20170504
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記 黄金週間(1)ハッピーフライデー落語独演会・金原亭世之介と女弟子乃ゝ香
ゴールデンウィーク、2日火曜日は大学全体で休講なので、世間様の黄金週間並に、4月29日から5月7日までの9連休。連休とは言っても、金はなし、遠出するのは「どこに行っても混むからなあ」といいながらどこにもゆかず、ささやかな行楽を楽しむ。
4月28日、ハッピーフライデーなる「週末は遊べ、消費せよ、金使え」という政府のお達しにより、池袋へ出張ってまいりました。ただし、交通費のほかは、お金使っておりませぬ。招待券もらっての、落語独演会。楽しかった。
池袋演芸場。初めて入場しました。もっとも、新宿末廣亭や上野鈴本に行ったのだって、はるか昔のこと。暉峻康隆先生の授業を受けていたころ「君たち、デモなんぞに行くヒマがあったら、寄席のひとつも聞きなさい。寄席に行って日本の話芸を知ったほうが、よほど日本の未来の役にたつ」と、言われて、そんなら、と末廣亭に行ったのだし、鈴本は、中学校教員時代の「年末打ち上げ会」のひとつでした。
今は、さっぱり寄席に足を運ぶこともなくなりました。たまにテレビ「日本の話芸」とか、落語の放送があるときは、ワハハと笑って見ることもありますが、今のところひいきの落語家はいません。昔は志ん朝が好きでした。夫は立川談志ファン。
私の落語界についての知識は、興津要が編纂した『古典落語 上下』を学生時代に読んだほかは、『の、ようなもの』映画見た。『しゃべれどもしゃべれども』、原作読んだ映画見た。朝ドラ「ちりとてちん」時々見た。クドカンドラマ『タイガー&ドラゴン』見た。古今亭志ん生の一代記、『NHK特集びんぼう一代~五代目古今亭志ん生~』の再放送を見た。立川談志「クローズアップ現代・人生は落語だ~立川談志」見た。 BSプレミアムドラマ『「人生、成り行き 天才落語家・立川談志 』見た。というのが、全部です。
第21回手塚治虫文化賞新生賞を受賞した『昭和元禄落語心中』未読です。
テレビが我が家に届いたのが10歳のときです。赤ん坊のころからスマホを子守がわりに与えられる今の時代と異なり、10歳までに本を読む楽しみと、ラジオで落語を聞く楽しみを覚えてからのテレビだった、これは人の一生にとって幸運だと思います。「時蕎麦」や「まんじゅうこわい」を聞いて笑った子供時代。
落語独演会の招待状。金原亭世之介独演会です。私は金原亭はキンバラテイと読むのかと思っていたくらい、落語にもうとい人間ですが、世之介の話、とても面白かったです。

6時半開演。世之介の女弟子金原亭乃ゝ香が前座を務めました。昨年春に入門して見習いとなり、2017年4月に前座になったばかり。
「子ほめ」を演じました。むろん、前座ですから、じょうずではない。ストーリーはそれなりよどみなく進みましたが、人物描写はまだまだ。目をつぶって聞いているとつまらぬが、目を開けていればかわいいお顔で一生懸命演じているので、聞いているほうもニコニコと聞いていられる。
乃ゝ香の次に、同じく前座の三遊亭ぐんまが一席。ぐんまは三遊亭白鳥の弟子。昨年前座になっています。師匠の白鳥は、新潟県出身で、前座名は三遊亭にいがた。ぐんまは、まくらに「え~、私の高座名、ぐんまから推察して、出身地は群馬県だろうと思われる方もいらっしゃいましょうが、、、、、意外に思われる方もいるでしょうが、群馬県出身です」という。つまらん!、、、、が、許す。上毛歌留多をそらんじて育った同士ですから。
ぐんまのほうが乃ゝ香より一年先輩のわけですから、噺も1年分ほどはうまい。しかし、ぐんまが何を演じたのか、一日たってみたら、さっぱり覚えていない。乃ゝ香はヘタだったけれど、どうヘタだったか覚えている。なぜ印象が強かったかというと、乃ゝ香さん、たいそうな美人です。美人は、1年先輩の前座に比べて、百万年分得です。
検索してみると、乃ゝ香さん「もしも女子大生が落語家になったら」というブログをUP中。
あちこちの情報を総合すると、女子大生23歳。某白山近辺の大学に在学中。元ミスキャンパス。昨年、金原亭世之介の見習い弟子となり、今春前座になる。
