20170211
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>廃れものはやりもの(6)はつくにしらす、おわりも知らす
今年のカレンダー。「4日分も損する」と、息子が言う。祝日が日曜日に重なったときは月曜日が代休になるが、土曜日と重なったら、祝日の休みが一日分減ってしまう。2017年、昭和の日、秋分の日、天皇誕生日が土曜日。そして、本日2月11日も土曜日。
建国記念の日は、初代とされる神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)と書かれてしたことを根拠にしています。「辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮」
なぜ辛酉年かというと、古代中国では「辛酉は天命が改まる年」とされ、王朝が交代するとされる年であったゆえ、日本書紀編纂者がこう書いたものであって、歴史的な根拠はなにもない。
この即位月日を明治6年に新暦に換算した日付が2月11日。
私は最初の大学の卒論が『古事記』だったゆえ、古事記にも日本書紀も、よく読み込んだほうだと思います。神話に親しみを感じ、稗田阿礼の一族さま、よくぞ暗記していてくださった、と思っています。この日を「神話の日」または「初国シラス伝説の日」という記念日にしてほしかったと思っています。
1966年の祝日決定時には、喧々囂々、神話に出てくる日時をそのまま「建国記念の日」としてしまうことに異論がだされたけれど、国民の大半は「祝日が増えて休みになるならけっこう」と賛成し、1967年から実施されました。だのに、土曜日に重なるとは存在意義を忘れた記念日じゃあありませんか。
私は、『古事記』は、伝承されてきた神話伝説を、自分たちのことばでまとめて書き上げた「記憶遺産」だと思っています。(支配者による編集改編はあったにせよ)。
考古学歴史学民俗学神話学などとの学際で研究が深まって、建国神話がどのような伝承の混ぜ合わせ突き合わせで、どのようにして大和のオホキミが出雲国吉備国や筑紫国の伝承をとりこみ、他を従えていったのかが次第にあきらかになるだろうと期待しています。
私は、建国をことほぐのなら、あとから付け足されたことが明らかな「神倭伊波礼毘古命カムヤマトイワレビコノミコト」「磐余彦いわれびこ=イワレ地域の王」よりも、実在がほぼ確かであり、その名も「御肇國天皇はつくにしらすすめらみこと(日本書紀)」と諡名(おくりな)された「御真木入日子印恵命みまきいりひこいにえ(古事記)」を祀るほうがいいと思うし、さらには、卑弥呼や漢委奴国王やその他、古代にワラワラと並び立っていた王たちも「建国の主人公」と思います。
このころの「クニ」とは、人口500~1000人ほどの集落であったでしょうが、ほとんど争いのなかった縄文の村に比べ、水争いなどのイクサを総べる王が並びたっていたでしょう。古代のクニの中でもっとも軍事力や呪術力が強かったのがヤマトのオオキミであったとして、建国というのはさて、いつをもってとすべきか。
稲は縄文時代にも陸稲などが栽培されていたが、水田の水制御技術による水稲栽培が広く定着してきたのは紀元前5,6世紀の弥生時代、という最近の考古学知見によるなら、紀元前660年というのは、当たらずとも遠からずなのかもしれない。もっとも三原じゅん子議員のように「神武天皇は実在の人物」などと言い切るのは、少なくても歴史を科学として学ぼうとする者にはいないと思うが、信心の問題というなら、なにを信じようと自由。
何年かに一度、この「建国記念日」が「国民の祝日」であることの意味を問うて古代史を読み直すのも、私の楽しみごとのひとつです。
私としては、伝承を暗誦して伝えた稗田阿礼と、苦心の表記方法により伝承を文章にした太安万侶を顕彰する日と思っています。
はやり廃りは世の常なれど、心の基本は「ことば」であると思うので、万葉集と古事記に残されたことばをひとつひとつ味わうのも、この日の過ごし方であるよ、と一日のらりくらり。
はやりの不動産王トランプキングと共にゴルフ三昧の朝貢使節は、さて、ハンディいくつか。
南スーダンでは、「宣戦布告した国と国との戦争ではないので、砲弾飛び交っていても戦闘ではない」という答弁。これでは「ことば」が悲しすぎる。砲弾が当たって死んでも、それは戦死ではなく、「闘争地域の中の事故である」となるらしい。
「カクの傘さしてもらうからには、おらたちもがんばらにゃ」と、命張っているひとたちもいる。けなげであるよ日本人。
国の始まりは定かでない国だけれども、国のおわりは予想がつく。現在の出生率計算でいくと「日本人」がひとりもいなくなる日はまだ500年も先のことだというので、私が消えたあとの子々孫々を憂えていても仕方がない。孫を持たない人間は、国の未来を憂えるのもテキトーである。とりあえず、あと50年ほどもってくれればよい。
まあ、みんな建国以来の歴史の日々をがんばってくださいまし。今年は2677年であるとして、紀元3000年くらいまでは「日本人」がいるのだから、それなりに長い。ことほぐべし。
