わせあえない理由も、養母ともそれほど親密ではないようすも、「私はだれなのか」というルーツを知らないで育った人に多いという不安な心が関わっているのかも知れません。

 ノエの小学校で子どもの世話役として働く中年女性アネットが、エリザの患者として治療室を訪れます。独身で母親とともに暮らしているアネットは、
 エルザとアネットはしだいに互いに親近感をかんじるようになっていきます。

 子どもにとって、自分がどのように生まれてきたのかは、アイデンティティの上で大きな意味を持っており、親を知らないことが心の不安定につながることも多い。
 ウニー・ルコント監督は、韓国の児童施設からフランスに養子として連れてこられた自らのルーツを大切にしていて、出生について知りたい、という人の心がよくわかっている人です。

 出生のいきさつを理解したエリザは、以前より自分の人生をもっと大切にしていくだろうと、ウニー・ルコント監督は描いていると思います。
 ノエは幼いなりに、なぜ自分が他のフランス人の子どもとは違う風貌に見えるのか、思春期前の心に得心がいったらしい。ダンケルクからの船旅で海と空を見つめるノエの表情は、晴れやかな顔をしています。

 私の娘は、子どもの頃「両親の結婚式から半年後に産まれた私」を気に病んでいた時期もあったみたいですけれど、今では「母は、もうちょっとマシな人と結婚しようと思えばできたくらい、若い頃はかわいかったのに、どうしてまた、父と結婚しちゃったかなあ」と、いいながらも、父親にちゃんと手作りチョコをあげる娘に育ちました。「3倍返しが目当てだ」と言っていますが。

 母もねぇ「君の誕生に何一つ偶然はない 生まれるべき時に誕生したのだ」と、ブルトンのように歌い上げたいけれど、さて、ケニアでへんな日本人と出会ってしまった偶然の「めぐりあう日」によって出生した娘へ、「運命の分け前が十分かどうか分からないが、生きる喜びを謳歌せよ愛を待ちながら」と、ブルトンを引用しておきましょう。

<つづく>
コメント (6)
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