元ミスキャンパス。

4月28日には師匠の独演会で前座をつとめ、29日には末廣亭夜席ではじめて高座にあがる。乃ゝ香ブログによれば、前座はいつ高座に上がれるかも定かではなく、座布団のかえしとか、雑用をつとめつつ、声がかかるのを待つ。前座が高座をつとめるかどうか決めるのが席亭なのか師匠なのか私は知りませんけれど、突然に声をかけられても、あわてずさわがず、師匠方の演目とかぶらない噺を選んで高座にあがる。
乃ゝ香さん、なりたての前座にしては、師匠独演会の座もつとめ、翌日は末廣亭で一席うかがう機会を持ち、ずいぶんと大切にされているなあと、思います。美人噺家を落語界全体で大切に育てようとしている気配を感じます。
現代は、イケメン落語家がもてはやされる時代ですからね。女性落語家も増えてきた昨今ですが、ミスキャンパスに選ばれたことのある美人落語家、貴重です。
ミスキャンパスと言っても、全国に400校もある大学。ミスキャンパスも毎年3、400人はいるのだろうから、ミス東大とかミス慶応ぐらいメジャーじゃないと、テレビの局アナに応募しても御利益は少ない。だったら、局アナに応募するよりも、美人に付加価値をつけるには、落語家だ!と、賢いミスキャンパスは思ったんじゃないかしら。私の印象では、落語が好きですきで、一生を落語におぼれて生きていこう、というよりも、「ミスキャンパスの付加価値として落語を身につけて、テレビバラエティで売り出してあわよくば女優業へも進出」なんて狙っているのかも、という雰囲気がしてしまうほどの美人さんでした。あらま、いくつになっても、私の美人さんへのヒガミ根性はなくならないですな。ま、百万年分得をしているのだから、ひがまれるくらい我慢して欲しい。
ぐんまのほうは、イケメン落語家にはなれず、かと言ってその存在自体が笑いを生み出すほどのブサイクでもなし。印象薄く、演題も忘れてしまった。
ともあれ、ものすごく久しぶりに落語を生で聞いた機会に出会った乃ゝ香とぐんま、これから育っていくのを楽しみにしていきます。
さて、肝心の世之介の落語。世之介は、元祖イケメン落語家。二つ目時代はテレビでも人気者だったとか。私は、大人気だった「欽どこ」などを見ていなかったので、世之介の前座二つ目時代の駒平を知りません。
世之介の最初の師匠10代目金原亭馬生は、志ん朝の兄ですから知っていたけれど、1990年に駒平が「NHK新人演芸コンクール」大賞受賞したときも、1992年に真打ち昇進したときも、まったく気づかず。世之介と言えば、井原西鶴『好色一代男』しか知らず、落語界にも世之介を名乗るお方がいたとは、とんと知らないもの知らず。
前座が終わって、世之介独演会は7時すぎから。演目は「小言幸兵衛」中入り後「愛宕山」
どちらも面白かったです。前座が最初に一席うかがうのは、「前座と真打ちじゃあ、これほど面白さが違う」てのを、客によくわかってもらうためかと思います。
世之介の枕。駒平時代、馬生の家での修行の思い出。掃除を徹底的にやったことやら、馬生の娘の池波志乃がかたわらに一升瓶どんとおいて朝から飲んでいた、やら。先輩に「師匠んちの冷蔵庫の中のもの、食べてもいいけれど、新しいものに手をつけちゃいけない。もう腐り始めの、捨てる前の物なら食べてもよし」と言われ、たらこの腐りかけを見つけてパクリと一度に食べてしまった、それが、師匠が大事にチビチビ少しずつ食べていたカラスミだったと。
師匠は、いろんなしくじりのたびに「オマエはクビだ」と言い出しそうだったけれど、カラスミのときは「クビだ」とは言われなかったとか。
愛宕山のまくらには、志ん生の貧乏時代のはなし。高座に出る着物も質に入れて飲んでしまう志ん生に、知り合いが着物を貸してやると、その着物も飲み代にしてしまう、というエピソードをふっていました。きょうびは、二つ目でも着物はそれなりに高級なものを着ています、ということを出して、太鼓持ちイッパチが絹の着物を着ていることを、着物に縁が薄い観客に知らせておきます。
「落語家は貧乏です」と、世之介は言っていたけれど、世之介自身は、ウナギ屋を経営し、その営業権を売ったりしているので、たぶん金持ち。
金原亭は古今亭一門ですから、世之介「愛宕山」は、志ん朝が演じる「愛宕山」と同型。古今亭一門の十八番ネタなのだそうです。
