20170218
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記2月(4)行きづらさチェック
ブログ友のまっき~さんは、「ヘンタイ、キチガイと呼ばれるのは褒め言葉に感じる、意外とフツー、と評されるととても落ち込む」と、自らの性格を分析して書いていらっしゃる。モノカキとして生きていく上で、「フツー」では筆は走らぬ、というのはわかる。
http://blog.goo.ne.jp/macky2466/e/a1dde873d3e0b7e09048a9d99cedd998#comment-list
で、私は。
私は、自分自身を分析して「自分では変わり者のように思っているけれど、他人から見たらとりえのない凡人。凡人なのに、なぜ世の中と折り合えぬのか」と思ってきました。
子どものころから、人が集まる場所にいると居心地悪さを感じ、人の中にいることが苦痛でした。大人になったら、社交ということができず世間話ができず、私は社会生活不適合だと感じてきました。それは「性格の悪さ」だと思い、それが「診断できる病気」とも思わないまま、結婚もし育児もしてきて、なんとか生活してきました。
性格悪いために友達が少ないということが残念なことではありましたが、そのためにものすごく不自由があったわけではなかったので、自分の生きづらさは自分でがまんするしかない、と思ってこの年齢になりました。
発達障害という語を知ったのは、はるか昔のことですが、それは「世の中には発達が他の子と異なる子供もいるので、そういう子も受け入れていける教師でありたい」などと思っていたのです。「大人の発達障害」ということばを知ったのは近年になってからですが、「大人になっても不適応なことが多いと社会生活がたいへんだろうなあ」と、ひとごとに思っていました。人付き合いができないために自殺した漫画家の山田花子のような人を思い浮かべていました。
発達障害の具体的なあらわれを深く考えたことがなかったから、私自身が社会で生きづらいことと、発達障害ということばが結びついていなかったのです。
あるチェックリストを試して見て、びっくりしました。ほとんど当てはまりましたから。
<衝動性>
・後先考えずに、行動・決断してしまう。>はい
・人がしゃべっている時でも、つい発言してしまう。>はい
・喋りが長くなりやすい。喋り過ぎと言われる。>はい
<多動性>
・何時間も同じ作業をするよりも、10分や20分など短い単位で複数の作業をする方が楽だ。>はい
・同じことを繰り返し長い時間するとミスが多くなる。>はい
・貧乏ゆすりなど体の一部分が揺れがちで、かつ揺れると落ち着く。>いいえ
・1対1で話していても相手の話についていけないことがあったり、他のことをついつい考えてしまっている。>いいえ
<不注意>
・大事な授業や会議でも集中できず時には寝てしまう。>はい
・注意していても、何かをし忘れたり、何かをし間違っている。>はい
・よく物にぶつかったり壊したりする。>はい
<抜け漏れ>
・二つ以上の仕事や作業をこなそうとすると、どうしても両方とも中途半端になってしまう。あるいはどちらかをすっかり忘れる。>はい
・約束やすべきことをメモをしていても忘れてしまう。>はい
・いつも詰めが甘い。終わったと思っても、何かをし忘れたり、何かをし間違っている。>はい
<その他 ADHD的な特性>
・しないといけないと分かっていても締め切り間際にならないと行動できない。>はい
・おっちょこちょい、落ち着きがない、と言われることが多い。>子どもの頃は、はい
・大事な会議や約束も念入りに準備しても数分から数十分遅刻してしまう。>はい
・整理整頓が苦手で、片づけられない。>はい
<社会性>
・丁寧に接しているつもりでも、無礼だとか失礼だとか言われてしまう。>はい
・綺麗な身なりのつもりでも、清潔感がないと言われてしまう。>はい
・相手の嘘や悪意がわからず、騙されてしまう。>いいえ
・うわさ話や陰口がどうしても許せないし、自分でも言わない。>はい
<コミュニケーション>
・伝えたいことはわかっているのだが、言葉でまとめるのが苦手だ。>対面で音声言語ではできない。文字を書いてなら伝えられる。
・話すことが好きで語彙も豊富だが堅苦しい>文字でなら対話できるが、堅苦しい。
・辞書みたいな話し方だと言われることがある。>いいえ
・会話をするときに相手の目を見て話すことができない。>はい
・ジェスチャーが多すぎると言われることがある。あるいはジェスチャーを全く使えない。>いいえ
<想像性・こだわり>
・興味の範囲が限られ、他の人の話に関心を抱けない>いいえ
・違うことを試すよりも、同じやり方を何度も繰り返す。>いいえ
・悪気はないのに事実を言ってしまい、相手との関係性が悪くなったりしたことがある。>はい
・日々のルーティンが何らかの理由で出来なかったり、予定していたスケジュールがキャンセルされると、動揺して頭が真っ白になる。>いいえ
<感覚過敏・鈍麻>
・飲食店など大勢の人がざわついている場所では、相手との会話が聞き取りにくい。>はい
・偏食がひどく、においの強いものや特定の食感のものが食べられない。>いいえ
・季節や気温にあった衣服の調節などがうまくできないと感じる>いいえ
<その他 AS/ASD的>
・身体を動かすことが苦手で、特に野球やサッカーなど球技は嫌いだ。>集団競技は嫌いだが、一人で体を動かすならOK.