<おわり>
ぽかぽか春庭ことばのYaちまた>廃れものはやりもの(6)はつくにしらす、おわりも知らす
今年のカレンダー。「4日分も損する」と、息子が言う。祝日が日曜日に重なったときは月曜日が代休になるが、土曜日と重なったら、祝日の休みが一日分減ってしまう。2017年、昭和の日、秋分の日、天皇誕生日が土曜日。そして、本日2月11日も土曜日。
建国記念の日は、初代とされる神武天皇の即位日が、日本書紀に紀元前660年1月1日 (旧暦)と書かれてしたことを根拠にしています。「辛酉年春正月 庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮」
なぜ辛酉年かというと、古代中国では「辛酉は天命が改まる年」とされ、王朝が交代するとされる年であったゆえ、日本書紀編纂者がこう書いたものであって、歴史的な根拠はなにもない。
この即位月日を明治6年に新暦に換算した日付が2月11日。
私は最初の大学の卒論が『古事記』だったゆえ、古事記にも日本書紀も、よく読み込んだほうだと思います。神話に親しみを感じ、稗田阿礼の一族さま、よくぞ暗記していてくださった、と思っています。この日を「神話の日」または「初国シラス伝説の日」という記念日にしてほしかったと思っています。
1966年の祝日決定時には、喧々囂々、神話に出てくる日時をそのまま「建国記念の日」としてしまうことに異論がだされたけれど、国民の大半は「祝日が増えて休みになるならけっこう」と賛成し、1967年から実施されました。だのに、土曜日に重なるとは存在意義を忘れた記念日じゃあありませんか。
私は、『古事記』は、伝承されてきた神話伝説を、自分たちのことばでまとめて書き上げた「記憶遺産」だと思っています。(支配者による編集改編はあったにせよ)。
考古学歴史学民俗学神話学などとの学際で研究が深まって、建国神話がどのような伝承の混ぜ合わせ突き合わせで、どのようにして大和のオホキミが出雲国吉備国や筑紫国の伝承をとりこみ、他を従えていったのかが次第にあきらかになるだろうと期待しています。
私は、建国をことほぐのなら、あとから付け足されたことが明らかな「神倭伊波礼毘古命カムヤマトイワレビコノミコト」「磐余彦いわれびこ=イワレ地域の王」よりも、実在がほぼ確かであり、その名も「御肇國天皇はつくにしらすすめらみこと(日本書紀)」と諡名(おくりな)された「御真木入日子印恵命みまきいりひこいにえ(古事記)」を祀るほうがいいと思うし、さらには、卑弥呼や漢委奴国王やその他、古代にワラワラと並び立っていた王たちも「建国の主人公」と思います。
このころの「クニ」とは、人口500~1000人ほどの集落であったでしょうが、ほとんど争いのなかった縄文の村に比べ、水争いなどのイクサを総べる王が並びたっていたでしょう。古代のクニの中でもっとも軍事力や呪術力が強かったのがヤマトのオオキミであったとして、建国というのはさて、いつをもってとすべきか。
稲は縄文時代にも陸稲などが栽培されていたが、水田の水制御技術による水稲栽培が広く定着してきたのは紀元前5,6世紀の弥生時代、という最近の考古学知見によるなら、紀元前660年というのは、当たらずとも遠からずなのかもしれない。もっとも三原じゅん子議員のように「神武天皇は実在の人物」などと言い切るのは、少なくても歴史を科学として学ぼうとする者にはいないと思うが、信心の問題というなら、なにを信じようと自由。
何年かに一度、この「建国記念日」が「国民の祝日」であることの意味を問うて古代史を読み直すのも、私の楽しみごとのひとつです。
私としては、伝承を暗誦して伝えた稗田阿礼と、苦心の表記方法により伝承を文章にした太安万侶を顕彰する日と思っています。
はやり廃りは世の常なれど、心の基本は「ことば」であると思うので、万葉集と古事記に残されたことばをひとつひとつ味わうのも、この日の過ごし方であるよ、と一日のらりくらり。
はやりの不動産王トランプキングと共にゴルフ三昧の朝貢使節は、さて、ハンディいくつか。
南スーダンでは、「宣戦布告した国と国との戦争ではないので、砲弾飛び交っていても戦闘ではない」という答弁。これでは「ことば」が悲しすぎる。砲弾が当たって死んでも、それは戦死ではなく、「闘争地域の中の事故である」となるらしい。
「カクの傘さしてもらうからには、おらたちもがんばらにゃ」と、命張っているひとたちもいる。けなげであるよ日本人。
国の始まりは定かでない国だけれども、国のおわりは予想がつく。現在の出生率計算でいくと「日本人」がひとりもいなくなる日はまだ500年も先のことだというので、私が消えたあとの子々孫々を憂えていても仕方がない。孫を持たない人間は、国の未来を憂えるのもテキトーである。とりあえず、あと50年ほどもってくれればよい。
まあ、みんな建国以来の歴史の日々をがんばってくださいまし。今年は2677年であるとして、紀元3000年くらいまでは「日本人」がいるのだから、それなりに長い。ことほぐべし。
<おわり>