愛宕山は京都にある山。関西の米朝や枝雀の愛宕山は、古今亭系と細かいところは異なっています。かわらけ投げ、東京は小判を30枚投げる。大阪は20枚。山の中に出てくるのは、東京は狼だけだけれど、関西の愛宕山には狼も熊も出る、など。
同じ演題でも、演者によっておかしかったりおかしくなかったりるのはどうしてだろう、とは、10歳になる前のころ、ラジオで「時蕎麦」を聞いていて思った感想でした。
「間」なのだろうか、人物描写のちがいなのだろうか。
桂枝雀は、枕のひとつに「東京のほうでは、落語は人間の業を描く、とか言った人もいらっしゃいますが、こちらでは、そんなもんやなく、ただ、アハッとわろてもらえばそれでよろし」と振っていました。「落語は人間の業の肯定」と言ったのは談志。アハと笑うだけでいいと言った枝雀は、「落語とは何か」を思い詰めてうつ病になり、59歳で自死に至る。
金原亭馬生は54で、志ん朝は61歳でお先に失礼した。まだまだ長生きして円熟の境地を聞いてみたかった。
世之介は、円歌が亡くなったことにふれていました。円歌は88歳だったそうだし、夫人死去のあと仏門に入って僧侶でもあったので、きっと大往生だったことでしょう。4月30日に円歌の「中沢家の人々」を追悼で再放送していました。しみじみおかしかったです。
世之介は今年57。4月28日の独演会の夜、緊急入院したそうです。心臓に問題があったと、ブログ「世之介のそばにおいでよ」に書いています。独演会で少し心臓が疲れたけれど、もう心配ない、ということなので、すぐに元気になるとは思います。元気で演じ、弟子を育ててほしいです。
きっと何かのご縁があって、世之介、乃ゝ香、ぐんまの噺を聞いたのですから、これからも応援していきます。
ここまで書いて、思い出しました。ぐんまの演題は桃太郎でした。
うつらうつらと落語の思い出かきなぐり、さて寝ようかというときに、子供の頃寝しなにばあちゃんが話してくれた桃太郎を思い出し、そうだ、ぐんまは桃太郎と思い出す。少々記憶衰えてきたおとなってのは、たわいもないもので、、、、。
<つづく>
ぽかぽか春庭日常茶飯事典>2017十七音日記 黄金週間(1)ハッピーフライデー落語独演会・金原亭世之介と女弟子乃ゝ香
ゴールデンウィーク、2日火曜日は大学全体で休講なので、世間様の黄金週間並に、4月29日から5月7日までの9連休。連休とは言っても、金はなし、遠出するのは「どこに行っても混むからなあ」といいながらどこにもゆかず、ささやかな行楽を楽しむ。
4月28日、ハッピーフライデーなる「週末は遊べ、消費せよ、金使え」という政府のお達しにより、池袋へ出張ってまいりました。ただし、交通費のほかは、お金使っておりませぬ。招待券もらっての、落語独演会。楽しかった。
池袋演芸場。初めて入場しました。もっとも、新宿末廣亭や上野鈴本に行ったのだって、はるか昔のこと。暉峻康隆先生の授業を受けていたころ「君たち、デモなんぞに行くヒマがあったら、寄席のひとつも聞きなさい。寄席に行って日本の話芸を知ったほうが、よほど日本の未来の役にたつ」と、言われて、そんなら、と末廣亭に行ったのだし、鈴本は、中学校教員時代の「年末打ち上げ会」のひとつでした。
今は、さっぱり寄席に足を運ぶこともなくなりました。たまにテレビ「日本の話芸」とか、落語の放送があるときは、ワハハと笑って見ることもありますが、今のところひいきの落語家はいません。昔は志ん朝が好きでした。夫は立川談志ファン。
私の落語界についての知識は、興津要が編纂した『古典落語 上下』を学生時代に読んだほかは、『の、ようなもの』映画見た。『しゃべれどもしゃべれども』、原作読んだ映画見た。朝ドラ「ちりとてちん」時々見た。クドカンドラマ『タイガー&ドラゴン』見た。古今亭志ん生の一代記、『NHK特集びんぼう一代~五代目古今亭志ん生~』の再放送を見た。立川談志「クローズアップ現代・人生は落語だ~立川談志」見た。 BSプレミアムドラマ『「人生、成り行き 天才落語家・立川談志 』見た。というのが、全部です。
第21回手塚治虫文化賞新生賞を受賞した『昭和元禄落語心中』未読です。