・身体の動きがカクカクしている、ロボットのようだと指摘されることがある。>いいえ
・手先が不器用で細かな作業が苦手だ。>いいえ 1cm角の紙だと手間取るが、2cm角の紙ならツルは折れる。
自閉症スペクトラム(ASD=Autism Spectrum Disorder)や、多動性障害(HD=Hyperactivity Disorder)に当てはまることは多くないですが、注意欠如障害(ADD=Attention Deficit Disorder)のほうに当てはまることが多々ありました。
たとえば、子どもの頃、毎日忘れ物をしてしまって家に授業の道具を取りに帰ったこと、今でも、約束や持ち物などたいていのことを忘れてしまい、不義理をしていること。よくものを壊すこと。よく物にぶつかって痛い思いをすること。整理整頓できないこと、などなど。
「性格のせい」と思っていたことが、「一種の脳の欠陥」ということらしくて、なぜ私はいつもこうなのか、について腑に落ちました。
が、今更どうにも改良の余地はないようで、死ぬまで自分の欠陥は欠陥として生きて行くしかありません。
ADDの欠陥にも、軽度なものから重症まであるのでしょう。私の場合は、社会生活がまったくできないほどの欠陥ではなく、なんとか暮らせてはきたのですから、この先の心配などしなくてもいいのかもしれません。また、多動性は低く、注意欠陥のほうにあてはまることが多いというのも、わかりました。
同じ教師の仕事でも、職員室でのコミュニケーションが大きな部分を占めていた中学校教師は苦痛であったのに比べて、大学講師を20年以上続けてこられたのも、非常勤講師室でひとこともしゃべらなくても、授業を自分なりにやっていけば職業として成り立ってきたからです。
授業中の学生と教師として授業についてのコミュニケーションをとることはできましたが、日本人学生から「先生もぜひいっしょに」と、コンパなどにさそわれても「用事があるので」と、断ってきたし、留学生センターなどの修了式後のパーティなどでに出なければならないときは、できるだけ隅っこにいて、話しかけられないようにしていました。あるいは、何人かがしゃべっている輪から一歩下がって、にこにこして相づちを打っているだけなら、それほど無愛想な変人と思われずにすごせました。
大人になって、それなりに相手との距離の取り方を学んだので、なんとか生活はできましたが、高校時代の同級生せっちゃんと話してみたら「高校時代のあなたは、すごくこわい人だったよ。話をはじめると一方的に難しいことをまくし立てるので、ついていけなかった」と、いう評でした。
高校時代に私と親しくしてくれた人は、やっちゃんくらいでした。やっちゃは誰とでも仲良く出来る人でしたから。
中学高校を通じて、相性の悪い教師からは徹底していじめられたのも、私の「空気読めない、愛想ない、納得できないと目上の人にでも突っかかっていく」という性格が災いしたのだと思ってきましたが、まあ、この性格を作り上げたのも脳のなせるわざ。
いまさら、愛想笑いの上手な人になろうとも思いません、男性にモテたいとも思わないので、私は私の欠陥を承知しつつなんとか残りの人生をまっとうしましょう。
ブログ友達とリアル友としてもおつきあいできる方々、うらやましいです。私に会ってみてヤナ奴と思った方、以上のような欠陥をご理解の上お許しくださいませ。
2016年2月。ミャンマー、バガンのホテル前でやっちゃんと。

やっちゃん、友達でいてくれて、ありがとう。
<おわり>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記2月(4)行きづらさチェック
ブログ友のまっき~さんは、「ヘンタイ、キチガイと呼ばれるのは褒め言葉に感じる、意外とフツー、と評されるととても落ち込む」と、自らの性格を分析して書いていらっしゃる。モノカキとして生きていく上で、「フツー」では筆は走らぬ、というのはわかる。
http://blog.goo.ne.jp/macky2466/e/a1dde873d3e0b7e09048a9d99cedd998#comment-list
で、私は。
私は、自分自身を分析して「自分では変わり者のように思っているけれど、他人から見たらとりえのない凡人。凡人なのに、なぜ世の中と折り合えぬのか」と思ってきました。
子どものころから、人が集まる場所にいると居心地悪さを感じ、人の中にいることが苦痛でした。大人になったら、社交ということができず世間話ができず、私は社会生活不適合だと感じてきました。それは「性格の悪さ」だと思い、それが「診断できる病気」とも思わないまま、結婚もし育児もしてきて、なんとか生活してきました。
性格悪いために友達が少ないということが残念なことではありましたが、そのためにものすごく不自由があったわけではなかったので、自分の生きづらさは自分でがまんするしかない、と思ってこの年齢になりました。
発達障害という語を知ったのは、はるか昔のことですが、それは「世の中には発達が他の子と異なる子供もいるので、そういう子も受け入れていける教師でありたい」などと思っていたのです。「大人の発達障害」ということばを知ったのは近年になってからですが、「大人になっても不適応なことが多いと社会生活がたいへんだろうなあ」と、ひとごとに思っていました。人付き合いができないために自殺した漫画家の山田花子のような人を思い浮かべていました。
発達障害の具体的なあらわれを深く考えたことがなかったから、私自身が社会で生きづらいことと、発達障害ということばが結びついていなかったのです。
あるチェックリストを試して見て、びっくりしました。ほとんど当てはまりましたから。
<衝動性>
・後先考えずに、行動・決断してしまう。>はい
・人がしゃべっている時でも、つい発言してしまう。>はい
・喋りが長くなりやすい。喋り過ぎと言われる。>はい
<多動性>
・何時間も同じ作業をするよりも、10分や20分など短い単位で複数の作業をする方が楽だ。>はい
・同じことを繰り返し長い時間するとミスが多くなる。>はい
・貧乏ゆすりなど体の一部分が揺れがちで、かつ揺れると落ち着く。>いいえ
・1対1で話していても相手の話についていけないことがあったり、他のことをついつい考えてしまっている。>いいえ
<不注意>
・大事な授業や会議でも集中できず時には寝てしまう。>はい
・注意していても、何かをし忘れたり、何かをし間違っている。>はい
・よく物にぶつかったり壊したりする。>はい
<抜け漏れ>
・二つ以上の仕事や作業をこなそうとすると、どうしても両方とも中途半端になってしまう。あるいはどちらかをすっかり忘れる。>はい
・約束やすべきことをメモをしていても忘れてしまう。>はい
・いつも詰めが甘い。終わったと思っても、何かをし忘れたり、何かをし間違っている。>はい
<その他 ADHD的な特性>
・しないといけないと分かっていても締め切り間際にならないと行動できない。>はい
・おっちょこちょい、落ち着きがない、と言われることが多い。>子どもの頃は、はい
・大事な会議や約束も念入りに準備しても数分から数十分遅刻してしまう。>はい
・整理整頓が苦手で、片づけられない。>はい
<社会性>
・丁寧に接しているつもりでも、無礼だとか失礼だとか言われてしまう。>はい
・綺麗な身なりのつもりでも、清潔感がないと言われてしまう。>はい
・相手の嘘や悪意がわからず、騙されてしまう。>いいえ
・うわさ話や陰口がどうしても許せないし、自分でも言わない。>はい
<コミュニケーション>
・伝えたいことはわかっているのだが、言葉でまとめるのが苦手だ。>対面で音声言語ではできない。文字を書いてなら伝えられる。
・話すことが好きで語彙も豊富だが堅苦しい>文字でなら対話できるが、堅苦しい。
・辞書みたいな話し方だと言われることがある。>いいえ
・会話をするときに相手の目を見て話すことができない。>はい
・ジェスチャーが多すぎると言われることがある。あるいはジェスチャーを全く使えない。>いいえ
<想像性・こだわり>
・興味の範囲が限られ、他の人の話に関心を抱けない>いいえ
・違うことを試すよりも、同じやり方を何度も繰り返す。>いいえ
・悪気はないのに事実を言ってしまい、相手との関係性が悪くなったりしたことがある。>はい
・日々のルーティンが何らかの理由で出来なかったり、予定していたスケジュールがキャンセルされると、動揺して頭が真っ白になる。>いいえ
<感覚過敏・鈍麻>
・飲食店など大勢の人がざわついている場所では、相手との会話が聞き取りにくい。>はい
・偏食がひどく、においの強いものや特定の食感のものが食べられない。>いいえ
・季節や気温にあった衣服の調節などがうまくできないと感じる>いいえ
<その他 AS/ASD的>
・身体を動かすことが苦手で、特に野球やサッカーなど球技は嫌いだ。>集団競技は嫌いだが、一人で体を動かすならOK.