テレビが我が家に届いたのが10歳のときです。赤ん坊のころからスマホを子守がわりに与えられる今の時代と異なり、10歳までに本を読む楽しみと、ラジオで落語を聞く楽しみを覚えてからのテレビだった、これは人の一生にとって幸運だと思います。「時蕎麦」や「まんじゅうこわい」を聞いて笑った子供時代。
落語独演会の招待状。金原亭世之介独演会です。私は金原亭はキンバラテイと読むのかと思っていたくらい、落語にもうとい人間ですが、世之介の話、とても面白かったです。

6時半開演。世之介の女弟子金原亭乃ゝ香が前座を務めました。昨年春に入門して見習いとなり、2017年4月に前座になったばかり。
「子ほめ」を演じました。むろん、前座ですから、じょうずではない。ストーリーはそれなりよどみなく進みましたが、人物描写はまだまだ。目をつぶって聞いているとつまらぬが、目を開けていればかわいいお顔で一生懸命演じているので、聞いているほうもニコニコと聞いていられる。
乃ゝ香の次に、同じく前座の三遊亭ぐんまが一席。ぐんまは三遊亭白鳥の弟子。昨年前座になっています。師匠の白鳥は、新潟県出身で、前座名は三遊亭にいがた。ぐんまは、まくらに「え~、私の高座名、ぐんまから推察して、出身地は群馬県だろうと思われる方もいらっしゃいましょうが、、、、、意外に思われる方もいるでしょうが、群馬県出身です」という。つまらん!、、、、が、許す。上毛歌留多をそらんじて育った同士ですから。
ぐんまのほうが乃ゝ香より一年先輩のわけですから、噺も1年分ほどはうまい。しかし、ぐんまが何を演じたのか、一日たってみたら、さっぱり覚えていない。乃ゝ香はヘタだったけれど、どうヘタだったか覚えている。なぜ印象が強かったかというと、乃ゝ香さん、たいそうな美人です。美人は、1年先輩の前座に比べて、百万年分得です。
検索してみると、乃ゝ香さん「もしも女子大生が落語家になったら」というブログをUP中。
あちこちの情報を総合すると、女子大生23歳。某白山近辺の大学に在学中。元ミスキャンパス。昨年、金原亭世之介の見習い弟子となり、今春前座になる。
元ミスキャンパス。

4月28日には師匠の独演会で前座をつとめ、29日には末廣亭夜席ではじめて高座にあがる。乃ゝ香ブログによれば、前座はいつ高座に上がれるかも定かではなく、座布団のかえしとか、雑用をつとめつつ、声がかかるのを待つ。前座が高座をつとめるかどうか決めるのが席亭なのか師匠なのか私は知りませんけれど、突然に声をかけられても、あわてずさわがず、師匠方の演目とかぶらない噺を選んで高座にあがる。
乃ゝ香さん、なりたての前座にしては、師匠独演会の座もつとめ、翌日は末廣亭で一席うかがう機会を持ち、ずいぶんと大切にされているなあと、思います。美人噺家を落語界全体で大切に育てようとしている気配を感じます。
現代は、イケメン落語家がもてはやされる時代ですからね。女性落語家も増えてきた昨今ですが、ミスキャンパスに選ばれたことのある美人落語家、貴重です。
ミスキャンパスと言っても、全国に400校もある大学。ミスキャンパスも毎年3、400人はいるのだろうから、ミス東大とかミス慶応ぐらいメジャーじゃないと、テレビの局アナに応募しても御利益は少ない。だったら、局アナに応募するよりも、美人に付加価値をつけるには、落語家だ!と、賢いミスキャンパスは思ったんじゃないかしら。私の印象では、落語が好きですきで、一生を落語におぼれて生きていこう、というよりも、「ミスキャンパスの付加価値として落語を身につけて、テレビバラエティで売り出してあわよくば女優業へも進出」なんて狙っているのかも、という雰囲気がしてしまうほどの美人さんでした。あらま、いくつになっても、私の美人さんへのヒガミ根性はなくならないですな。ま、百万年分得をしているのだから、ひがまれるくらい我慢して欲しい。
ぐんまのほうは、イケメン落語家にはなれず、かと言ってその存在自体が笑いを生み出すほどのブサイクでもなし。印象薄く、演題も忘れてしまった。
ともあれ、ものすごく久しぶりに落語を生で聞いた機会に出会った乃ゝ香とぐんま、これから育っていくのを楽しみにしていきます。