・身体の動きがカクカクしている、ロボットのようだと指摘されることがある。>いいえ
・手先が不器用で細かな作業が苦手だ。>いいえ 1cm角の紙だと手間取るが、2cm角の紙ならツルは折れる。
自閉症スペクトラム(ASD=Autism Spectrum Disorder)や、多動性障害(HD=Hyperactivity Disorder)に当てはまることは多くないですが、注意欠如障害(ADD=Attention Deficit Disorder)のほうに当てはまることが多々ありました。
たとえば、子どもの頃、毎日忘れ物をしてしまって家に授業の道具を取りに帰ったこと、今でも、約束や持ち物などたいていのことを忘れてしまい、不義理をしていること。よくものを壊すこと。よく物にぶつかって痛い思いをすること。整理整頓できないこと、などなど。
「性格のせい」と思っていたことが、「一種の脳の欠陥」ということらしくて、なぜ私はいつもこうなのか、について腑に落ちました。
が、今更どうにも改良の余地はないようで、死ぬまで自分の欠陥は欠陥として生きて行くしかありません。
ADDの欠陥にも、軽度なものから重症まであるのでしょう。私の場合は、社会生活がまったくできないほどの欠陥ではなく、なんとか暮らせてはきたのですから、この先の心配などしなくてもいいのかもしれません。また、多動性は低く、注意欠陥のほうにあてはまることが多いというのも、わかりました。
同じ教師の仕事でも、職員室でのコミュニケーションが大きな部分を占めていた中学校教師は苦痛であったのに比べて、大学講師を20年以上続けてこられたのも、非常勤講師室でひとこともしゃべらなくても、授業を自分なりにやっていけば職業として成り立ってきたからです。
授業中の学生と教師として授業についてのコミュニケーションをとることはできましたが、日本人学生から「先生もぜひいっしょに」と、コンパなどにさそわれても「用事があるので」と、断ってきたし、留学生センターなどの修了式後のパーティなどでに出なければならないときは、できるだけ隅っこにいて、話しかけられないようにしていました。あるいは、何人かがしゃべっている輪から一歩下がって、にこにこして相づちを打っているだけなら、それほど無愛想な変人と思われずにすごせました。
大人になって、それなりに相手との距離の取り方を学んだので、なんとか生活はできましたが、高校時代の同級生せっちゃんと話してみたら「高校時代のあなたは、すごくこわい人だったよ。話をはじめると一方的に難しいことをまくし立てるので、ついていけなかった」と、いう評でした。
高校時代に私と親しくしてくれた人は、やっちゃんくらいでした。やっちゃは誰とでも仲良く出来る人でしたから。
中学高校を通じて、相性の悪い教師からは徹底していじめられたのも、私の「空気読めない、愛想ない、納得できないと目上の人にでも突っかかっていく」という性格が災いしたのだと思ってきましたが、まあ、この性格を作り上げたのも脳のなせるわざ。
いまさら、愛想笑いの上手な人になろうとも思いません、男性にモテたいとも思わないので、私は私の欠陥を承知しつつなんとか残りの人生をまっとうしましょう。
ブログ友達とリアル友としてもおつきあいできる方々、うらやましいです。私に会ってみてヤナ奴と思った方、以上のような欠陥をご理解の上お許しくださいませ。
2016年2月。ミャンマー、バガンのホテル前でやっちゃんと。

やっちゃん、友達でいてくれて、ありがとう。
<おわり>