さて、肝心の世之介の落語。世之介は、元祖イケメン落語家。二つ目時代はテレビでも人気者だったとか。私は、大人気だった「欽どこ」などを見ていなかったので、世之介の前座二つ目時代の駒平を知りません。
世之介の最初の師匠10代目金原亭馬生は、志ん朝の兄ですから知っていたけれど、1990年に駒平が「NHK新人演芸コンクール」大賞受賞したときも、1992年に真打ち昇進したときも、まったく気づかず。世之介と言えば、井原西鶴『好色一代男』しか知らず、落語界にも世之介を名乗るお方がいたとは、とんと知らないもの知らず。
前座が終わって、世之介独演会は7時すぎから。演目は「小言幸兵衛」中入り後「愛宕山」
どちらも面白かったです。前座が最初に一席うかがうのは、「前座と真打ちじゃあ、これほど面白さが違う」てのを、客によくわかってもらうためかと思います。
世之介の枕。駒平時代、馬生の家での修行の思い出。掃除を徹底的にやったことやら、馬生の娘の池波志乃がかたわらに一升瓶どんとおいて朝から飲んでいた、やら。先輩に「師匠んちの冷蔵庫の中のもの、食べてもいいけれど、新しいものに手をつけちゃいけない。もう腐り始めの、捨てる前の物なら食べてもよし」と言われ、たらこの腐りかけを見つけてパクリと一度に食べてしまった、それが、師匠が大事にチビチビ少しずつ食べていたカラスミだったと。
師匠は、いろんなしくじりのたびに「オマエはクビだ」と言い出しそうだったけれど、カラスミのときは「クビだ」とは言われなかったとか。
愛宕山のまくらには、志ん生の貧乏時代のはなし。高座に出る着物も質に入れて飲んでしまう志ん生に、知り合いが着物を貸してやると、その着物も飲み代にしてしまう、というエピソードをふっていました。きょうびは、二つ目でも着物はそれなりに高級なものを着ています、ということを出して、太鼓持ちイッパチが絹の着物を着ていることを、着物に縁が薄い観客に知らせておきます。
「落語家は貧乏です」と、世之介は言っていたけれど、世之介自身は、ウナギ屋を経営し、その営業権を売ったりしているので、たぶん金持ち。
金原亭は古今亭一門ですから、世之介「愛宕山」は、志ん朝が演じる「愛宕山」と同型。古今亭一門の十八番ネタなのだそうです。
愛宕山は京都にある山。関西の米朝や枝雀の愛宕山は、古今亭系と細かいところは異なっています。かわらけ投げ、東京は小判を30枚投げる。大阪は20枚。山の中に出てくるのは、東京は狼だけだけれど、関西の愛宕山には狼も熊も出る、など。
同じ演題でも、演者によっておかしかったりおかしくなかったりるのはどうしてだろう、とは、10歳になる前のころ、ラジオで「時蕎麦」を聞いていて思った感想でした。
「間」なのだろうか、人物描写のちがいなのだろうか。
桂枝雀は、枕のひとつに「東京のほうでは、落語は人間の業を描く、とか言った人もいらっしゃいますが、こちらでは、そんなもんやなく、ただ、アハッとわろてもらえばそれでよろし」と振っていました。「落語は人間の業の肯定」と言ったのは談志。アハと笑うだけでいいと言った枝雀は、「落語とは何か」を思い詰めてうつ病になり、59歳で自死に至る。
金原亭馬生は54で、志ん朝は61歳でお先に失礼した。まだまだ長生きして円熟の境地を聞いてみたかった。
世之介は、円歌が亡くなったことにふれていました。円歌は88歳だったそうだし、夫人死去のあと仏門に入って僧侶でもあったので、きっと大往生だったことでしょう。4月30日に円歌の「中沢家の人々」を追悼で再放送していました。しみじみおかしかったです。
世之介は今年57。4月28日の独演会の夜、緊急入院したそうです。心臓に問題があったと、ブログ「世之介のそばにおいでよ」に書いています。独演会で少し心臓が疲れたけれど、もう心配ない、ということなので、すぐに元気になるとは思います。元気で演じ、弟子を育ててほしいです。
きっと何かのご縁があって、世之介、乃ゝ香、ぐんまの噺を聞いたのですから、これからも応援していきます。
ここまで書いて、思い出しました。ぐんまの演題は桃太郎でした。
うつらうつらと落語の思い出かきなぐり、さて寝ようかというときに、子供の頃寝しなにばあちゃんが話してくれた桃太郎を思い出し、そうだ、ぐんまは桃太郎と思い出す。少々記憶衰えてきたおとなってのは、たわいもないもので、、、、。
<つづく>